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いつでも元気

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ロイは東京をめざす

写真・文 中村梧郎(フォトジャーナリスト)

 ベトナム戦争の枯葉剤被害で先天的に両脚のない青年が、来年8~9月に日本で行われる東京パラリンピックを目指している。
 半世紀にわたって枯葉剤被害を取材してきた中村梧郎さんのルポです。

枯葉剤被害
枯葉剤は除草剤の一種で猛毒のダイオキシンを含む。米軍はベトナム戦争で解放戦線の拠点があった南部の密林を枯らすため、1961年から71年にかけて散布。ベトナム人に枯葉剤が原因とみられる流産、皮膚疾患、がん、先天障がいが高い頻度で発生した

アオザイの絵師

 グエン・ホン・ロイは「アオザイ」絵師である。ベトナム女性の伝統衣装アオザイ。ホーチミン市の老舗シーホアンで絵筆を握っている。
 ロイはまた水泳の選手でもある。32歳、独身のイケメン青年。胸は分厚い筋肉で覆われている。鍛えあげた体躯はまぶしいほどだ。
 だが、ロイは重い障がいを背負う。第一に両脚が無い。膝から下が切られたように無い。右手は手首が萎縮している。残された機能は左腕一本だけだ。
 ひとたびプールに入ると左腕が激しく水を切る。バタ足は不可能、それでも猛然と前に進む。ベトナム代表で出た東南アジア障がい者水泳では、何度も入賞した。
 片腕なのに、どうして水泳を?
 「泳ぐのが好きだから…。生きていくには自分の力に頼るしかないし」。
 彼の悲願は東京パラリンピックだ。選抜には運も絡む。今年7月、「それでも全力をあげます」とのメールが届いた。
 私がロイと初めて出会ったのは1993年、彼がまだ6歳の時だった。ホーチミン市のツーズー病院・平和村。枯葉剤の影響を受けた障がい児の施設である。私が訪れると、いつも微笑みながら近寄ってくる子だった。

枯葉作戦と子どもたち

 米軍はベトナム戦争で解放戦線の拠点があった密林を枯らすため「枯葉作戦」を行った。1961年から71年まで連日、猛毒のダイオキシンを含む枯葉剤の散布を続けた。
 枯葉剤を浴びたベトナム人は450万人にのぼる。戦時中から流産、死産が多発していたが、障がい児は数十万人に達した。その影響は孫やひ孫の世代へも及ぶ。ダイオキシンによる遺伝子の突然変異や、遺伝を左右する「エピジェネティクス」に関わる障がいとされる。
 ユニセフの最新調査によると、ベトナムの人口の7%にあたる620万人が障がい者で、1200万人が障がい者とともに暮らしている。

ベトナム戦争 
仏・日・米による植民地支配からの解放を目指した民族独立の戦い。1954年のジュネーブ協定後、仏軍に代わって米軍が侵略を開始した。64年からは北爆も。73年に米軍が撤退。世界中で反戦運動が起きた。戦争は75年にベトナム側の勝利で終結。76年に南北ベトナムが統一された

平和村での暮らし

 ロイが生まれたのは枯葉作戦の標的のひとつタイニン省。障がい児がいると親は働きに出られない。生活苦からロイは叔母に預けられた。数年後には叔母も彼を平和村に託す。
 平和村には結合体双生児だったベトちゃんドクちゃんが、すでに分離手術を終えて入っていた。ドクとはよく遊んだがベトは寝たきりだった。
 ロイが20歳のころ、「慈善絵画展」に出品。ユニークな色彩感覚が評価され、 シーホアンでの絵師の職を得た。このころ左手で操作できるバイクを入手し、どこへでも出かけた。
 「やはり水泳をやりたい」―。アオザイ絵師をやりながら、そんな思いが湧いた。仕事を休職し平和村の子どもをバイクで送迎するバイトで生計を立てた。空いた時間は水泳に没頭。パラスイマーとしての歩みが本格化した。
 その翌年、100メートルを1分33秒で泳いだ。驚いた政府スポーツ局はロイをパラ強化選手に指名。2013年にはミャンマーで行われた東南アジア競技会で銅メダルを獲得した。

ベトちゃんドクちゃん 
下半身がつながった結合体双生児として1981年に生まれる。枯葉剤被害の象徴的存在として日本でも活発な支援があった。88年に手術で分離。ベトさんは2007年に亡くなったが、ドクさんは06年に結婚し2人の子どもが生まれた

オレンジマラソン

 オレンジマラソンとは「枯葉剤被害者救済チャリティーマラソン」のこと。昨年1月、ホーチミン市で第1回が行われ、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんがボランティアで駆けつけた。ベトナムのメディアが注目し、日本はNHKとTBSが放映した。
 障がい者マラソンではなく一般的なマラソン大会である。参加費の一部が被害者の救済基金に充てられる。
 なぜオレンジというのか。一つは果物の豊かなベトナムでのマラソンという意味。もう一つは枯葉剤を英語で「AGENT ORANGE=オレンジ剤」と呼ぶため、その両方を掛けている。
 枯葉剤被害者はアメリカに補償を求めたが、米連邦最高裁は2009年に訴えを退けた。米政府はベトナム帰還兵には補償をしている。だが同じ人間でもベトナム人には補償しない。
 マラソン当日、ロイはステージからこう呼びかけた。「被害者の暮らしは大変です。マラソンで手助けできるなら嬉しいです」。
 高橋尚子さんは平和村の子どもらと共にゆったりと走った。覚えたてのベトナム語で“コーレン”(頑張って)と声をかけた。ドクは松葉杖で走り、ロイは車いすから声援した。

FAMILY

 ロイは昨年、インドネシアで行われたアジアパラ競技大会に出場したが入賞は逸した。「最重度の組なのに、左腕だけの選手はいなくて、両手で泳ぐ選手が入賞したんです。条件に差が…」。それでもロイはめげない。
 「友達の多くは結婚しました。僕もそう願うのに枯葉剤の障がい者だと分かると、みんな引いてしまいます。だから今は、“普通の障がい者だよ”と言っています。それでも…」。
 たくましい身体と端正な顔立ちが目にとまり、俳優としてテレビに出演したこともあるロイ。それでも独身なのは枯葉剤被害者に対する偏見があるからか。ロイの左腕には「I LOVE FAMILY」のタトゥーが彫られていた。
 この夏、首都ハノイで行われた選手選考会では100、200、400メートルで金メダルを獲ったが、東京パラリンピック出場の内定はまだ出ない。何事にも努力を重ねるロイ。東京のプールで再会したいものと思う。


オレンジマラソン参加ツアー募集中

■大会日程     2020年1月5日
     5km/10km/21km/42km
     見学だけの参加も可
    (ベトナム・ホーチミン市)
■参加ツアー日程    1月3~7日と1月3~9日
    (中村梧郎さんも同行)
■申し込み締切     12月2日
■問い合わせ     富士国際旅行社(電話03・3357・3377)


中村梧郎(なかむら・ごろう) 
1940年生まれ。ベトナム戦争中の1970年に写真記者として現地を取材。以来、半世紀近く枯葉剤被害の取材と撮影を続けている。元・岐阜大学地域科学部教授。「マスコミ九条の会」呼びかけ人。著書に『戦場の枯葉剤』(岩波書店)、『新版 母は枯葉剤を浴びた』(岩波現代文庫)など

いつでも元気 2019.12 No.338