あすをつむぐ看護
文・奥平亜希子(編集部)
大阪市西淀川区。戦後、中小企業の工場が次々とできたこの地に「西淀病院」が誕生したのは1947年のこと。地域住民や労働者の「お金があってもなくても、いつでも誰でも安心してかかれる病院を」との願いから、15人の職員で始まった。今では病床数218、「断らない医療」を軸に、年間2400台の救急搬送を受け入れる地域の頼れる医療機関となっている。
社会復帰や在宅復帰をめざしリハビリを行う「回復期リハビリ病棟」には56人が入院している。この病棟で働く飴田くみさんは24歳の若手看護師。生まれ育った島根県を離れ、大阪の看護学校を経て同院で働き始めて3年目になる。趣味はキックボクシングで、ストレス解消にはもってこいとのこと。
回復期リハビリ病棟の患者さんは、その名の通りリハビリをすることによって、日々“回復”していく。骨折をして歩けなかった人が歩けるようになったり、ベッドから起き上がれなかった人が自力でトイレに行けるようになったり。病状も回復のスピードも人によってさまざま。だからこそリハビリは「待つ看護」と飴田さん。「ついつい、私が手伝えば早いのにな、とも思ってしまうけれど、できることは可能な限り本人にやってもらうことがトレーニングになりますから」。
そんなリハビリで一番大切なのは「本人がどうなりたいか」を明確にすることだという。入院している“今”がゴールではない。病気やケガなどで衰えた身体の機能をできる限り回復し、退院後の人生をどう過ごしたいか。それを決めるのは患者さん本人。その思いを受けて、医師や看護師、リハビリ職などが協力し全力でサポートする。
「医療」の視点だけでなく「介護」や「福祉」、そして「生活」の視点から、患者さんの気持ちに寄り添い支える、西淀病院のチーム医療の原点がここにある。
「おいしい」を大切に
病院の勤務は日勤と、深夜1時15分までの準夜勤、翌朝9時15分までの深夜勤と3交替制。夜眠れない患者さんに薬を使うと翌日のリハビリに影響する可能性があるため、「眠れるまで話を聞いたり、ホットミルクを勧めることもあります」と飴田さん。なかには家に帰りたいと言ったり、外へ向かって歩き出してしまう人もいる。そんなときは帰りたい気持ちを聞いたり、静かに寄り添うことも看護師の大事な仕事なのだ。
飴田さんが担当する患者さんの一人が菅野秀子さん(79歳)。昨年末、自宅で転倒し首と肩を骨折。西淀病院に救急搬送されたが、骨折の処置のために別の病院に転院した。リハビリが必要になり再び西淀病院に入院したときには、鼻から管を入れて栄養をとっていた。
首と肩を骨折しているため、誤嚥による肺炎を防ぐという「医療」の視点から見れば必要な処置。しかし、「生活」の視点から見れば、鼻から管を入れていることで常時感じる不快感や、何より「口から食べる」「味わう」という大切な行為ができない現状…。
骨折によって弱った機能の回復だけでなく、家に帰ったあとの生活を見据え、菅野さんの管を抜くためのリハビリも行った。骨折から3カ月経った今も首を固定するコルセットは外せない。しかし、鼻の管は抜かれ口から食事がとれるようになった。
「つらいリハビリや不自由な入院生活のなかでも、楽しさやおいしさを感じてもらうことを大切にしています」と飴田さん。
逆境に負けない強さ
午後2時半過ぎ、菅野さんがリハビリ室から病室に帰ってきた。「飴田さんはどんな看護師さんですか」と声をかけると「優しいし、親身になって話を聞いてくれる。いい子よ」と静かに笑った。
菅野さんも約20年間看護師として働いていた“先輩”だ。看護師の大変さが分かるからこそ、ナースコールを押すのをためらうことも。「どうしても日々の仕事に追われるでしょう。働いていたときには気づかなかったことに、患者になって気づいたりしてね。今更、遅いけど」と菅野さん。「遅くなんてない」と飴田さんは優しく首を横に振った。
7階建ての西淀病院には各病棟にそれぞれ花の“モチーフ”がある。リハビリ病棟のモチーフはジャーマンカモミール。花言葉は「逆境に負けない強さ」だ。ときに弱気になる患者を支える職員もまた、患者から学び、励まされ、働く元気をもらっている。
地域の人の“生きる”を支える西淀病院の医療は、これからも続いていく。「西淀があってよかった」の思いとともに。
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病気だけでなく、その人の生活背景にも目を向け、困難があれば一緒に解決していく民医連の医療。今号から“看護師”にスポットを当てた連載を始めます。
いつでも元気 2019.6 No.332