核なき未来へ~動き始めた若者たち
田中 美穂(「カクワカ広島」共同代表) 河野 絵理子(医師(長野県民医連))
核兵器禁止条約の発効から1年。
世界は核なき未来へ向けて、確実に歩を進めています。
広島で核兵器の問題に取り組む「カクワカ広島」共同代表の田中美穂さん(27歳)と、長野で「反核医療者の会」準備会に参加する河野絵理子医師(25歳)が語り合いました。
文・武田 力(編集部) 写真・豆塚 猛/大橋 愛
※リモートで対談しました
河野:はじめまして。田中さんは私にとって憧れの存在で、このような機会をいただけてとても光栄です。
田中:ありがとうございます。私もお話しできるのを楽しみにしていました。
河野:田中さんは2019年に「カクワカ広島」(核政策を知りたい広島若者有権者の会)という若者のグループを立ち上げたんですよね。
田中:出身は福岡で、就職を機に広島へ来ました。今は社会人5年目で、翻訳関係の仕事をしています。「カクワカ広島」は、国会議員に核廃絶に関する意見を聴きに行ったり、アンケートをとる活動をしています。
河野:核兵器の問題に興味を持ったきっかけは何かあったのですか。
田中:社会人2年目の夏に、大学院で安全保障を学んでいた友人が広島へ来ました。誘われるままに、8月6日の平和記念式典に参加したんです。それ以前は、社会運動などは全くしたことがなくて。
河野:そうなんですね。
田中:同じ日に川崎哲さん(ピースボート共同代表)の講演を聴いて、初めて“歴史”ではなく“今”とつながる問題として、核兵器のことを認識しました。「自分にもできることがあればやりたい」と川崎さんに言ったら、「ちょうど英語を訳せる人を探していた」ということになって。
河野:翻訳のお仕事の経験を生かせるというのは、素晴らしい巡り合わせですね。核兵器が“今”とつながる問題というのは、とても共感します。今を生きるすべての人が、核の脅威にさらされている当事者です。
田中:翻訳のボランティアをしながら、川崎さんの紹介で同世代の仲間にも出会えました。2018年末に、今度は被爆者のサーロー節子さんの講演を聴いて、「祈っているだけでは何も変わりません。具体的に行動してください」という言葉が心に響いたんです。
河野:それが「カクワカ広島」につながるんですね。
田中:その日の夜、講演を聴いた若者たちとご飯を食べた時に「国会議員に会いたい」と言った子がいて。「めっちゃいい。すごく具体的だし」と盛り上がりました。いろいろな偶然やご縁が重なって、今の活動につながっています。
活動が変化を生み出す
河野:私は中学生の時、家族と広島平和記念資料館に行きました。被爆者の方が描いた絵が印象的で、その時の映像が忘れられなくて。核兵器についてもっと知りたいと考えるようになりました。
田中:中学生の時から?
河野:それは本当に漠然とした気持ちで、具体的に動き始めたのは医学生になってからです。「反核医師の会」の学生部会に参加して、学ぶ機会に恵まれました。被爆者医療に尽力してきた鎌田七男先生(広島大学名誉教授)の講演では、医師として被爆者の方々の人生に寄り添いながら、科学者として核兵器の非人道性を分析している姿勢に感銘を受けました。また「反核医師の会」の成り立ちを知ったのもこの時で、今の活動につながっています。
田中:どういった成り立ちですか。
河野:「放射能の前で医学は無力だった。治療できないものは予防しなければ―」。この言葉が胸に突き刺さって、医師として反核・平和に関わりたいなと、ますます強く思いました。
田中:かっこいいです。医療の分野で、これだけ深い思いをもって取り組んでいる方々がいることを知って、勇気づけられます。
河野:「カクワカ広島」の活動で、どのように国会議員に面会したのですか。
田中:発足後すぐに、各議員の事務所に手書きのお手紙を出しました。あとは電話で面会の約束をとりつけるなど、特に難しいことをしたわけではありません。最初に電話した時は、めちゃくちゃ緊張しましたけどね。
河野:普通に会ってくれるものなんですか。
田中:「あなたの意見を聴かせてほしい」というスタンスで、今まで9人と面会できました。与党の議員は「核廃絶は目指すけれど、核兵器禁止条約には慎重」という方がほとんどですが。
