あすをつむぐ看護
文・奥平亜希子(編集部)
写真・豆塚猛
気がついたら病院のベッドにいた。体にはたくさんの管がつき、絶えず機械の音がする。目が覚めたとき、もしも自分の身にそんなことが起きていたら、何を思うだろうか。
京都民医連中央病院(京都市)の3階にある「HCU」(ハイケアユニット)。日本語で「高度治療室」と言い、重症度の高い患者が入院する。ベッドのまわりには点滴やたくさんの機械が置かれ、患者の体とつながっている。異常を知らせる電子音もあちこちで響く。
そんな緊張感漂う病室の壁に、色鮮やかなカレンダーが。「スタッフ全員で病院特有の“冷たい感じ”を、少しでもやわらかくできるように工夫しています」と話すのは、HCU看護師長の三宅和美さん。
人は生活の中で、今日が何月何日なのか、暑いのか寒いのかなどを気にしながら生活している。しかし、HCUではベッドから動けないため、日付や昼夜の感覚が分からなくなってしまう。少しでも生活感や季節感を感じられるようにと、12床全てのベッド脇に写真付きのカレンダーを掛けている。
「患者さんがラジオが好きだと分かれば、耳元にラジオを置いて放送を流すこともあります」と三宅さん。患者には入院する前の“日常”がある。HCUでは命を救うための治療が最優先されるが、めざすのは退院、そして日常に戻ることだ。だからこそ患者の家族や職場の人からも話を聞き、病室を日常に近付ける工夫をしている。
病室にいる時間も人生の一部
HCUでは人工呼吸器をつけている患者の「ダイアリー」を作る。ダイアリーは病室での出来事を、本人に代わり職員や家族がつづる日記だ。
患者の名前が書かれた日記をめくると、最初のページには病室にやってきた日のことが書かれていた。写真とともに「今日はいろいろ検査をやって大変でしたね。これから一緒にがんばっていきましょうね」という看護師のコメントが。ページを読み進むと、まだ意識の戻っていない患者のベッドのまわりを、見舞いに来た家族が囲んでいる写真もあった。
なぜ日記をつけるのか。三宅さんは「どんなことをしたのか、誰が来たのかを写真や文字で記録しておいて、意識が戻ったときに『こんなんやったんや』と話をするんです。記憶がない間の時間を埋めやすくなってせん妄予防にもなりますし、家族も日記を見て『こんな治療をしてたんですね』と知ってくれます」と話す。
人工呼吸器をつけている患者はしゃべることができない。意識が戻っていない場合も多い。たとえ今は意識がなくても、病室にいる時間も大切な人生の一部。その思いは家族や友人も同じだ。みんなでつづるひとつの日記が、患者と患者を想う人の離れている時間をつないでいた。
一人ひとりの顔を見ながら
京都民医連中央病院は、昨年11月に中京区から右京区に新築移転した。これまで右京区にはHCUがある病院はなく、高度な治療が必要な患者は区外の病院に行かざるを得なかった。同院はHCUを持つ唯一の病院として急性期医療を担う。三宅さんは「だからこそ医療のクオリティー(質)にもこだわりたい」と語る。
午前10時、医師や看護師、リハビリ職員、生命維持管理装置の操作などを担う臨床工学技士が患者のベッドまわりに集合し、状態を見ながらのカンファレンス(検討会議)が始まった。
HCUでの入院期間は平均4日ほどと短い。容態も不安定で本人の意思を聞けないことも多いなかで“その人らしい医療”を追求することは容易ではない。それでも「医療者中心の医療にならないように意識しています」と三宅さん。
あくまでも中心にいるのは“人”。どんなに優れた技術があっても、患者についている機械だけを見ていては一方通行な医療になってしまう。「なんのためにこの処置を行うのか」を常にみんなで確認しながら、患者本人をありのままに見て治療しようとあの手この手を探る。だからこそ、カンファレンスも一人ひとり患者の顔を見ながら行う。
ハイケア(高度治療)、ハイクオリティー(高品質)、そして心の通う“ハートフル”なHCU。京都民医連中央病院のめざす“3つのH”はこの先も、地域の人々の安心を支えていくだろう。
いつでも元気 2020.4 No.342