9条で国を守れるのか
聞き手・武田 力(編集部)
ロシアによるウクライナ侵略をきっかけに、日本の“防衛”をめぐる議論が活発です。
7月の参院選では、憲法9条改定を許すかどうかも大きな争点になります。
ジャーナリストの伊藤千尋さんに、9条の現実的役割について聞きました。
長引く戦争に心を痛めている方が多くいると思います。日本ではこの事態に便乗して、軍備増強や核共有などの議論も出ています。
友人たちから「街頭で“憲法9条を守ろう”と訴えると、“9条で国を守れるのか”と罵倒される」という声が届きました。不思議なことを言いますね。ウクライナは9条を持っていたから侵略されたわけではありません。軍隊を持っていても国土を蹂躙されたのです。「軍隊で国を守れるのか」なら分かりますが…。
街頭でそのような反応があるのは、むしろ対話するチャンスです。ひるんでいる場合ではない。「9条こそが国を守り、一人ひとりのいのちと人間性を守る。命どぅ宝(いのちこそ大切)が9条の根本にある精神です」と伝えてほしいと思います。
9条の精神を広げる活動に自信と誇りをもって、にこやかな表情で「誰も死なないで済む仕組みを、世界の人々と一緒につくりませんか」と語りかけてください。
平和的生存権の意味
日本国憲法の前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」とあります。私たちの憲法は、単に日本一国だけが生き延びられればいいという発想ではなく、世界の平和を求めているのです。
そもそもこんなにグローバル化した世界で、「自分の国の人々だけ平和」という状態はありえない。もう21世紀ですよ。国境線から「こっちは味方、そっちは敵」という発想自体、時代遅れの骨董品です。
「9条で国を守れるのか」と言う人の多くは誤解しています。9条があるからといって、丸腰になれというのではありません。
国の武装組織は警察、国境警備、軍隊の3段階に分かれます。このうち他国と戦争するための組織である軍隊(自衛隊)をなくし、国境警備を強化すればいいのです。日本の海上保安庁は人員も予算も少なすぎます。しかも、本来の任務ではない沖縄・辺野古新基地建設に反対する市民を弾圧する目的に使われています。自衛隊の半分を海上保安庁に回し、残りは災害救助隊にすれば、名実ともに「専守防衛」を実践することができ、国民に安心感を与えることができます。
専守防衛の範囲を越えて、自衛隊を敵基地攻撃に使うために憲法を改悪するのは、平和を求めてきた私たち日本の、さらには人類の歴史に対する冒涜です。
防衛費を2倍に?
軍事的な抑止力の考え方にもとづき、自民党は防衛費を2倍(約11兆円)にすると主張しています。しかし軍事に軍事で対抗しようとしたら、お互いの不信感から際限のない軍拡競争になってしまいます。
中国の防衛費は約27兆円です。さらに習近平政権は米国(約101兆円)に追い付きたいと言っている。これに対抗しようとすれば、防衛費をどこまで増やしても決して安心はできません。その財源はどこから確保するのですか。医療や福祉、教育などの予算がますます削られてしまうでしょう。
他国との関係が不信感の悪循環に陥らないように、9条は対話で紛争を解決する外交努力を政府に求めています。紛争の根源にある貧困や差別、経済的搾取や環境破壊をなくす取り組みも重要です。
仮想敵をつくって「どう戦うか」ではなく、戦争を起こさない仕組みをどうやって世界に広げていくかを考えるべきです。日本が普段からそのような外交をしていれば、今回もロシアとウクライナの仲介を担い、国際的に「名誉ある地位」を占めることができたはずです。
すべてのいのちを守る
7月には参院選があります。この間、連日テレビや新聞で戦地の悲惨な状況が報道されています。
日本の敗戦から長い年月が経ち、9条のありがたみが薄れてきました。いまのウクライナの状況から、いのちも街も破壊される戦争の悲惨さを多くの人が目の当たりにしています。
いまは平和を訴えるチャンスなのです。力を合わせて、9条を守りましょう。
日本国憲法
9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
いつでも元気 2022.7 No.368