特集
国保の危機
文・新井健治(編集部) 写真・五味明憲
3182万人が加入する国民健康保険(国保)が、かつてない危機を迎えている。
年収の1~2割に及ぶ高い国保料(税)に悲鳴をあげる世帯が多いなか、「国保の都道府県化」で4月からさらに値上げをする自治体が続出。
国保料が家計を圧迫し受診を我慢する本末転倒の事態も。
社会保障の根幹が揺らぐ国保の実態を取材した。
「市役所から資格証明書※が来ました。10割負担ではとても払えず、受診できません」─。昨年1月、富山市のAさん(71歳)が、思い詰めた表情で富山協立病院を訪れた。Aさんは糖尿病、心臓病で通院中の男性患者。「これでは風邪でも病院に行けない」と困惑していた。
Aさんは妻と2人暮らし。年金と営業の仕事で生計を立てていたが、月4万5000円の国保料を払うことは難しく約50万円の滞納がある。繰り返し短期保険証※の交付を受けながら、なんとか通院を続けてきた。
資格証明書の発行後、Aさんは一人で市役所の保険年金課を訪れ、短期保険証の交付を願い出たが「滞納額の2割(10万円)を払わないと発行できない」と言われた。病院職員がAさんに同行し、ようやく短期保険証が発行された。同院は無料低額診療※(無低診)でAさんの治療を続けた。
※短期保険証 国保料を滞納すると発行される有効期限が数カ月の保険証
※資格証明書 国保料を1年以上滞納すると発行される。医療費はいったん全額を払い、後日申請により自己負担分以外が支給される
※無料低額診療 生活困窮者を対象に、収入に合わせ医療費の自己負担分を無料または低額で診療する制度
国民皆保険の根幹
国保は「国民皆保険」の根幹をなす制度だが、構造的な問題を抱える。かつては農林水産業や自営業が加入者の7割だったが、現在は無職(年金生活者など)と非正規労働者が8割を占めるように。国が制度の安定運営のために投入してきた「国庫支出金」の割合は年々下がり(図)、他の協会けんぽ(中小企業)や組合健保(大企業)の加入者に比べて、「収入が低いのに保険料が高い」という極めて矛盾した制度になっている(次ページ表)。
国保料の滞納から短期保険証や資格証明書になったり、そもそも国保に加入できず無保険になって受診を諦めるケースが続出。保険料はなんとか払えても医療費を工面できず、受診を我慢する患者も多い。
全日本民医連が3月に発表した「2018年手遅れ死亡事例調査」でも、経済的な理由で受診が遅れ死亡した患者が77人いた。このうち無保険は22件、何らかの制限がある保険証(短期保険証、資格証明書)が13件。また正規の国保証がある20件を含め、半数以上が公的医療保険に加入しながら手遅れになっており、国民皆保険が機能していない実態が明らかになった。
63%「保険料が高い」
富山民医連はこうした国保の実態をつかもうと、昨年10月から11月、患者・家族を対象にアンケートを行い256人が回答。63%が「保険料が高い」、82%が「保険料を負担に感じている」と答えた。
企画した県連社保委員長の坂井直之さん(ふれあい薬局専務理事)は「ショックだったのは、2割の人が医療費が高いために受診を先延ばしにしていること。そして、約半数がふだんの生活で食費を切り詰めている実態です」と指摘する。
アンケートは県連の全事業所職員が聞き取りで行った。在宅福祉総合センターひまわりの吉田晶子さん(ケアマネジャー)は「最近、よく耳にするのは80代の母親と50~60代の息子の2人暮らし。息子は介護などで仕事ができず母親の年金で生活しているケースで、高い国保料の支払いに困っている」と言う。
アンケートに答えた62歳の男性も、難病の母(83歳)と2人暮らし。現在は無職で年金もまだ入らないため、国保料は貯金を切り崩しながら払っている。男性は糖尿病と診断されたことがあるが、医療費が毎回数千円かかることから受診を断念。「野菜を多めにとるなど、食事に気を付けるしかない」と話すが、食費を抑えるため安い弁当を購入している。
「無低診や生活保護の利用を勧めても、ぎりぎりまで我慢する人がいます。そのまま受診を諦めてしまうのが怖い」と吉田さん。
5~10万円の値上げ
国保の矛盾をさらに深めるのが「国保の都道府県化」だ。昨年4月から国保財政の運営主体が市町村から都道府県に変更された。都道府県の示す「標準保険料率」に市町村も合わせるように圧力がかかり、市町村が独自に行ってきた一般会計から国保特別会計への繰入ができなくなる可能性もある。
