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いつでも元気

いつでも元気

けんこう教室 訪問看護師の日常(下)

 訪問看護師の日常を漫画にして発信している川上加奈子さんが、印象に残った患者さんのエピソードをつづります。

神奈川・よつば訪問看護 リハビリステーション 川上 加奈子 神奈川・よつば訪問看護リハビリステーション看護主任。NICU(新生児集中治療室)に勤務後、外来で抗がん剤治療などを担当。2012年から訪問看護に従事する。インスタグラムで訪問看護の日常を漫画にして発信している。 Instagram:grace255474

神奈川・よつば訪問看護
リハビリステーション
川上 加奈子
神奈川・よつば訪問看護リハビリステーション看護主任。NICU(新生児集中治療室)に勤務後、外来で抗がん剤治療などを担当。2012年から訪問看護に従事する。インスタグラムで訪問看護の日常を漫画にして発信している。
Instagram:grace255474

 「蟻が10匹で、ありがとさん、さん、さん!」―。
 いつも冗談を言って笑わせてくれるAさん(女性)は、息子さんと二人暮らしの101歳。雨が降っても雪が降っても「外の空気を吸いに行きたい!」と、マンションから車いすに乗って出かけるほど外が大好きでした。
 しかし、Aさんは私たちの訪問看護が入るまで、自分の意思をほとんど訴えない方だったそうです。
 息子さんがおっしゃるには、何を聞いても「なんでもいい」「あんたがいいようにすればいい」と言われるため、そのうち何も聞かなくなっていったとのこと。長年の介護生活で会話は少なくなり、「気がつけば、無言で事務的に介護をこなすようになっていたかもしれない」と話していました。

きっかけはちらし寿司

 確かに訪問看護が始まった当初、Aさん自身は明るいものの、「〇〇したい」という意思表示は一切ありませんでした。ですが、訪問看護で私たちがいろいろな関わり方をしていくうちに、徐々に変わってきたのです。
 ある日、会話の中で冗談ぽく「最後の晩餐に食べたいものは?」と質問しました。「なんでもいい」と言いかけたAさんに「なんでもいいはダメですよ(笑)…何かないですか?」と伝えて答えを待つと、少し悩んでから「ちらし寿司…」とおっしゃいました。
 さっそく一緒にちらし寿司の素を買いに出かけ、息子さんに「作っていただけないか」とお願いしました。息子さんは「ちらし寿司なんて作ったこともないけれど、混ぜるだけならできるかな?」と快諾。わざわざ小さいお重のような容器に盛り付けて出してくれたちらし寿司を前に、Aさんは「もったいなくて食べられない」と、とても喜んでいました。
 それからは息子さんにも「日常会話の中で“イエス”“ノー”で答えられる質問ではなく、本人が言葉で答えられるような質問をしてほしい」とお伝えしたところ、Aさんだけでなく、息子さん自身も変わっていきました。
 「関わり方を変えるだけで、人って変わっていくものなんだね。あんなに無気力だったのに、今は雨が降っても散歩に行きたいって言うもんね」と息子さん。さらに「二人だけの空間で生活していた時は、世の中から取り残されたような感じがしていたけれど、こうやってサービスが入ることで、母さんだけじゃなくて自分も少し変われた気がするんだ」と嬉しそうに話してくださったのが印象的でした。

SOS発信の難しさ

 介護生活は、ともすると閉鎖的な空間になりがちです。Aさん親子も、訪問看護が入るまではデイサービスやヘルパーの導入に同意されなかったため、ずっと二人だけの時間を過ごされてきました。
 そのため、どのように介護をしたらいいのかも分からず、息子さんはとりあえず食事を用意するだけの生活。トイレまで歩けなくなり、ベッド上でオムツ交換をするようになると、Aさんは「尿や便が増えると息子に迷惑をかけるから」と水分や食事の量を控え、便も我慢しているうちに慢性便秘、低栄養、脱水などが進行して体調を崩されてしまうことに。持病の心不全も悪化してきたことから「家族だけではもう対応できない」と、訪問看護が入ることを了承してくださったのでした。
 老々介護や8050問題などもそうですが、傍から見れば「なぜもっと早くSOSを発信しなかったのか?」と感じるケースも多々あるでしょう。しかし当事者たちにとっては、「自分たちで介護するのが当たり前」「家の中の問題を他人には見せられない」という思いや遠慮もあるため、自ら声をあげることはなかなか難しいのかもしれません。

8050問題…80代の親が50代の子どもの生活を支える状態。背景にひきこもりや孤立、介護の問題などがあると指摘される

コロナ禍での出来事

 今回のコロナ禍では、高齢の夫婦や単身の高齢者が感染した際、周囲の誰からもサポートを受けられず、助けを求めることもできないケースがありました。行政からの食料支援も間に合わず、自ら買い物に出ざるをえなかった方もいたようです。
 一方で地域の団結力が強く、ご近所さんから差し入れが届いて助けられているご家庭もありました。
 そんなさまざまな事例を見てきて今思うのは、「日常的に自らの状態を発信する大切さ」です。人とのつながりが希薄になっている現代だからこそ、日頃から地域の集まりに参加して横のつながりを作ったり、遠くの家族に時々自分の体調について知らせておくことが大切です。
 「子どもに心配をかけたくないから」と、ぎりぎりまで具合が悪いことを知らせない方もいらっしゃいます。しかし、子どもからしてみれば、「ずっと元気だって言っていたのに。そんな急に介護とか言われても…」と困惑されるケースもあるからです。
 私もそうでしたが、子どもはなんとなく「親はいつまでも元気でいてくれる」という幻想を抱きがちです。しかし、人は必ず年老いていくものです。
 「最近すぐ疲れるようになってね」「転ぶことが増えてきたんだ」「実はこの間、鍋を焦がしちゃった」など、ちょっとした会話でいいので、恥ずかしがらずに自らの状況を発信してほしいと思います。
 いざという時にお互いを助け合っていける世の中にするためには、行政のサポートはもちろん必要ですが、それだけに頼るのではなく「自ら発信すること」つまり「自分が変わることで周りも変えていく」努力を、個々がしていくことが大切ではないでしょうか。その発信を「しっかり受け止められる地域や社会にしていけたら」と、切に願っています。

いつでも元気 2023.5 No.378