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いつでも元気

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けんこう教室 
コロナ後の社会

 コロナ禍は現代の社会システムが抱えるさまざまな問題を浮き彫りにしました。
 世界的な流行の収束はまだ見通せませんが、コロナ後の社会のあり方を模索する動きが始まりつつあります。
 今回は『感染症と文明』(岩波新書)などの著者として知られる、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授による特別寄稿です。

長崎大学熱帯医学研究所 国際保健学分野・教授 山本 太郎

長崎大学熱帯医学研究所
国際保健学分野・教授
山本 太郎

 感染症は、私たち人間が自然の一部である限りなくならない。そしてウイルスは、私たち人間社会の弱点をつくようなかたちで現れる。20世紀、世界的に流行したエイズやスペイン風邪を例に、いかに社会のあり方が感染症を選択し、パンデミック(感染爆発)を性格付けたのか見てみたい。
 エイズウイルスは、それ以前にもヒトに感染したことはあったに違いない。しかし、ウイルスはヒト社会に定着することなく、ヒト社会へそのかすかな痕跡を残して消えた。そうした機会は一度や二度ではなかったはずだ。
 それが1920年代初頭の社会状況の中で、足場を確保することに成功する。例えば欧米の植民地経営は、鉄道や港湾の建設を通して都市に男性労働者を集積し、そこで暮らす人々の男女比を極端に歪なものとした(1910年のレオポルドヴィル※1における成年の男女比は10対1であった)。それが都市における売春と性産業の隆盛をもたらした。
 一方で近代医学の導入は、当時アフリカで風土病的に流行していた眠り病やイチゴ腫、梅毒の治療を可能にした。その際、砒素系化合物が治療薬として用いられ、大規模な注射が大陸全体で繰り返された。装備はわずかに3台の顕微鏡と6本の注射器しかなかったが、介入は効果的で新規の感染率は減少した。
 41年、フランス領アフリカで使用された砒素系治療薬の総量は、約40万バイアルにも上った。1バイアルあたり数回の投与が可能であることからすれば、全土で数百万回の皮下注射、あるいは静脈注射が行われたことになる。注射針を介してエイズウイルスは拡散し、売春と性産業がそれに輪をかけた。※2

 

◇ 急速な拡大と強毒化

 1918年から19年にかけてパンデミックとなったスペイン風邪も例外ではない。最初の流行が始まったのはアメリカ東海岸だった。当時の公衆衛生担当者は、次のような言葉を残している。
 「まず木工職人と家具職人をかき集め、棺作りを始めさせておくこと。次に、街にたむろする労務者をかき集めて墓穴を掘らせておくこと。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくという事態は避けられるはずだ」。
 18年といえば、第一次世界大戦の末期で、アメリカがヨーロッパ戦線への参戦を決めた年だった。若い兵士たちは船で大西洋を渡り、西部戦線へと向かった。船は混み合い、前線では兵舎や塹壕で多くの兵士が密集した。それがウイルスの拡大を速めた。
 急速なウイルスの拡大が病原性を高め、高い致死率をもたらした可能性は否定できない、と個人的には思っている。もしスペイン風邪の流行が、この大戦時以外に起こっていたとしたらどうなっていただろう。流行はやがてパンデミックに至ったとしても、それに至る時間はもう少し長く、感染拡大は緩やかだった可能性は高い。これは示唆的でもある。
 急速なウイルスの拡大がウイルスを強毒化したとすれば、流行の速度を緩やかにすることはウイルスを弱毒化する点で有効だ。それが、私たちが外出などを自粛し、社会的距離をとることの一つの理由ともなる。

◇「社会のあり方」の再考を

 なぜ、ある感染症が流行したのか、あるいはするのか。これまで私たち研究者は、その原因を一生懸命に考えてきた。しかし、どうやらその考え方は“逆”ではないかと、近年思い始めている。流行する病原体を選び、パンデミックを性格付けるのは「ヒト社会」、あるいは大きく「ヒト社会のあり方」なのではないかと。
 古くは、中世ヨーロッパの十字軍や民族移動によってもたらされたハンセン病。18世紀の産業革命による環境の悪化が広げた結核。植民地主義と近代医学の導入がもたらしたエイズ。第一次世界大戦という状況下で流行したスペイン風邪―。
 その意味では、今回の新型コロナウイルス感染症も例外ではない。ヒトの行き来により格段に狭くなった世界、グローバル化や都市化…。そうしたものが、ウイルスをヒト社会に定着させる原動力として働いた。
 これに対し、新たな生活規範の導入や行動の監視によって、新型コロナウイルスに強い社会を作ろうという提言もある。しかし、ここで立ち止まって考える必要があるとも思う。
 感染症は、私たち人間が自然の一部である限りなくならない。そしてウイルスは、私たち人間社会の弱点をつくようなかたちで現れる、とこの文章の冒頭で述べた。
 とすれば、そうした新型コロナウイルスに強靭な社会を作ったとしても、新たなウイルスはその社会の弱点をつくかたちで、私たち人間の前に現れてくるに違いない。
 私たちに必要なことは、どのようなウイルスが現れようと、そうしたウイルスに対応できるしなやかで柔軟な社会を作り上げておくことではないか。そうしたしなやかで柔軟な社会は、市民のエンパワーメント(社会や組織の構成員一人ひとりが、改革に必要な力をつけること)を通した民主主義的手法によってのみ、達成できる気がする。

◇ 未来を想像する力

 パンデミックは、しばしば社会変革の先駆けであった。新型コロナウイルス感染症の流行が今後どのような軌跡をとることになるのか、現時点で正確に予測することはできない。
 しかし、私たちには未来を想像する力がある。そして一人ひとりの想像の先にしか、社会の未来はない。その時に大切なことは、明日への「希望」ではないか。
 強圧や分断ではなく、市民の自律的な参加や連帯の力を引き出すために、どのような働きかけが求められているか。歴史が示す教訓に学びながら、私たちの想像力が試されている。


ペスト医師(メディコ・デッラ・ペステ)。中世のペスト医師は、都市に雇用され、貧富の隔てなく治療に当たった。当時は、悪い空気(瘴気)が感染源と考えられていた。悪い空気から身を守るため、香辛料を詰めた嘴状のマスクを着けた。ペスト医師になることは大概の場合、喜ばしいことではなく、辛く危険な仕事であった。流行時、彼らが生き残る可能性はわずかであったという。(山本太郎)


※1 現在のコンゴ民主共和国の首都キンシャサ
※2 詳しくは『エイズの起源』(ジャック・ペパン著、山本太郎訳、みすず書房)


山本 太郎(やまもと・たろう)
1990年、長崎大学医学部卒業。98年、東京大学大学院医学系研究科博士課程国際保健学専攻修了。JICAジンバブエ国感染症対策プロジェクト・チーフアドバイザー、京都大学大学院医学研究科助教授、外務省国際協力局などを経て、長崎大学熱帯医学研究所教授。著書に『新型インフルエンザ』『感染症と文明』『抗生物質と人間』(以上、岩波新書)、『国際保健学講義』(学会出版センター)など

いつでも元気 2020.9 No.346