けんこう教室
在宅医療がめざすもの(上)
私は民医連の研修医時代から40年近くの医師人生のほとんどの期間、在宅医療に関わってきました。それは医師として成長する道のりそのものでした。その中で私がたどり着いた「在宅医療がめざすもの」は、以下の3点です。
イ.患者にとって「当たり前の日常」を取り戻すこと
ロ.患者の「生きる意欲」を支えること。「命ある限り自分らしく日々を過ごしたい」―そんな患者の「生」を支えること
ハ.自分がしてほしいケアを患者家族に提供すること
医師(訪問診療)、訪問看護師(訪問看護)、クリニック看護師、ヘルパー(訪問介護)、セラピスト(訪問リハビリテーション)、ケアマネジャー、介護機器担当者、医療事務、往診担当ドライバーなど多職種連携によるチーム医療で、これらの実現を目指すのです(場合によっては難病担当保健師、歯科医師、薬剤師なども含む)。
在宅医療とは
病気や障害によって通院が困難になった患者を対象に、医師をはじめとする医療・介護従事者が定期的に訪問して、日常的な医学的管理とともに先のイ・ロ・ハを目指します。
法律上、「在宅療養支援診療所」の制度があり、24時間365日のサービス提供が義務付けられています。全国で約1万5000の診療所が届出をし、地域ごとの一覧もインターネットで検索できます。
対象者は
在宅医療の対象となる条件を表にまとめました。しかし、必ずしもすべての条件を満たす必要はありません。患者さんの中にはひとり暮らしで寝たきりの方もおられました。
私が所長を務める八尾クリニックの在宅患者の総数は105人。原因疾患は神経筋難病、脳血管障害、認知症、廃用症候群、骨折後の整形外科疾患、がんなどです。がん患者の大部分は末期がんのターミナルケア(在宅看とり希望)です。
また、在宅患者の約半数が寝たきりです。脳血管障害や骨折後など、病気は治ったものの重い障害が残ったり、神経筋難病やがんなど、病気の進行とともに障害が重度化する患者さんが多くいらっしゃいます。
病気を治すことを目的とした医療と違って、在宅医療は治らないことから始まる医療なのです。
在宅医療でできること
日常的な診療所外来でできることは、おおむね在宅でも可能です。現在、3人の人工呼吸の患者さんに加え、在宅酸素療法や胃ろうから栄養剤を注入(経腸栄養)している患者さんがいます。末期がんの緩和医療(痛みの軽減だけではなくこころのケア)にも取り組んでいます。
患者と家族にとって、安心・安全な在宅療養環境の整備も大切な課題です。
背上げや膝上げを調節できる電動ギャッジベッドや移動用リフト、車いすなど介護機器の導入を検討します。さらに住宅の改装・改造(手すり、スロープの設置)が必要になることもあります。コミュニケーションが困難な難病患者さんには「意思伝達装置」(次ページ写真)を導入します。
回復期リハビリテーション病棟からの退院の場合は、退院前に在宅療養のための環境整備が済んでいる場合が多くあります。
五感を刺激する
退院後の自宅で、当たり前の日常を取り戻しつつ生きる意欲を高めるためには、五感(見る、聞く、触る、匂う、味わう)が刺激される環境と条件づくりが大切です。リハビリテーション訓練などを通して、患者さんが日常的に移動できる生活空間を拡大することも望まれます。何人かの患者さんの例を紹介します。
◎Aさん(筋萎縮性側索硬化症)
全身の筋力低下で寝たきりのAさんは、人工呼吸器をつけています。自分の意思で動かすことができるのは眼球運動と口の開閉だけです。
嚥下障害のため胃ろうから経腸栄養を摂取していますが、Aさんの楽しみは食べ物を咀嚼し味わうことです。短冊型に切った食品をガーゼで包んで口内に入れて噛んだり、するめや貝ひもなどを噛みしめて味わうことはできます。妻が準備し、訪問看護師が介助する「お食事タイム」はAさんの1日のうちで最大の待ち遠しい時間です。
◎Jさん(神経難病)
人工呼吸器を装着したJさんと私たちスタッフ一同で、近くの古墳にお出かけしました。眼下に広がる風景、まぶしい光、さわやかな春風、私のオカリナの音色がJさんの五感を刺激します。日常的にお出かけするのは無理だとしても、できる限りこのような機会をつくりたいものです。
◎Oさん(神経難病)
人工呼吸器をつけて退院したOさんに、「家に帰って何が良かったか」を聞いてみました。Oさんは意思伝達装置を通して「びょういんでは かんじゃだったが いえでは ふうふげんかも できるし こどもも しかれます」とつづりました。夫として、親としての役割が果たせているということです。
妻は退院に合わせて造った浴槽にOさんを抱えて入れます。その光景をOさんは歌に詠みました。
ほそきみの われをいだきて ゆにいれし つまのひたいは たまのあせして
(細き身の我を抱きて湯に入れし妻の額はたまの汗して)
患者さんが「家に帰る」ことの意味を、これほどまでに教えてくれた歌を私は知りません。
在宅医療の費用
在宅患者には通常月2回の定期往診(訪問診療)と、必要な場合に臨時往診を行います。
患者負担は月2回の訪問診療の場合、
「在宅患者訪問診療料」+「在宅時医学総合管理料」(24時間365日対応)+「注射・処置・検査費用」となります。
当院の平均では1割負担で月7500円程度+薬代(薬局に払う)です。
負担を減らすために、身体障害者手帳や特定疾患、特別障害者手当の申請などを援助しています。さらに訪問看護や訪問介護、訪問リハビリテーションなどの介護保険サービスを受けると、原則1割の利用料負担が加わります。
執筆者の書籍紹介
『続 患者と家族に寄りそう在宅医療日記』
著者:大井通正
出版社:文理閣
定価:本体1600円+税
いつでも元気 2021.8 No.357