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いつでも元気

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韓国で若手職員が研修

文・写真  松本宣行(東京民医連)

多くの若者が座り込む韓国の「水曜集会」。中央が平和の少女像

多くの若者が座り込む韓国の「水曜集会」。中央が平和の少女像

 全日本民医連反核平和委員会は昨年9月24~27日、第7期平和学校の一環として韓国のソウル市内で研修し、若手職員ら26人が参加した。
 「民主主義は血を飲んで成長する」との言葉がある韓国には、幾多の闘いと弾圧の歴史がある。
 反核平和委員として同行した松本宣行さん(東京民医連)のルポです。

全日本民医連は平和活動の担い手を育成する目的で37期(2007年)から2年に1度平和学校を開催、これまでに全国で208人が卒業した。
 第7期は第1(6月)、第2(9月)、第3(11月)の3クールを開催。韓国研修は第2クールに当たる

 最初の訪問先は「日本軍性奴隷制被害者」が暮らすナヌムの家。日本では「従軍慰安婦」と言われるが、韓国では日本軍性奴隷制被害者との表記が一般的になりつつある。
 開設当初は40人の被害者が暮らしていたが現在は6人。アジアの留学生との交流で日本の負の歴史を知ったという日本人職員の案内で、併設の歴史館も見学した。再現された慰安所を見た男性参加者から「怖い」という声が漏れる。同館に残された被害者の小さな立体手形から、植民地時代の栄養状態の悪さがうかがえた。
 参加した小林菜緒さん(石川、城北病院・事務)は「この先、被害者のハルモニ(おばあさん)がいなくなってしまったとき、この事実が忘れられてしまうことがあってはならない。通訳の黄慈恵さんは『誰かの勇気で歴史の事実が分かる』と言いました。話したくないことを、勇気を出して話してくれたハルモニたちの気持ちを無駄にしてはいけない」と話す。
 ハルモニには笑顔で迎えていただいたが、これまでの人生を思うと複雑な気持ちになる。ともに歌った「アリラン」が耳奥に響いた。

小さな「平和の少女像」

 毎週水曜日、韓国の日本大使館前で行われる「水曜集会」。日本軍性奴隷制被害者とその支援者が、日本政府に謝罪と賠償を求めている。
 韓国はちょうど小中学生の社会科見学のシーズンで、集会にも多くの生徒が参加していた。日本とは比較にならない大規模なデモが起きるのも、子どものうちから歴史と民主主義を学んでいるからではないか。子どもが自国の戦争被害を学ぶのは日本も同じ。原爆資料館の見学に異を唱える日本人は少ないだろう。
 米の山病院(福岡)看護師の阿南万里子さんは「小学生も積極的に参加していることに驚きました。毎週活動していることがもっと世界に広がり、日本政府の対応が変われば」と言う。
 ここには日本で「慰安婦像」と呼ばれる「平和の少女像」の実物が設置されている。昨年8月、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」で少女像のレプリカが展示された。これに対して名古屋市の河村市長が「嫌韓」を扇動、執拗な妨害と嫌がらせが始まった。放火をほのめかす脅迫もあり、展示は中止に(のちに短期間再開)。日本の植民地支配に関連したテーマは、国内で激しい批判が起きる。
 細部を見ると、平和の少女像にはさまざまな工夫がほどこされている。ぎざぎざの毛先は引き裂かれた家族との絆、肩の鳥は平和と自由の象徴、握りこぶしは被害者たちの闘い、はだしの足は歩んだ人生の険しさ、浮いたかかとは被害者を見捨てた韓国政府と社会へのいら立ちを表現。空いたいすは既にいない存在が隣で見守っているという「不在の存在」だという。少女の背丈は約120cm。ナヌムの家の小さな立体手形と重なった。

韓国へ輸出した公害

 続いて民医連と交流のある緑色病院へ。同院は労災職業病の裁判闘争の解決基金をもとに設立された。日本の大企業「東レ」が国内で労災職業病の原因になった中古機を韓国に売却、公害を輸出したことが発端だ。
 2018年5月に結成された「韓国社会的医療機関連合会」の事務局長や、緑色病院の医師から韓国の医療事情などの講義を受け、看護師や理学療法士、事務ら日韓の多職種で活発に交流した。
 埼玉協同病院助産師の萩原なるみさんは「緑色病院と他の医療機関の違いが興味深かった。緑色病院は疾患だけに着目するのではなく社会的背景を含めて患者を治療、患者の生活も支援するとの話があり、民医連との共通点を感じた。今後も平和と人権を守り、民主的な医療を実現させるために交流を続けたい」と振り返る。

権利を求め倒れた若者たち

 全泰壱記念館では労働運動について学んだ。1960年代、全は劣悪な環境で働く女性労働者を助けようとして自身が解雇され、労働運動に身を投じる。70年11月13日、全は抗議の焼身自殺を図った。「勤労基準法を守れ!」と叫ぶつもりだったが、火だるまで声帯が焼かれ呼吸音しか聞こえなかったという。全の死後、労働者の悲惨な実態が報道され労働運動が活発になった。
 「私たちの今の生活が、過去の誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。同時に未来に向けて社会の犠牲者を出さないために民医連ができること、職員として自分ができることを考え行動していきたい」と話すのは三重民医連の曽我珠佳さん。
 最後は李韓烈記念館を見学。87年、大統領直接選挙を要求する「6月民主抗争」に参加した大学生の李は、警察が撃った催涙弾の直撃を受け死亡。「歴史」と呼ぶには新しすぎる遺品が展示されている。李の年齢や事件の発生した年など、参加者にとってもイメージがつかみやすかったようだ。
 船橋二和病院(千葉)ソーシャルワーカーの今福二沙子さんは「今まで『民主化』といわれてもピンときませんでした。でも李韓烈さんを知って感度が高くなった気がします。香港の民主化運動も応援する気持ちになりました」と実感を込める。
 全は22歳、李は21歳。亡くなるには若すぎる。しかし、誰かが闘わなければ社会は変わらない。

韓国で学ぶ意味は?

 韓国の民事訴訟である元徴用工裁判の判決後、日本のメディアは韓国の反応を「反日」と決めつける報道を繰り返している。だが日本の最高裁が過去の判決で、個人の請求権を認めていることを知る人は少ない。
 韓国の「反日」とは「反大日本帝国」であって、戦後処理を曖昧にしてきた日本政府に対する批判だ。日韓関係は悪化しているが、今回の研修で日本人を理由に嫌な目に遭った参加者は皆無だ。それどころか、この時期の訪韓をどこでも歓迎してくれた。
 民医連職員が韓国で学ぶ意味とは何か。反核平和委員会の事務局が参加者に示したキーワードは、植民地支配、女性の人権、日韓関係、民主化運動、南北問題、東北アジアの平和、労働者の人権だった。今回の見聞をもとに、人道的・歴史的視座で判断すれば答えは自ずと見えてくるだろう。

いつでも元気 2020.2 No.340