被災者の“今”に寄り添う
医療生協さいたま
文・新井 暦(編集部)写真・野田雅也
2011年の東日本大震災から8年が経ちます。
医療生協さいたまは震災2年後から毎月、いわて生協とともに岩手県大槌町の被災者を支援。
年に1回の「健康フェスタ」を開催するなど支援を継続してきました。
昨年9月に岩手県釜石市で行われた健康フェスタと事前の視察ツアーを取材しました。
被災者と交流できる機会を
会場の釜石公民館に歌と笑い声が響きます。今回で5回目となる健康フェスタには70人を超える被災者が集まりました。医療生協さいたまは健康チェックを担当。看護師が血圧測定とフレイルチェック、歯科衛生士がブラッシング指導を行いました。
「痛みや不快感がないうちは、なかなか病院に行く機会がない。健康チェックは普段の生活を見直す良いキッカケになる」と参加者からも好評です。
医療生協さいたまは法人の「災害復興支援・原発ゼロ実行委員会」の企画として組合員、職員17人が参加。法人本部の高橋正己さんは「復興公営住宅での生活で抱えるストレスや、高齢化による体力の低下が心配です。フレイルチェックや歯科のブラッシング指導などを通して少しでも改善できれば」と話します。
健康チェックが終わると、いわて生協釜石支部が作ったカレーライスを食べながら、ご近所同士の会話が始まります。復興公営住宅で暮らす50代の女性は「最初はこうした催しへの参加を断っていました。2度、3度と誘われるうちに、『一人で家に閉じこもっているよりは…』と、思い切って参加するようになりました」と語ります。
昼食後は全員でレクリエーション。笑いヨガやうたごえ企画、じゃんけん大会などをして交流を深めました。医療生協さいたま理事の西垣京子さんは「仮設住宅や復興公営住宅での生活がずっと続くとは限りません。それでも住民との交流の機会を持ち続けて、必要とされる支援を行っていきたいです」と話しました。
毎月の支援に370人以上を派遣
震災後、医療福祉生協連関東甲信越ブロックでは、岩手県内への支援を検討。医療生協さいたまは2013年8月から、大槌町で毎月開催されているいわて生協の「ふれあいサロン」に毎回5人ずつを派遣。これまでに370人以上の職員と組合員が参加しました。また年に1回、いわて生協とともに健康フェスタを開催しています。
埼玉協同病院の看護師、斉藤今日子さんは、「健康チェックやレクリエーションを通じて、参加者の明るい顔を見ることができて良かった。職場に帰って被災地の現状を伝えて、私たちにできる支援を考えていきたい」と言います。
釜石市では、昨年12月末時点で復興公営住宅と応急仮設住宅、みなし仮設住宅に約2300人が暮らしています。県内の支援活動をコーディネートするいわて生協本部の池田亮さんは、「『1年や2年ならまだしも、これほど復興公営住宅での生活が長引くとは…』という声を多く聞きます。この7年半の間に被災者の高齢化も進み、独居で人知れず亡くなる人もいます。住民同士が気軽に参加して、接点を持てる場所が今後も必要です」と話します。
被災地の現状を知る
医療生協さいたまの組合員と職員は、フェスタの前に宮城県気仙沼市と岩手県の大槌町、陸前高田市を見学しました。
気仙沼市の「リアス・アーク美術館」には、震災時に津波で流れ着いた遺物を当時のまま展示しています。ぺしゃんこになった軽自動車や水没して泥だらけになった携帯電話、デジタルカメラなど、何気ない日常を飲み込んだ津波被害の甚大さを物語る品々に組合員らは真剣な面持ちで見入っていました。
大槌町では、津波で職員28人が犠牲になった旧大槌町役場にある慰霊碑に手を合わせました。その後、児童の多くが学校裏手の高台に避難して助かったという大槌小学校などを見学しました。
1602人が亡くなり、205人が現在も行方不明の陸前高田市。当時避難先に指定されていた陸前高田市民体育館は津波に襲われ、約100人いた避難者のうち生存者は3人だけでした。市の中心だった海辺の地域には、広大な更地が広がっています。
同市で語り部として活動する釘子明さんが組合員らを案内。「皆さんは勤務先や自宅から、一番近い避難所がどこにあるか知っていますか? 実際に行ってみたことはありますか? そこにある食料や水の備蓄量はどれだけの人が認識しているでしょうか」と呼びかけました。
陸前高田市の沿岸部では高さ12m全長2kmの堤防が建設され、12mのかさ上げ工事が進められています。現在も復興の途中で、被災前の生活に戻れない人も多い中、高すぎる復興公営住宅の家賃の問題など、行政やまちづくりの課題も山積みです。
震災から7年半が過ぎた被災地の現状を目の当たりにして、医療生協さいたま本部保健看護部の須田登志江さんは「改めて発災当時の出来事を思い出すとともに、住民の生活再建もまだまだ不十分という状況を知りました。国の責任と選挙権を持っている私たち自身の責任も重大だと感じました」と話しました。
いつでも元気 2019.3 No.329