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いつでも元気

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陶芸「広島」

文・新井健治(編集部) 写真提供・光塩学園 陳省仁(勤医協札幌病院)

(赤核)×(赤核)=0 実際のサイズは縦40cm×横40cm×高さ35cm

 勤医協札幌病院(北海道)の小児科医師、福山桂子さん(69歳)が、被爆の苦しみを表現する一連の陶芸作品「広島、1945.8.6」を制作した。

 福山桂子さんは佐賀県武雄市生まれ。直接の戦争体験はないが、2歳から26歳まで広島市西区で暮らした。
 1945年8月6日に広島に落とされた原爆で、当時中学2年だった叔父の敬文さん(14歳)が死亡。叔母の淑子さんは被爆の影響で白血病にかかり、闘病のすえ一昨年に亡くなった。
 「戦後76年を経ても、被爆による放射能に苦しむ人がいる。核兵器が抑止力という名のもとで今でも存在していることに不安と恐怖、悲しみを感じる」と福山さん。これまで核兵器の話題はあまり口にしてこなかったが、叔母の発病をきっかけに怒りがふつふつとわき、趣味の陶芸で表現した。
 「(赤核)×(赤核)=0」と名付けた作品は、とげのような赤い突起で核兵器の恐怖を表現。「敬文と淑子」は亡くなった叔父と叔母の名前から。「黒い雨」は黒い三角錐に乗る10体の手で構成した。手には黒い雨のあとが残る。

2日後に亡くなった叔父

 福山さんは家族や被爆した小学校の教師から、当日の様子を聞いて育った。
 爆心地近くで建物を解体する作業中に被爆し、2日後に亡くなった叔父の敬文さんの様子は祖母から聞いた。救護所で瀕死の状態の敬文さんを祖父が発見。顔は焼けただれて判別できず、ベルトの留め金で分かったという。
 「叔父は戦争中『塩でいいから舐めさせてくれ』と訴えたそうです。砂糖は手に入らない時代。小さな子どもの願いもかなえてやれなかった悲しさを、母になって感じました」と、祖母の子を失った悔しさに涙を流す。
 夫の仕事の関係で26歳で北海道へ。33歳から民医連の勤医協札幌病院で小児科医として勤務する傍ら、3人の男の子を育てた。祖母や母も陶芸をしていたこともあり、子育てが一段落した47歳から陶芸を始めた。
 「茶碗など実用的な作品より、イメージを膨らませたものを造っている時が楽しい。自分の葛藤を土に込めている感じ。“解毒”のようなものですね」と笑う。
 コロナ禍で昨年の展覧会や個展は中止に。今年1月の核兵器禁止条約発効を受け、福山さんは「職員や患者さんと核や平和について考える
機会を持ちたい」と考え、企画書を作って勤医協札幌病院に提案。2月に感染対策に注意しながら、病院ロビーで写真パネルによる展覧会が開かれた。
 「作品を見て原爆の異様さと恐ろしさを感じ残像のように残った」「大切な人が残酷に殺されたことに胸が苦しい。叫びながら亡くなっていったんだと思うと怖かった」など展覧会の参加者から感想が寄せられた。

追い詰められた親子

 小児科の診療現場にも新型コロナの影響が。ストレスで腹痛や過呼吸を訴える子どもが増えてきた。親に言われたことを過剰に受け止め、真っ赤になるまで手を洗う子も。まじめな子ほど追い詰められている。診察室で突然、泣き崩れるお母さんもおり、大人にも相当なストレスがかかっている。
 海外留学で子どもの発達を学んだ福山さんは、一般外来のほか発達障害や不登校などの相談外来を設けており、時間をかけてじっくり話を聞く。知的障害者施設の嘱託医や保育園の園医も担当。「どの子も、どんないのちも大切。人間っていいなあ、といつも思う」と語る。
 「作品を見て、何かを感じてほしい。何らかの感情がわいてきたら、なぜ、その感情が起きたのかを考えてほしい。そこから先は見た人にお任せします」。


福山桂子(ふくやま・けいこ)
1977年、広島大学医学部卒。85年から勤医協札幌病院勤務。2005年に北海道陶芸協会入会。北海道陶芸展新人賞、大賞などを受賞

作品はインターネットで鑑賞できる。なお、11月5日から12日まで、埼玉県東松山市の丸木美術館(Tel0493・22・3266)で個展を開く予定。

いつでも元気 2021.8 No.357