日本共産党は3月、「全国8割の自治体で国保料が年平均4万9000円も上がる可能性がある」と発表。標準保険料率に基づき、市町村が国保料を改定した場合の負担額を試算した。
既に4月から140市町村が値上げしており、なかには年間5~10万円も上がる自治体が。ただ、多くの市町村は6月議会以降に保険料を決めるため、今後、さらに値上げをする自治体が出てくる恐れがある。市町村にはこれまで通り独自の繰入を求めるとともに、国保の構造的問題を解決するには国庫支出金の割合を高めるなど、国に公費投入を要求することが必要だ。
富山民医連は2月21日に国保アンケートについての記者会見を行い、新聞各紙に掲載された。同月25日には富山県議会に「国に国保への国庫負担増を求める請願」を提出。不採択にはなったものの、「国保料は高いと感じている県民の声を届けることができた」と坂井さん。
4月の富山県議会議員選挙では、アンケート結果を受けて国保の問題を争点にする議員もいた。坂井さんは「県連社保委員会で2年にわたり国保の学習会を続けてきた。強調したのは、国保は給付型の保険ではなく憲法に支えられた社会保障であること。7月の参議院選挙に向け、国が責任を持たないかぎり国保料は上がり続けることを訴えたい」と話す。
無低診で救ったいのち
国保にかかわる深刻な事態が進行するなか、民医連は無料低額診療(無低診)を活用して患者の受診する機会を保障してきた。埼玉民医連は5月、無低診につながった事例集『いのちと向き合う私たち 無料低額診療事業からみえてきたこと』を発行した。
2017年6月、埼玉民医連の「おおみや診療所」(さいたま市西区)に1本の電話がかかってきた。東北から仕事を求め埼玉に引っ越してきた40代男性のBさん。インターネットで「医療費無料」を検索、近くのおおみや診療所に自ら電話をかけてきたのだ。
Bさんは4年前の健康診断で糖尿病と分かり、インスリンの投薬を始めたものの、薬代が払えずに治療を中断していた。仕事は宅配子会社の業務委託で、社会保険に加入できず国保に。収入は出来高払いで月に9~14万円と安定せず、受診をためらっていた。
同診療所はBさんに無低診を適用。院内薬局のため、内服治療も継続している。原田芳子事務長は「ずっと無低診を続けるのは制度の趣旨から外れるが、Bさんは埼玉に家族や知人もいない。無低診の中断で診療所とのつながりが途切れ、孤立することが心配」と言う。
あっても使えない保険証
埼玉民医連は2015年から県内16事業所全てで無低診を実施。事例集は15~17年に無低診を利用した116事例を分析、本人や家族の了解を得た14事例を掲載した。Bさんの事例もそのひとつだ。
分析から浮かび上がったのは、無低診利用者の半数以上が国保に加入し約6割が40~60代だということ。働き盛りの世代が、たとえ保険証があっても医療費を払えないために使えない実態だった。また、この世代の多くは公的機関や家族の紹介ではなく、自らネットで検索して受診していた。ネットを使えるからこそ、無低診につながったともいえる。
「国保料を払うために患者が治療を我慢し病状が悪化すれば、結局は手術や抗がん剤、透析など多額な医療費を患者と自治体が負担することになる。これでは悪循環です」と原田事務長。
事例の中には患者が生活保護水準の収入にもかかわらず、行政の担当者が医療機関を紹介するケースもあった。原田事務長は「国保法44条※で減免すべきなのに、医療機関に任せてしまう。自治体職員が44条を知らなかったり、『前例がない』と受け付けないことも。公的機関の責任を明確にしていきたい」と話す。
※国保法44条 特別な理由で医療費や薬代の一部負担金を支払うことが困難な場合、「減額・免除・徴収を猶予」できる。市区町村が独自に基準を定めて実施
「心の貧しい社会」
事例集は2000冊を作り、職員や医療生協さいたまの組合員に配布するほか、自治体の担当窓口、社会福祉協議会、県庁記者クラブにも配る予定だ。
事例集の編集委員長を務めた埼玉民医連事務局次長の日野洋逸さんは、「保険証があっても使えない実態を社会全体に知らせるとともに、職員教育にも役立てたい」と言う。
事例集の最後には聞き取りをした職員の感想が載っている。「『周囲に迷惑をかけたくなかった』という思いが強い人が多いことを知った。自己主張しなければ救ってもらえない社会に心の貧しさを感じる」と書いた職員も。日野さんは「無低診はあくまで入り口。職員が社会の矛盾に気づき、行政とともに患者の受診する権利を守っていきたい」と話した。
いつでも元気 2019.6 No.332