抵抗する彫刻家 金城実
森住卓(写真家)
2019年は“表現の自由”が脅かされる出来事が相次いだ。「あいちトリエンナーレ」の企画展が、抗議や脅迫で中止に追い込まれた事件※もそのひとつ。このニュースを知った沖縄県読谷村の彫刻家、金城実さん(80歳)は、芸術家のひとりとして黙っていられなくなった。批判を浴びた「平和の少女像」にちなみ、猛然と慰安婦像の制作に取り組み始めた。“抵抗する彫刻家”の素顔に迫る。
2019年8月、愛知国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、従軍慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」の展示に抗議の電話やメールが殺到。「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と脅迫するファクスも届き、開催からわずか3日で展示は取りやめになった。
「表現の自由の危機だ。私の作品には民主主義が破壊される風潮に抵抗する意味が込められている」と金城実さん。
金城さんは「慰安婦というのは正確ではない。『軍慰安婦』と言うべき」と指摘する。彼女らの苦難は、そのまま沖縄の苦難と同一線上にある。強い怒りと思いはすべての人に向けられている。「このまま黙っていては、大変なことになる」と。
よみがえった創作意欲
2017年9月、読谷村の「チビチリガマ」が少年4人によって壊された。チビチリガマは沖縄戦※で、集団強制死が起きた現場。事件後、少年4人は犠牲者を悼む気持ちを込め、金城さんとともに野仏を作った。金城さんはそれ以来、制作を中断していた。2年間の沈黙を経て、なぜ慰安婦像に挑んだのか?
19年7月、村の中央にある座喜味城跡の敷地で、ホルト(本州以西の常緑高木)の大木を伐採しているのを見かけた。この木をもらえないかと顔見知りの作業員にお願いしたら、「処分するから、トラックで金城先生のところまで運びますよ」と言ってくれた。
翌朝、自宅の庭に大きなホルトが積み上げられた。それを見て、眠っていた創作意欲がムクムクとわき出した。すぐさまチェーンソーを持ち出し、ホームレスのシリーズの制作にとりかかった。
2体のホームレス像が完成し、3体目の制作を始めようとした朝、新聞を開くとあいちトリエンナーレを批判する記事が目に飛び込んできた。「日本人の心を踏みにじった」「あれは芸術ではない、反日プロパガンダだ」―。名古屋の河村市長のコメントに怒りがわいた。
「表現の自由が完全に崩れる。ここで行動を起こさないと、沖縄の彫刻家としてのプライドが許さない」。
金城さんは韓国に行き、平和の少女像を制作した作家と交流があった。迷いなく、その日から慰安婦像の制作に取りかかった。
デッサンを学んだことがない金城さんは、チェーンソーで大まかな形にし、その後にノミと木槌で細かいところを削る。これが創作の流儀だ。
歴史認識がないからだ
8月中旬、読谷村の自宅兼アトリエを訪ねた。建て付けの悪いガラス戸の向こうに、制作に取り組む金城さんの姿が。日焼けしてひげだらけの笑顔で、「そこに腰掛けて見ていなさい」と迎えてくれた。以前お会いしたときより、頬が少し痩けた風貌からは優しさがにじみ出ていた。
「これと向き合ってね、5kg痩せたよ。当時20歳前後だった少女たちが生き抜いて、いま90過ぎになっている。差別の歴史をずっと生き抜いてきたばあさんを彫るのは難しい。年を取った感じがなかなか出てこない」。完成間近の老婆の像に木槌でノミを打ち込んでいた。
金城さんはひとり、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「徴用工問題、慰安婦問題で日本は韓国とかみ合わない。なぜか? 植民地という歴史認識がないからだ。植民地が何をもたらしたのか、安倍首相は知らない。朝鮮と同じく植民地の経験をしたのは沖縄だ」。
