被災地の支援これからも
岩手民医連が健康まつり
文・写真 野田雅也(フォトジャーナリスト)
岩手民医連が5月28日、8年前の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町※で「ミニ健康まつり」を開催しました。
被災地の取材を続けるフォトジャーナリスト、野田雅也さんの報告です。
「特産のカキやホタテ、たくさん食べてくださいよ」―。岩手民医連事務局のある盛岡市から、三陸沿岸部へ車で2時間半。山田町に到着すると、町民が新鮮な海産物を持ち寄り海鮮バーベキューで歓迎してくれた。
遠方にもかかわらず、健康まつりの準備に駆けつけたのは盛岡医療生協の組合員6人と職員15人の計21人。甘みたっぷりの貝柱をほおばり、自然と笑みがこぼれる。岩手民医連は震災後、山田町と大槌町の仮設住宅で毎月「お茶っこ会」を開催。これまで66回、延べ565人が参加した。
震災から8年が経ち仮設住宅もほとんどが閉鎖され、多くの町民が新居や各地の災害公営住宅へと転居。2012年に始まったお茶っこ会も昨年で終了した。
岩手民医連の遠藤洋史事務局長は「被災地とのつながりを模索していたところ、『災害公営住宅への転居で、ばらばらになった住民同士が集まる機会がほしい』という町民の要望もあり、健康まつりを企画しました」と話す。まつりは町の後援を受け、広報にも掲載された。
まつりを共催した山田町の社会福祉法人「やまだ共生会」の佐藤照彦理事長は「道路や線路などのインフラは復旧したものの、町の主要産業である漁業は衰退している。かつて日本一の生産量を誇ったワカメの養殖業者は、300人から28人へと激減。人口流出も深刻で高齢化率は38%にのぼります」と指摘。「今後の課題は、災害公営住宅を中心にした新たなコミュニティーづくり」とまつりに期待を込める。
知ることが次の行動に
健康まつり会場の山田町中央コミュニティーセンターには、開始時刻前から多くの住民が集まった。「自分の健康状態を知りたくて参加しました」と話すのは中村ワキさん(72歳)。血管年齢を測り、「実年齢に近くてほっとした。久しぶりに友人とも再会できた」と喜ぶ。
2年前に仮設住宅から災害公営住宅へ転居した鳥居文子さん(67歳)は「災害公営住宅はマンションタイプで、近所の人との交流はありません。寂しさもありますが、8年ぶりに開通した三陸鉄道の列車の音が聞こえると、震災前の日常に近づいている安心感もあります」と心境を語る。
まつりは健康チェックのほか、川久保病院小児科の小野寺けい子医師による医療講話「ロコモ・フレイル予防のために」、自宅でもできるリハビリ体操「ロコモトレーニング」(ロコトレ)、管理栄養士による減塩レシピの紹介と、もりだくさん。
「皆さん、健康寿命を延ばすことに熱心ですね」と話すのはロコトレを指導した理学療法士の千葉ひかるさん(28歳)。「地域の高齢者の生活実態を知る貴重な機会。知ることは考える力になり、次の行動につながる。今後も被災地の支援に積極的に参加したい」と言う。
血管年齢を測定した看護師の常谷都紀子さん(23歳)は「経験を重ねることで災害医療の知識も増えます。いざという時には緊急支援に駆けつけたい」と目標を語る。東日本大震災の支援の経験が、2016年に岩手県岩泉町で起きた豪雨災害※の緊急支援に活かされた。
盛岡医療生協常務理事の関口孝子さんは「参加者に喜んでいただき、こちらが元気をもらえた。表面的には復興が進んでいるように見えるが、子どもが減り町の活気が失われていることに胸が痛む。今後も住民が前向きになれるような催しを企画したい」と話す。
まつりも終わりに近づいた頃、小野寺医師のもとに、「耳鳴りがひどい」と85歳の女性が相談を持ちかけた。「話してくれたのは、震災後の家族関係のもつれによる悩み。それが心理的な負荷となり体に影響しているのでしょう。被災者の生の声を受け止めることが重要で、心のケアを必要としている人はまだ多くいるはずです」と小野寺さん。
遠藤事務局長は「健康まつりを通して、被災地の復興は道半ばで支援を求める人が多いこともはっきりと分かりました。生活が日常に戻るまで、支援を続けたいですね」と、晴れやかな笑顔で参加者の背中を見送った。
※岩手県山田町
三陸海岸中部の町で人口約1万5000人。東日本大震災による津波と火災で全家屋の半数が全壊と壊滅的な被害を受けた。死者・行方不明者は825人
※岩泉町の豪雨災害
2016年8月に発生した台風10号による豪雨災害。死者24人。岩手民医連は組合員の安否確認や泥出し作業の支援を行った
いつでも元気 2019.9 No.335