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いつでも元気

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やんばるの森に銃弾のゴミ 
沖縄

森住 卓(写真家)

やんばるの森に放置されたライナープレートの上を歩く宮城さん

やんばるの森に放置されたライナープレートの上を歩く宮城さん

 沖縄最大の米軍基地「北部訓練場」
 2016年に約半分が返還されたが、跡地には銃弾や手榴弾、発煙筒、照明弾など数々の廃棄物が残ったままだ。
 ところが、日本政府は軍のゴミが散乱する訓練場の跡地を含む「やんばるの森」を、世界自然遺産に登録することを目指すという。
 写真家の森住卓さんの報告です

北部訓練場 
沖縄県北部の国頭村と東村にまたがるアメリカ海兵隊の基地。1957年、米国に強制接収された。返還後の総面積は35.33㎢
やんばるの森 
世界的にも数少ない亜熱帯照葉樹林の森。国の特別天然記念物のノグチゲラや天然記念物のヤンバルクイナなど希少な動植物が生息しており、“奇跡の森”と呼ばれる
世界自然遺産
ユネスコが登録する世界遺産のひとつ。世界遺産には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3種類がある。日本では知床、屋久島、白神山地、小笠原諸島が世界自然遺産に登録されている

 「これを見てください。米軍が放置した銃弾の空包ですよ」―。蝶の生態研究家、宮城秋乃さんが大量の銃弾の空包を見せてくれた。ここは沖縄本島北部、国頭村と大宜味村、東村にまたがるやんばるの森。ヤンバルクイナなど希少な動植物が生息しており、日本政府が今夏にも世界自然遺産の登録を目指している。やんばるの森と返還前の米軍北部訓練場は大部分が重なっている。
 2016年、SACO(沖縄に関する日米行動委員会)で、北部訓練場の北側半分の返還が決まった。返還地内にあった7カ所のヘリパッド(ヘリコプターの発着帯)を、残る訓練場内に移設させる条件だった。
 当時、安倍首相は沖縄の米軍基地の負担軽減だと喧伝。返還された土地は汚染物質などの除去が完了したとして17年に引き渡され、政府はやんばるの森を世界自然遺産に推薦した。
 世界自然遺産の当否を決める「国際自然保護連合」は18年、「返還跡地を含めれば景観や生息地の連続性が良好になる」として、北部訓練場跡地も推薦対象に組み込むよう勧告。日本政府は昨年2月に返還地を組み込んだ形で再推薦した。 
 だが、この推薦に疑問を投げ掛けた一人の女性がいた。宮城さんだ。「世界自然遺産に登録されて人々の意識や関心が集まり、本当に自然が守られるのなら良いこと。でも、米軍の廃棄物を放置したままの登録はないでしょう」と顔を曇らせる。

北部訓練場跡地で発見された銃弾の空包

北部訓練場跡地で発見された銃弾の空包

珍しい蝶のいる森

 宮城さんは2011年からやんばるの森で蝶の生態調査を始め、準絶滅危惧種「リュウキュウウラボシシジミ」の個体群を新川川流域で初めて確認、学会誌に発表した。
 新川川は東村の高江地区にある。米軍は北部訓練場の返還地内にあったヘリパッド6基を高江集落を取り囲むように建設、住民が猛反対していた。
 宮城さんは研究者の立場から、ヘリパッドの建設とオスプレイなど米軍演習で騒音が激化し、蝶をはじめ森の貴重な生態系が大きな被害を受けると警告。「米軍の廃棄物が残されたままで、世界自然遺産になってよいのでしょうか」と訴えるとともに跡地を調査。広大な森の中を一人で歩いて軍のゴミを集めている。

