神々のルーツ
消された「権現社」の名
文・写真 片岡伸行(記者)
第2回 高来神社、根津神社、浅草神社
神社の起源や歴史を探索するシリーズ。
今回は、かつて全国各地にあった「権現社」を取り上げます。
権現社の名前が消えてしまった理由は実はあまり知られていません。
明治期に発せられた「神仏分離令」によって祈りの場も“偽装”されたのです。
たなびく雲の彼方に浮かぶ伊豆の島影。大磯の海岸に古代、朝鮮半島の高句麗(高麗)から船で漂着した一団が上陸しました。目の前の山は高麗山と名付けられ、その麓(現在の神奈川県中郡大磯町高麗2丁目)に、明治維新前には高麗権現社と呼ばれた高来神社があります。
〈坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く〉
森鴎外の長編『青年』にある根津神社(東京都文京区)の描写。20代後半の鴎外はこの神社へ徒歩で行ける上野・不忍池近くに住んでいました。根津神社もまた、明治維新前は根津権現社という名称でした。
初夏の風物詩「三社祭」で知られる東京の浅草神社(台東区)も、かつての名は三社権現社。三社とは、創建時の逸話にある「檜前浜成・竹成兄弟と土師真中知」という、いずれも朝鮮半島系の姓を持つ三者のことです。
これら「権現社」の名称はなぜ消えてしまったのでしょう。
神仏分離令と「国家神道」
前号で〈天皇主権の国体にするために神社が利用された〉と述べました。日本では古代から1000年以上も、神と仏を一緒に敬う「神仏習合」の時代が続きました。実際、皇室の菩提寺は京都市の泉涌寺です。
しかし、明治維新政府は神と仏を分離させ、神道を優遇する「神仏分離令」(神仏判然令)を1868年に布告します。仏教を排除(=廃仏毀釈)し、神社と神職の国家支配を進め、神社神道と皇室神道を結びつけた、祭政一致の「国家神道」を偽装的に作り上げました。
神社の歴史も偽装されました。具体的には祭神および社名の変更です。これにより「権現」という名称は消去されたのです。権現とは「日本の神々は仏教の仏が仮の姿で現れたもの」(=本地垂迹説)との意。「仏の仮の姿」というのが気に食わなかったのでしょうか。こうした例は全国各地にあり、白山権現社も白山神社に強制的に名称を変えさせられました。
名称だけではありません。古来それぞれの起源や歴史を背負って祀られた祭神も、日本神話に基づく祭神に変えさせられたのです。これについては改めて紹介します。
神話と洗脳の時代
天皇主権の時代には、「天孫降臨」などの神話を信じないと非国民とされ、不敬罪で処罰されました。天皇暗殺を謀ったとして幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件(1910年)。当時、軍医総監だった鴎外がこの事件を受けて発表したのが短編『かのやうに』です。
上司の山縣有朋の依頼で「危険思想対策」として書かれたとの説があります。小説は神話と事実の間で悩む歴史学者が主人公。学問を重んじる立場では非科学的な神話を信じることはできないが、突き詰めていくと“危険思想”になるため、結局は神話を事実である「かのように」受け止めるという内容です。
大日本帝国憲法公布の1889年から敗戦までの56年間、多くの人が歴史的に洗脳され、現在も洗脳から解かれていない人が国政の場にいたりします。天皇のために死ぬことが美化され、多くの人が鳥居と呼ばれる結界をくぐり戦場に送られました。日本で310万人余が犠牲になり、アジアでは2000万人以上の命が奪われました。神社はその天皇制イデオロギーの思想的な装置とされたのです。
キリスト教や仏教には教祖の教えを体系化した「教義」がありますが、実は神道には定まった教義がありません。その意味で神道は宗教ではないことになります。では、そもそも神道とはなんなのでしょう。古代への旅を続けます。(つづく)
いつでも元気 2022.2 No.363