心をつづって
得丸浩一
毎日が思い出という宝物になった
転任して最初に担任になった六年生。その初日、机に突っ伏したままこちらを見ようともしなかったあかね。学校現場ではいま、徹底した生徒指導「ゼロトレランス(寛容度ゼロ)」が幅をきかせる。しかし、私の学級にはゼロトレランスは存在しない。いつも騒々しい教室で、あかねは次第に心を開いていく。
京都では「大文字駅伝」と呼ばれる小学生の駅伝大会が、毎年二月に行われる。各地区の予選会を勝ち抜いた四十八校が出場。加熱を物語る事例も数多く聞かれるが、あかねは予選会を走るメンバーの女子五人に選ばれていた。しかし十一月の予選会当日、あかねはねんざをして補欠に回った。
十一月十六日
今日は、駅伝の予選がありました。
私はねんざしていたケド、ほけつとしてつれて行ってもらいました。いきは、みんなタクシーで、私はみよと中島と宏樹ととくまる先生と一緒のタクシーでした。今日は、みんながんばって走ってくれました。ケド、他の学校のヒトは、もっとはやいヒトがいたので、結果は六位で、予選はとおりませんでした。悔やしかったです。予選はとおらなかったケド、いい思い出になりました。
予選会の朝、出勤すると松葉杖をついたあかねが待っていた。「どうしたん?」と尋ねると、横に母親もいて「先生、ごめん!」と両手を合わせて頭を下げる。前の晩にビールがなくなり、買いに行くことになった。ちょうど駅伝の練習もしているということで、母親は自転車に乗り、あかねはその前を走って酒屋まで行ったらしい。
帰りに「もっと速く」と言われたあかねが路地の側溝に足を突っ込んだということだった。これでしばらく、あかねは母親に甘えられるから悪いことばかりでもなかったのだが。この頃、あかねはようやく仲違いしていた友達とよりを戻していた。
卒業式の少し前、あかねは教室でこんな詩を書いた。
卒業
卒業が近くなってきて
このごろみんな
卒業の話をよくするようになってきたなぁ
きっとみんな
卒業なんてしたくないんだろうな
五年の時のクラス替えでこのクラスになって
初めは嫌で仕方なかった
だけど 今はこのクラスがすごく好き
このクラスでよかった…そう思う
お母さんは私が卒業することを
一体どう思ってるのかな…
聞いたことないカラ分からないけど
きっと私とは反対のことを思ってるんだろうなぁ…
卒業なんてしたくない
そう思えるくらいに
毎日が楽しくて…
毎日が思い出という宝物になった
得丸浩一(とくまる・こういち)
1957年生まれ。京都市の小学校教師。京都市教職員組合執行委員長、日本作文の会副委員長。
著書に『おもしろいけど 疲れる日々』(本の泉社)
いつでも元気 2019.12 No.338
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