豊臣秀吉の時代から本土は沖縄を抑圧してきた。1609年には薩摩藩が琉球王国を侵攻、明治政府の「琉球処分※」で強引に日本の一部にされた。1945年の沖縄戦では本土の“捨て石”にされ、県民の4人に1人が亡くなった。戦後は米軍に占領され、県民の土地が次々と奪われて基地になった。
「日本政府にひどいことをされてきたから、沖縄からは朝鮮問題がよく見える。安倍首相は慰安婦問題で韓国はお金が欲しいと思っているのだろう。韓国の文在寅大統領は『歴史を忘れた者には未来がない』と言う。その意味が安倍晋三にわかるかなー、わからねーだろーなー。政府は口先で『沖縄県民に寄り添う』と言いながら、裏では蹴飛ばしている。それが一番、腹が立つ」―。手を休めることなく一気に思いを語った。
慰安婦像と少女像
数日後、「慰安婦像」は完成した。アリランを歌う老婆だという。脂気のない、かさかさの皮膚とボサボサの髪の毛。口をゆがめて少し斜め上を見つめる顔は、人生を奪った日本への怒りと悔しさがあふれている。朝鮮民族の抵抗精神の表れである“恨”の感情を見事に表現していた。
3週間後、今度は「少女像」の制作に取りかかったという知らせが届いた。「どうも、老婆の像だけでは希望がない。老婆の奪われた青春を取り戻す意味を込め、まだ無垢で健康的な少女の明るいイメージで、老婆の若い頃の姿を想像して彫っている」。
完成した少女像は、面長の細目を開け健康的で秘めた強さを感じる。そして何より品がある。隣の老婆像と2体を合わせ、「アリランの詩―軍慰安婦像」と名付けた。
日本社会への怒り
金城さんはこれまで「沖縄」「残波大獅子」「長崎平和の母子像」「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」「恨」など戦争と平和、差別をテーマに積極的に作品を制作してきた。
約10年かけて制作し、2007年に完成した「戦争と人間」は圧巻だった。作品は米軍基地跡地に展示された。凄惨な沖縄戦の様子や、米軍に土地を奪われ非暴力で抵抗する農民の姿など、展示は高さ3m、全長134mにも及んだ。
アトリエの軒先には数々の作品が並ぶ。新たに加わった少女像と老婆の像の隣に、斜め上を向き、突き出したあごにひげを蓄えた「土人」の像が置かれている。
「これはオレだよ」。
金城さんは東村高江のヘリパッド建設現場や、名護市辺野古の新基地建設現場にも足を運ぶ。16年には本土から東村高江に派遣された機動隊員が、基地建設に反対する住民に向かって「土人」と罵倒した。琉球人への差別発言に怒りを込めて彫ったという。
一見ユーモラスなその像は差別発言をする人間を哀れんでいるようで、それでいて誇り高く、気高く、楽天的に生きる琉球人の姿そのものだ。
金城さんには優しい従姉がいた。彼女は貧しさから米兵相手の娼婦になった。そのことがずっと心に引っかかっていた。日本軍に強制的に慰安婦にされた朝鮮の婦人と同列にはできないが、自分の従姉の姿と重なってしまう。
「日本政府は慰安婦問題はなかったと言うだろ。それが許せない。差別され迫害された朝鮮の慰安婦の悲しみと怒りは、差別され続けた琉球人と一緒だ。だから彼女らの怒りと悲しみはよく分かる」。
金城さんの創作のエネルギーは、戦争へと突き進む日本社会への怒りだ。「芸術家は政治や社会とかけ離れた所にはいられない。時間とともに風化していく戦争を後世に伝えるのは、生き残ったものの務めだ」。力を込めて、そう語った。
※あいちトリエンナーレの企画展中止
企画展の一つ「表現の不自由展・その後」に抗議や脅迫が殺到、2019年8月1日に始まった展示はわずか3日で中止に。その後、再開を求める署名などが集まり、10月8日から展示を再開した。
※チビチリガマと沖縄戦 チビチリガマは読谷村にあるガマ(洞窟)のひとつ。1945年の沖縄戦では、県内各地のガマが県民の避難先になったが、凄惨な集団強制死も起きた。
※琉球処分 明治政府は1872年に琉球国を廃して琉球藩に。79年には沖縄県を設置し琉球王国は約 500年にわたる歴史を閉じた。
いつでも元気 2020.1 No.339