震災から9年
原発を止めた裁判官
聞き手・武田 力(編集部)
1月17日、広島高裁が四国電力伊方原発(愛媛県)の運転差し止めを命じる仮処分を決定しました。
2011年の福島第一原発事故以来、原発の運転差し止めを認めた司法判断は5件目となります。
2014年5月、関西電力大飯原発(福井県)の運転差し止め判決を出した福井地裁の樋口英明裁判長(当時)は定年退官後、各地で判決に込めた思いを語っています。
「判決は正しかったと確信を深めている」と語る樋口さんにお話を聞きました。
裁判が始まる前は、住民側と関西電力が“原発の耐震性”について争うことを予想していました。原発の構造に関する専門的な込み入った議論も覚悟していた。ところが驚いたことに、「原発は強い地震に耐えられない」という点では争いがなかったのです。
大飯原発の耐震設計の基準は700ガル※でした。関西電力は「その1・8倍の1260ガルまで耐えられる」「それ以上の地震は(大飯原発には)来ない」と主張しました。
私はこの裁判の最も重要な争点が「地震予知はできるのかどうか」という点にあると気付きました。地震学は「観察できない」「実験できない」「資料がない」の三重苦と言われ、科学的な解明がなされていません。まして将来予測は最も難しく、不可能に近いでしょう。私は関西電力の主張には合理的な根拠がないと判断しました。
多くの裁判官は、原発訴訟を高度な専門技術を扱う「複雑困難なもの」と誤解しています。気をつけて訴訟を指揮しないと、法廷がさまざまな学者の意見を聴く学術論争の場になりかねない。私はこの裁判については、過去の裁判例を読み込むことをせず、自分の頭で一から大事なポイントを見極めようと考えました。争点が明確になってみると、わりと簡単に良識と理性で判断できる問題だと分かりました。
※ガル 地震の揺れの勢いや激しさを表す加速度の単位
あまりに低い基準
原発事故は想定される被害が甚大で広い範囲に及ぶので、それに応じた高度な安全性と信頼性が求められます。その点から見て、大飯原発の耐震設計の基準(700ガル)はあまりにも低すぎる。現実に1000~2000ガルを超える地震は、日本中で何度も起きているのです(表)。
東日本大震災以降、原発の耐震設計の基準が上がったと言われます。しかし抜本的な工事をせずに、計算上の数値を上げているだけです。
さらに原発は地震の際、運転を止めただけでは駄目で、冷やし続けなければメルトダウンして放射能漏れを起こしてしまう。こうした原発特有の危険性に対し、給水設備や電気系統を含めた十分な対策はとられていません。
地震は日本全国どこで起こるか分からないため、動かしていい原発など、日本に1つもありません。
判決文に込めた思い
大飯原発運転差し止めの根拠として、判決文の冒頭に、人格権は憲法上の権利(13条、25条)で「これを超える価値を他に見出すことはできない」と書きました。
私はいわゆる“人権派”ではありません。でも、いのちを守り生活を維持する権利が何より大事だというのは、ほとんどすべての法律家が認識していることです。
判決文の「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」というのは、いわば“保守”の表現だと思います。営々と築かれてきた美しい国土を守りたいというのは、言葉を換えて言えば“愛国心”です。原発事故は、国も郷里も経済の基礎もすべてを吹き飛ばしてしまいます。
「国民の“原発再稼働反対”の声は裁判官の耳に届いていましたか」と聞かれることがあります。しかし、その民意は政治家に向けてほしい。裁判官は純粋に論理の世界に生きているので、多数決で判断するわけではないのです。
仮に今後「原発をどんどん稼働して」という声が圧倒的な世論になったとしても私は全く迷いません。むしろ判決当時より確信が深まっています。
憲法の精神
弁護士は依頼者の意向や利益にそむけませんが、裁判官はその良心に従って憲法と法律に忠実であればいい。今の憲法は本当によくできています。自分の良心と憲法の精神が衝突して、悩んだり葛藤したりする心配がない。私は裁判官として、定年まで自由に仕事をできた実感があります。
差し止め判決は憲法の精神を忠実に守って、論理的に考えた結果です。私は司法に対する希望を捨てていません。さらに世論の力が政治家を変えていけば、必ず原発は止まります。
大飯原発運転差し止め判決
(2014年5月21日)抜粋
人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。
このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
いつでも元気 2020.3 No.341
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