真備歯科再開
岡山
文・新井健治(編集部) 写真・豆塚猛
昨年7月の西日本豪雨で水没した真備歯科診療所(岡山県倉敷市真備町)が、1月7日に診療を再開しました。
水害から半年、地域にはまだ自宅に戻れない人や、再建のめどが立たない事業所がたくさんあります。
真備歯科の再開は町の復興の大きな一歩です。
取材したのは再開から1週間後の1月中旬。真新しい診療所内は木の良い香りがし、竣工を祝う胡蝶蘭の花があちこちに。新品のユニット(診療台)が8台も並ぶ診察室で職員が忙しく行き交います。
昨年7月7日、前夜からの激しい雨で小田川が決壊、真備町の3分の1が水没し51人が亡くなりました。真備歯科も1階天井まで水に浸かり、ユニットや医療機器、CT、パソコンなどほとんどの備品を破棄。建物も柱と壁だけ残し、内装は全て造り直しました。
「濡れたカルテを乾かしてデジカメで撮影し、データ化しました」と話すのは歯科衛生士主任の高羽美幸さん。真備町とその周辺の全組合員に昨年12月、再開を知らせるはがきを郵送。予約電話は300件を超え、再開後は400件にも。
「再開しても患者さんが戻ってきてくれるのか不安でした。自宅の1階が使えず2階に住んでいる人や、仮設住宅に住む人も予約をしてくれました。予約電話では涙ながらに喜んでくれる人もいて」と高羽さん。診療所所長の佐々木学さん(歯科医師)は「『再開を待っていた』という声をたくさん聞きました。患者数は被災前の約7割に戻りました」と言います。
医療生協への信頼
倉敷医療生協は倉敷市をはじめ、岡山県西部の3市で7つの歯科診療所を運営しています。真備歯科は1982年、地域の強い要望で開設した町唯一の民医連事業所。町の全世帯に対する組合員比率は37%と高く、住民の信頼が厚いのが特徴です。
真備歯科が休診中、職員は別の診療所に勤務しながら、民医連の全国支援も受けて避難所を訪問。昨年8月からは全組合員訪問を始め、3125世帯を訪れて1062人と対話しました。
「暑いなか、慣れない別の診療所に勤務しながら再開の準備、組合員訪問と職員は本当に頑張ってくれた」と涙ぐむ高羽さん。佐々木所長も「再び一緒に働けることを喜びたい。地域を回った職員は診療所の役割を再確認でき、強くなったと思う」と話します。
休診中、真備歯科の患者約600人が同じ法人の歯科を受診しました。「これも医療生協への信頼があってこそ」と事務長の小坂勝己さん。小坂さんは豪雨当日も出勤し診療所の2階から自衛隊のボートで救出されました。
職員の3分の1も被災しました。歯科衛生士の永光紗也佳さんの自宅は1階天井まで水没。今も真備町に隣接する総社市のみなし仮設住宅に住みます。「リフォームは順番待ちでまだ工事は始まらない。今年中には自宅に戻りたいのですが…」と言います。
被災後は水島歯科に勤務しながら、避難所や組合員を訪問しました。「ここで働きたいと思っていたので再開は嬉しい」と笑顔を見せます。
災害時の高齢者対策を
真備町の中で被害が最も大きかったのが箭田地区。2階まで冠水した家も多く、地域には中が空洞の家や既に取り壊した家、工事中のシートを張った家があちこちに。箭田地区に住む倉敷医療生協真備西支部運営委員の小野正道さん(71歳)は、「このあたりで戻ってこれたのは数軒だけ。夜は真っ暗になるので怖い」と言います。
小野さん宅はもともと、小田川寄りにありました。明治26年(1893年)の水害で現在の場所に移転。その際に地面から1・5mほどかさ上げしましたが、それでも1階の中ほどまで水に浸かり、今も壁がはがれたままです。
小野さんの妻は真備歯科が休診中、コープくらしき歯科を受診。「再開のはがきを見て、組合員の皆さんも喜んでいた」と小野さん。
真備町で亡くなった人のうち、9割は65歳以上の高齢者で、逃げ遅れて1階で溺死したケースがほとんど。「一人暮らしの高齢者には情報が届かず、介護が必要な場合は逃げることもできない。安心して住み続けるために、災害時の高齢者対策を他団体と一緒に考えていきたい」と話しました。
いつでも元気 2019.3 No.329