河野:活動の中で印象に残ったことはありますか。
田中:10月の衆院選前にアンケート調査をしたところ、核兵器禁止条約「反対」から「賛成」に変わった方が数人いらっしゃって。国民の世論や働きかけが、議員の態度を変えることもあるのだと実感しました。
河野:すごく具体的な活動で、しかも変化を生み出しているんですね。参考にしたいです。
居心地のいい場に
河野:私は長野県で「反核医療者の会」準備会に参加しています。県にはこれまで反核・平和活動をしてきた先輩医師が多くいるので、その経験に学びながら活動したいです。また、医師以外にも一緒に活動していきたい医療・介護職の方がいるので、「医療者の会」という名称にはこだわりを持っています。
田中:すてきですね。どうやって仲間を増やしているんですか。
河野:職場の方に声をかけたり、民医連や医療生協の機関紙や広報誌などに取り上げていただいています。「記事を見ました」と声をかけてくださる方もいて、反響が広がっています。これからは、長野県内の幅広い医療職の方にも広報していきたいと思っています。
田中:周りからのリアクションは、素直に嬉しいですよね。
河野:元気が出ますね。私はみんなと平和について思いを共有する時間が好きなので、その延長で自由に学んだり行動に移したりできる場にしたいなと考えています。さまざまな立場の人が働きながらでも活動を続けられるように、みんなにとって居心地のいい場にしたいです。
田中:私たちにもできることがあれば、協力したいと思います。
河野:ぜひぜひ、よろしくお願いします!
田中:ポジティブな反応に励まされる一方で、私たちの活動には批判もたくさん寄せられます。「理想論にすぎない」とか「もっと勉強したほうがいい」とか。心にズシンとくることもあります。
河野:そうした時は、どのように対応するのですか。
田中:そのような声にもきちんとお返事するようにしています。私たち自身が国会議員に「意見を聴かせてほしい」という活動をしていて、無視されたら悲しいし、ポジティブな意見しか聴かないのは筋が通らないと思って。やりとりをする中で、最初は攻撃的に非難の言葉を投げかけてきた方が、「みなさんの活動の趣旨は分かった」と変わったこともあります。
河野:自分たちの活動や思いを丁寧に伝えているんですね。意見が異なる相手とも、対話によって意見をすり合わせていくのはとても大切なことですね。
田中:顔が見えないインターネットの世界では、どうしても言葉がきつくなってしまいます。対話や説明をしながら、いろいろな意見や選択肢を示すのが私たちの活動で、それも大きな意味では平和につながるのではないかと思います。
声をあげ続けることが大切
田中:3月には、核兵器禁止条約の第1回締約国会議が開かれます。日本政府にはオブザーバーとしてでも参加してほしい。対話の場に参加してみなければ、日本政府が主張する「橋渡し」の役割も担えないと思います。
河野:気候変動やジェンダーの問題など、世界中で若者が声をあげていますね。核兵器の問題でも、私たちが「注目している」と声をあげ続けることが大切だと思います。
田中:私たちは「海外の議員さんにも会いたいね」と話しています。海外の動向も共有していけたら、刺激になるのではと思います。
河野:今日はお話しできて、すごく嬉しかったです。今後も私自身、できることをしていきたいと改めて感じました。
田中:一緒に協力して活動を広げることで、関心のある層を分厚くしていけると思います。ぜひ今後もつながっていきましょう!
河野:ありがとうございます!
河野 絵理子(こうの・えりこ)
1996年生まれ。長野県長野市出身。長野中央病院(長野県民医連)2年目研修医。医学生時代は「反核医師の会」学生部会に参加。2017年に長野で「反核医療者の会」準備会を設立。
田中 美穂(たなか・みほ)
1994年生まれ。福岡県北九州市出身。2017年に就職を機に広島へ。19年1月、広島で出会った仲間と一緒に「カクワカ広島」(核政策を知りたい広島若者有権者の会)を立ち上げ、共同代表を務める。
いつでも元気 2022.1 No.362