響け 民衆の歌
文・新井健治(編集部) 写真・酒井猛
代々木病院 精神科デイケア
パソコンの画面に患者をはじめ医師や看護師の顔が次々に。高らかな歌声は、自身の病気にもコロナにも負けず新たな明日を願う気持ちだ。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌で有名な「民衆の歌」※を“合唱”したのは、代々木病院(東京民医連)精神科デイケアの皆さん。コロナ禍で集まれないなか、個々に撮影し一本の曲に仕上げた。YouTubeにアップされると、「力強い歌声に感動」「また皆が集まって歌うことができる日を心待ちにしています!」と評判だ。
※民衆の歌 ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌。1832年のパリ、圧政と貧苦にあえぐ市民が蜂起する場面で歌われる。2012年の映画化で有名になり、国会前の抗議行動や香港の「雨傘革命」などでも歌われた
♪ 戦う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる ♪
精神科デイケアは統合失調症や双極性障害(躁うつ病)の患者らの生活の拠点。ここでは患者とは言わず、「メンバー」という。メンバーは絵を描いたり歌ったり、料理や書道などさまざまなプログラムを通して社会復帰を図るが、コロナの影響で活動の多くが中止に。歌うことも奪われた。
4月に緊急事態宣言が出ると、そもそもデイケアを続けるべきか、職員間で議論になった。3歳の娘がいるデイケア看護師の吉田未来さんは「私が感染したら、娘にもうつしてしまうかもしれないという怖さがあった。一方、病院の緊張した雰囲気の中で『そんなことを言ってはいけない』との気持ちもあり、その狭間で葛藤しました」と振り返る。
デイケアは治療の一環ということで感染予防に努めながら時間を短縮して続けたが、「一人じゃないことを大切にしているデイケアにとって、3密を避けることはとてもきつく、先が見えない不安ものしかかった」と話すのは精神保健福祉士の武藤千絵さん。
武藤さんはメンバーがデイケアに通う目的を見いだせるように、そしてコロナとの闘いの第一線で頑張る病院職員に感謝の気持ちを伝えようと、「民衆の歌」の動画撮影を思いついた。
民衆の歌はもともと、デイケアの合唱団「ハートビートコーラス」の持ち歌。メンバーの藤井さんが、2015年に安保法案に反対する国会前集会で歌われているのを聞いて感動。「ぜひ合唱団でも歌いたい」と提案した。
動画撮影はスマホを操作できる人は自宅で、それ以外の人はデイケアでピアノの伴奏に合わせて行い、病棟や外来の看護師も含め70人が参加。作業療法士の加藤健史さんが個々の画像を編集した。
「最初は画像を編集するためのソフト探しから始まった。データが大きくて送れないとの相談も多く、苦労しました」と振り返る。
葛藤そのものを残す
「なかなか会えないメンバーとも画面越しに顔を見ることができる。一日一回は動画を見て元気をもらった」と話すのはメンバーの渡辺さん。
「双極性障害II型の病気のため、落ち込んだり、ハイになったり、一人でいるとタガが外れたようになってしまう。デイケアが開いていて良かった」と言う。
自宅で動画を撮影したメンバーの梅津さんは、コロナ禍で仕事を失った。「歌は自分自身を表現でき、心の回復に役立つ。YouTubeで発信することで社会参加にもなりました」と話す。
看護師の吉田さんは娘とともに自宅で歌った。「葛藤そのものを映像で残しておくことが大切。後から見た人が何かを感じてくれれば。動画を見た娘は『ママがお友達と歌っている』と、曲が流れると歌いだすんですよ」。
マスクで役割づくり
動画作りと並行して、デイケアでは職員用のマスクも作った。メンバーの高橋さんは「毎日、マスクが誰かの手に渡る。役割があることが、ありがたかった」と振り返る。
高橋さんは緊急事態宣言中に亡くなった祖父の葬儀に行けなかった。デイケアに通うことを「誰かにうつしたらどうしようと、すごく悩んだ。リスクがあるのに、自分のために通うことに罪悪感がありました」と明かす。
「デイケアは『おはよう』とあいさつするだけで受け入れてくれる。社会の役に立たなくても存在できる。自宅と職場の往復しかなかった私にとって大切な居場所です」と高橋さん。
精神保健福祉士の武藤さんは両親と子ども2人の6人家族。昨年末に大病した父には緊急事態宣言前に実家に避難してもらい、子どもとの接触を避ける生活が続いた。
「病気のせいで役割を奪われたり、自分なんて必要ないと感じていたメンバーにとって、歌とマスク作りが励みになれば。いつかまた皆と歌えるその日まで、長い闘いは続きます」と言う。
デイケアの部屋の壁には「歌うことは生きること」と貼ってある。民衆の歌の最後は、こんな歌詞だ。
♪砦の向こうに憧れの世界
みな聞こえるかドラムの響きが
彼ら夢見た明日が来るよ♪
いつでも元気 2020.8 No.345