中国帰国者二世に国の支援を
終戦前後の混乱のなか、日本に帰国できず中国に取り残された「中国残留邦人」※。1980年代、肉親と涙の再会を果たす中国残留孤児の姿がテレビで放映され関心を集めた。中国残留邦人の一部は永住帰国したが、その子どもたち(中国帰国者二世)がいま、深刻な生活難に直面している。ふくおか健康友の会中央支部運営委員で、日中友好協会福岡県連合会副理事長の星野信さんの報告です。
皆さんは「満蒙開拓移民」との言葉を聞いたことがありますか。1931年の満州事変以降、日本政府の国策によって中国大陸東北部の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民のことです。
彼らの一部は幼くして中国に取り残され、40~50歳を超えてようやく祖国日本に帰国。ところが日本語も話せず、就職先も斡旋されないまま、低賃金・過酷な労働を余儀なくされ貧しい生活を強いられてきました。
しかしこのような境遇は、政府の満州移民政策や日本軍による民間人の置き去り、国の引揚事業の放置と遅れという戦中、戦後の国策がもたらしたもの。中国帰国者の責任によるものではありません。
そこで2002年、中国残留孤児の約9割にあたる2211人が原告となり国家賠償請求訴訟を起こしました。07年に議員立法で「新支援法」が成立し、中国帰国者に対して老齢基礎年金の満額支給と支援給付金の支給などが決まりました。
年金は1万9000円
ところが、新支援法は帰国者二世には一切適用されません。高齢になった二世の生活は経済的に困窮し、多くが生活保護に頼らざるをえない状況です。「人間らしく生きたい」という思いが募り、苦難のたたかいを体験した一世の皆さんにも励まされ、14年に「福岡県中国帰国者二世の会」が発足しました。会はその後、熊本、長崎に広がり、「九州地区中国帰国者二世連絡会」という名称に変わりました。
連絡会会長の小島北天さん(72歳)は1947年、中国東北部で中国人の父と残留邦人の母の間に生まれました。母の帰国に伴い96年に49歳で日本へ。日本語がうまく話せず転職を余儀なくされ、正社員で働けたのは4年間だけです。年金は月にわずか1万9000円で、今でも働かないと生活できません。
連絡会は「二世にも国の支援を」と、一昨年3月から国会請願署名に取り組んでいます。新支援法を改正し中国帰国者二世に対して支援給付金と老齢基礎年金を支給すること、自立支援通訳の派遣で医療・行政サービスや日本語学習が容易に受けられるようにすることなどを求めています。
一家5人の逃避行
日中友好協会福岡県連合会は昨年9月、「東北三省をめぐる平和の旅」を行いました。東北三省とは満州と呼ばれていた中国東北部の遼寧省、吉林省、黒竜江省を指します。
平和の旅には中国残留孤児だった川添緋砂子さん(83歳)も参加。ハルビン市(黒竜江省)を流れる大河・松花江のほとりに立ち、今は亡き父母に「会いに来たよ」と、お孫さんとともに線香を捧げました。
ハルビン市は川添さんが幼少期を過ごした街。郵便局員の父は、佐賀県唐津市から転勤で旧満州へ。そこで川添さんが生まれます。
終戦直前、旧ソ連軍の空爆のなか、当時9歳の川添さんと2人の妹、両親の一家5人の逃避行が始まります。草や木の根を生のまま食べ、夜は木の下で寝ました。逃避行の最中にソ連軍に捕らえられ、牡丹江市(黒竜江省)の収容所に。母はそこで出産し死亡。その後に移されたハルビン市の収容所で、父も息を引き取りました。
川添さんは飢えと寒さで餓死寸前の状態で、亡くなった父親を立って見送ることもできませんでした。父は亡くなる直前、中国の友人に川添さんたち姉妹のことを頼んでくれていました。父が亡くなったその日の夜、5~6人の中国人が収容所から姉妹を助け出してくれました。妹は別の中国人に引き取られ、今も行方が分かりません。
二世も戦争の犠牲者
川添さんは中国人の養父母の愛情を受けながら必死で中国語を覚え、師範学校を首席で卒業。小・中・高の教師を務め、47歳で帰国しました。「妹はどこかで生きていることを願っています。戦争は私の家を破壊し、家族を殺してしまいました」と振り返ります。
川添さんは現在、「九州帰国者の会」事務局長を務めます。「戦争は私たちのような犠牲者をつくりました。その子ども世代の帰国者二世も戦争の犠牲者。人間らしく生きたいという願いがかなえられるよう、署名に協力を」と呼びかけます。国会請願署名は昨年10月時点で1万2000人分を超えました。
問い合わせは日中友好協会福岡県連合会(☎092・761・0604)へお願いします。
※中国残留邦人
戦争中に中国東北部(旧満州)に移住。1945年の終戦時の混乱で肉親を失うなど、日本に引き揚げることができず戦後も中国に残った人たち。終戦時に13歳未満だった子どもは残留孤児、13歳以上の女性は残留婦人と呼ばれる。日本に永住帰国した残留邦人は6724人で、うち残留孤児は2557人。厚労省は日本に移り住んだ二世の数は把握していない。
いつでも元気 2020.3 No.341