心をつづって
分数÷分数ができてうれしかった
担任になった六年生のクラス。直後から毎日のように、教師や子どもから裕司の所行についての苦情を聞いた。「たたかれた」「階段で押された」「許せないからかいがあった」など。全てを確認し、注意し、謝罪させていては裕司の居場所がなくなるので、苦情の内容によってセレクトし、謝罪もさせた。
四月二十七日 裕司
今日、ぼくは、ほうかご、学校でキックベースをしました。
木にボールがのりました。がんばってとろうとしました。ほかの学年のボールをかりて、ぼくらがのせたボールにあてていました。あたったけど、おちてきませんでした。
しょうがないから木にのぼりました。おちそうだったけどがんばってとりました。木がねばねばして、手がちょっとねばねばしてのぼりにくかったけど、がんばって上までのぼりました。
とれたと思ったら、ちょっと下にボールがおちました。ちょっと下におりました。それでボールをおとしました。でもぼくは、おりるのがちょっとつらかった。でもさいごにはおりました。
それからまたキックベースをやってた。けどおもんなくなったからみんな帰り、ぼくもかえりました。
そんな一日でした。
夏休み前、まだ私との会話はぎこちなかった四月末の日記である。さっそく文集に載せて読み合った。「ほかの学年のボールをかりて」などいない。近くで遊んでいた低学年のボールを「貸せ」と言って取り上げたのだ。そのボールも木にのってしまったので、「しょうがないから」木に登らざるを得なくなった。
でも、裕司が木に登ってボールを取ったのは事実であり、運動は得意な裕司でも「木がねばねばしてのぼりにくく」、苦労してボールを取った後も「おりるのがつらかった」のだ。
自分の行為を自慢することもなく「そんな一日でした」とあっさり言い切っている。 「いいとこあるやないか」と言ったら「うるさい、ハゲ」と返ってきた。「そういう時は『よせよ、照れるぜ』と言うもんや」と教えておいた。
授業中の裕司はとにかくうるさい。一度指示したことを何度も尋ねる。「おい」と何度も私を呼ぶ。他の子と話していると「無視けぇ」と言う。
秋に算数の研究発表があり、各学年が授業を公開した。六年生は私が授業をすることになった。研究主任に「あの子たちの実態を考えると、簡単なところにした方がいいでしょうね」と言われたので、ちょっとムカッときて「分数÷分数」を授業することにした。
発表当日は学校の半分の子どもが五時間目までで帰宅する。それだけで「あいつらずるい」と大騒ぎ。たくさんの参観者の前で、裕司も挙手して発言し授業後の感想を書いた。
最初のうちは、分数÷分数がわからなかったけど、だんだんやっているうちに分数÷分数の計算がわかってうれしかった。発言もできたし、分数÷分数ができてうれしかった。次やるときもわかればいいのになと、ぼくは思った。
得丸浩一(とくまる・こういち)
1957年生まれ。京都市の小学校教師。京都市教職員組合執行委員長、日本作文の会副委員長。
著書に『おもしろいけど 疲れる日々』(本の泉社)
いつでも元気 2020.2 No.340
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