大量の鉄板を発見 

 1月下旬、宮城さんに北部訓練場の跡地を案内してもらった。林道を踏み分け急な斜面を30分ほど登ると、ヘリパッドが見えてきた。頂上部分は赤土や岩が露出、切り開かれた広場になっている。宮城さんはここで、最近も米軍ヘリが着陸しようとする場面を目撃。「返還後も訓練に使っているのではないか?」と言う。
 北部訓練場の正式名称は「ジャングル戦闘訓練センター」。米軍はやんばるの森の複雑な地形を敵国のジャングルに見立て、対ゲリラ訓練やヘリコプター演習などを行ってきた。
 ヘリパッドの脇から藪をかき分け谷沿いに下ると、土砂崩れ防止用の「ライナープレート」と呼ばれる波型の鉄板を大量に発見した。
 鉄板の回収のため、沖縄防衛局は昨年「植生回復調査等業務」として1億6000万円の予算を計上。しかし宮城さんの調査によると、今年3月時点で鉄板はほとんど手付かずのまま。「こんなでたらめなことで、世界遺産の登録はできないでしょう」と言う。

猛毒の化学物質も

 返還地内の別の場所の沢沿いを下りていくと、錆び付いたドラム缶が放置されている。ドラム缶は半分が土に埋もれていた。
 この付近の土壌を調べたところ、毒性の強いPCBやDDT、BHCが検出された。「ドラム缶は長い年月が経過しており、過去に酷い汚染があった可能性もある。私の調査はほんの一部だけ。米軍と国の責任で返還地全域の大規模な調査が必要」と力を込める。
 「そもそも化学物質で汚染される可能性が高い軍事訓練場を、こんな自然度の高い場所に造ること自体が許されない。沢の水はダムに流れ込む。ここは沖縄県民の大切な水瓶なんです。県民の命を脅かす問題なんです」。

虫が遊び友達

 宮城さんは沖縄本島中部、うるま市の浜比嘉島出身。小さい頃、バッタや蝶が遊び友達だった。母が買ってくれた昆虫図鑑はぼろぼろになるまで読んだ。中学生の頃には顕微鏡で蝶の鱗粉を観察、「なんて美しいんだ」と思った。大人になっても昆虫への興味は尽きなかった。
 2月初旬、宮城さんはやんばるの森で、旅行会社が企画したツアー客対象の自然観察会を開いていた。暖冬の今年はすでに梢の先に新しい芽が出ている。ヤンバルクイナやノグチゲラの鳴き声が新川川の水音と共に響き心地よい。
 川沿いに一本の朽ち果てようとするタブノキが立っていた。このあたりは宮城さんが初めてリュウキュウウラボシシジミの大発生を発見した場所だ。

いっぽんの木の物語

 宮城さんはここで、いっぽんの木の話を始めた。
 鳥が食べた種が運ばれ、糞と一緒に土の上に落ちたり、川の流れに乗ったり、さまざまな手段で運ばれ、いろいろな場所に広がり芽を出した。たくさんの種がある中で一部の種が芽を出し、虫に食べられることなどを逃れたものだけがやがて大木に育った。
 私たちがいま、見ている植物は奇跡のように生き残ったもの。木の葉や根や幹や実など、各部位が昆虫の餌となり、その虫をクモや鳥やトカゲが食べる。彼らはそのまま、その木をすみかにするものも多い。
 寿命がきた木はやがて枯れてゆく。樹皮には地衣類やキノコ、コケが生え、それを食べる虫がやって来る。甲虫が産卵し、中に住み着いた幼虫が幹を食べながら細かい木くずにしていく。さらにキツツキが、幼虫やシロアリといった餌を採るために木を突き壊す。
 細かくなった木は地上に落ち、地上や地中の生物の作用を受け土になっていく。木は枯れて土になるまで、生き物たちに餌とすみかを与え続ける。そして、その土は新しい役割を担うのです―。
 たった一本の木が“物語”になり、観察会参加者の目が輝いた。物語は命の連鎖、輪廻の世界を説いている。自然の中で生かされている動植物の命の愛おしさ、人間も生き物であり、例外ではないことが分かる。宮城さんはまるで森の哲学者のようだ。
 「人間は自然の中で生かされていることを忘れてしまっている。森が壊されることは地球温暖化にもつながる」と宮城さん。小さな身体で広大な米軍基地返還地内を歩き回り、放置されたゴミを拾い集めることは気の遠くなるような作業だ。
 3月、やんばるの森は新緑に包まれ最も美しい季節を迎えた。森は多くの命を育み、次の世代に引き継がれていく。だが森には広大な訓練場が残され、いまも軍用ヘリやオスプレイが低空飛行訓練を繰り返している。

いつでも元気 2020.7 No.344