わたしは分断を許さない
聞き手・武田力(編集部)
3月に著書『わたしは分断を許さない』を出版したジャーナリストの堀潤さん。
自ら監督を務めた同名のドキュメンタリー映画も全国で順次公開されています。
「分断を乗り越えるために、私たちにできることは?」。
堀さんに話を聞きました。
「分断」というテーマを意識したきっかけは、2011年に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原発事故です。特に福島では事故後、原発や放射能に対する考え方、賠償金の額などによって、さまざまな分断が生まれました。
13年にNHKを退局してフリーになった後も、取材で福島へ通い続けました。原発事故から3年を迎えた頃、私はある番組で「福島では今も多くの人たちが苦しんでいます。忘れないでください」と呼びかけました。「被災者を置き去りにしないで」というメッセージを込めたつもりでした。
それに対し「被災地を想ってくれてありがとう」という声とともに、批判も受けたんです。「いつまで“福島はつらい・苦しい”とレッテルを貼り続けるのですか。私たちがここ数年、風評被害と闘ってきたことをご存じでしょう」って。
確かに福島は広い。原発のある浜通りとそれ以外の地域では状況が全く違うし、浜通りの中でも家族構成や生業などによって被災者の状況は個々バラバラです。
現場からそうしたニュアンスの違いを伝えていたはずなのに、私は知らず知らずのうちに「福島は」という主語を使ってしまった。乱暴な“大きな主語”を使うことで分断に加担し、人を傷つけてしまったと感じました。
“小さな主語”で語る
ではどうすれば分断を少なくできるのか。取材で出会った一人ひとりの物語を大切にして、“小さな主語”で語ることではないか。
「福島県富岡町で美容室を営んでいた深谷敬子さんは…」と主語を小さくすることで、各々が抱える個別の事情に焦点が当たります。一人の事実を見つめることで、「他の人はどうなのかな」という想像力にもつながっていく。
“大きな主語”は、どうしても事実よりイメージのほうが大きくなってしまいます。「日本は」「韓国は」「社会は」「若者は」などに続く言葉は、大雑把で不正確な極めて主観的なイメージで語られやすい。
さらに、このようにイメージが先行して流布する社会は、統治(コントロール)する側にとっては非常に都合がいいのです。インパクトのある派手なメッセージ、断定的なものの言い方に多くの人が心を揺さぶられて、あっという間に一つの方向に誘導されかねない。微妙なニュアンスや個別の事情は無視され、人間の尊厳や人権が踏みにじられることに鈍感になってしまいます。
メディアの役割
この10年間を見ても非正規労働が広がり、社会の格差が広がっています。多くの人が足もとの暮らしを維持するのに精一杯で、声をあげる余裕すら奪われている。個人の悪意というより、無知や無関心が分断を深めているように感じます。
こんな時代だからこそ、メディアの役割は重い。人々の不安を煽って部数や視聴者数を稼ぐのではなく、淡々と事実を積み重ねて真実に近づく努力が求められます。受け手に関心を持ってもらえるような切り口や工夫も大切でしょう。
私は現在、市民がニュースを発信するメディア「8bitNews」代表を務めています。インターネットやSNSを通じて、個人や当事者が発信しやすくなったことは明るい材料かもしれません。私自身もタブーなく、さまざまな現場に出かけて発信を続けています。
書籍のタイトル『わたしは分断を許さない』というのは、かなり強い口調に聞こえるかもしれません。私もはっきり言うのは勇気がいる。でも「わたし」はとても“小さな主語”です。健全な民主主義のためには一人ひとりの意見表明が保障されなければならないし、そういう社会をつくっていこうという私の決意表明でもあります。
ドキュメンタリー映画
「わたしは分断を許さない」
監督・撮影・編集・ナレーション:堀 潤
プロデューサー:馬奈木 厳太郎
脚本:きたむら けんじ
編集:高橋 昌志
詳しくは
【映画配給・宣伝】太秦株式会社
Tel.03-5367-6073
Fax.03-6903-6970
『わたしは分断を許さない』
出版社:実業之日本社
価格:本体1800円+税
いつでも元気 2020.11 No.348