ハーフタイム
増田剛(全日本民医連会長)
ラガーマンが魅せた至極のスピリット
今年7月、岩手県釜石市鵜住居町の「釜石鵜住居復興スタジアム」を訪れました。津波に何もかも剥ぎ取られた跡地に、ひっそりと、しかし威厳を持ってそれは存在していました。
かつて“北の鉄人”と称された新日鉄釜石ラグビー部。地元の高卒ラガーマンを中心に、東北の厳しい環境の中で地道に身体を鍛え、日本選手権7連覇という偉業を成し遂げました。
決して交通の便が良いとは言えない釜石から、大漁旗を携え東京の国立競技場まで駆け付けた地元の人々にとって、チームの勝利は格別なものだったに違いありません。時代が移り変わり、2001年からは釜石市に密着したクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」として活動を続けています。地元のラグビー愛は健在です。
2011年の東日本大震災で多くのものを失った釜石が、復興のシンボルとしてスタジアムを建設したことは、ある意味必然だったと言えます。
19年に日本でラグビーのワールドカップが開催されました。このスタジアムでも2試合を行うことが決まり、地元は大変な騒ぎになりました。第1試合のフィジー対ウルグアイの一戦は素晴らしいゲームとなり、ウルグアイが歴史的勝利をあげました。
実は歴史的ドラマがもう一つ。2試合目のナミビア対カナダは10月12日に日本に上陸した台風19号の影響で中止となり、世界中のファンを落胆させました。
試合当日には、誰もいないスタジアムの前に観戦予定だった人たちが大勢集まり、大漁旗を振りながら近所を行進。その様子はSNSで世界に発信されました。
それだけではありません。ナミビアチームは宮古市で災害対応にあたる市民を激励し、地元ラグビースクールの子どもたちと交流イベントを開催しました。カナダチームは床上浸水や道路の破損など台風で大きな被害を受けた釜石の地域で、住居の泥出しなどに協力したのです。
4年に1度のワールドカップ、世界のラガーマンにとって最高の舞台です。試合中止が選手に及ぼしたショックは計り知れません。しかし彼らがとった行動は被災地支援でした。カナダチームの選手が語った言葉が忘れられません。「こんな時はラグビーの試合より、ずっと大切なことがある」。私は心が震えました。
人々の困難に寄り添うこと、これは民医連のモットーでもあります。実際にスタジアムを訪れ、世界一流のラガーマンが魅せた至極のスピリットを思い出し、力が湧いてきました。
いつでも元気 2022.12 No.373