心ぽかぽか 鬼無里の湯 長野
文・奥平亜希子(編集部)
写真・豆塚猛
長野市北部の旧鬼無里村では、長野医療生協鬼無里支部も所属する鬼無里地区住民自治協議会が「鬼無里の湯ふれあいサロン」を開いています。
市の事業廃止に伴い、「このままでは地域の高齢者が孤立してしまう」―。
そんなピンチに快く協力してくれたのは、地区内に1つだけある温泉宿泊施設でした。
「鬼無里の湯ふれあいサロン」は朝8時半の送迎から始まります。参加者18人を乗せたバスが温泉宿泊施設「鬼無里の湯」に着くと、慣れた様子で受付を済ませ奥の部屋へ。持ち寄ったお菓子や漬物を出しながらこたつに入り、誰からともなく会話が始まります。
全員が揃ったら、長野医療生協の永井由紀さんと、鬼無里支部運営委員の戸谷美知子さんが健康チェックを始めます。入浴する人もいるため参加者の体温と血圧を測り、記録ノートを見ながら、一人ひとりと細かく対話。
「まずはよく眠れているかを聞きますね」と永井さん。「この地域では農業をしている人が多く、みなさん野菜は食べているんです。その代わり、肉や魚などのたんぱく質が不足しがち。また、雪の降る季節は畑へ出ることができないため運動量が減り、夜眠れなくなる人もいるんですよ」。
車のない高齢者が孤立
長野市では介護保険制度が始まった2000年、要介護以外の人を対象に市独自の事業「生きがいデイサービス」を始めました。ところが、総合事業の開始に伴い17年3月で事業は廃止。送迎付きのデイサービスに参加していた高齢者が孤立しかねない事態に…。
「新たな居場所づくりを」と計画するも、一番の課題は“足の確保”でした。高齢のために車を手放した人も多く、1日5便ほどしかない路線バスでは気軽に集まることはできません。この課題を解決するため、鬼無里地区住民自治協議会の古畑真規子さん(地域福祉ワーカー)が目をつけたのが、マイクロバスを持つ鬼無里の湯でした。
「楽しかった」の声が力に
鬼無里の湯の支配人、榎戸紀男さんは「引き受けた当初は、電卓を叩きながらどうしようかと頭を抱えた」と話します。ふれあいサロンは鬼無里を3つの地区に分け、毎月第2・4週の火、水、木と、月6日間行っています。利用者負担額が1110円だった「生きがいデイサービス」を参考に、参加費は1人1500円。年金暮らしの方々からもらえるギリギリの金額ですが、施設の部屋代、入浴、昼食、送迎も込みで、施設としては赤字の運営です。
しかし、榎戸さんは「帰り際『もう終わっちゃった。今日も楽しかった』『食事、おいしかった』という声を聞けることが私自身の力にもなります。この人たちから“人としての温かさ”を教えてもらっていると気づいたんです」とにっこり。
平均年齢が80歳を超えるふれあいサロン。参加者は午後3時まで、入浴やレクリエーションなどを楽しみます。昼食は参加者に合わせ量ややわらかさを調整。送迎バスも狭い山道に対応できるよう2台準備するなど、鬼無里の湯の全面協力が大きな力となっています。
医療生協とのつながり
鬼無里には診療所と歯科が1つずつありますが、民医連の事業所はありません。それでも、この地域の医療生協の組合員比率は70%を超えています。
合併前の鬼無里村だったころから30年以上保健師として働いてきた戸谷さんは「長野中央病院(長野医療生協)があって本当に助かったのよ」と教えてくれました。「昔は受け入れてくれる医療機関が決まらないと救急車が来てくれなかった。中央病院が断らずに受けてくれたから、この地域は医療生協に入っている人が多いの」。
帰り際、送迎バスに乗り込んだ人たちを、鬼無里の湯の従業員が手を振って見送ります。バスの中からも、きらきらとした表情で手を振る参加者の笑顔が見えました。
【鬼無里のいわれ】
その昔、この地には京の都を追放された「紅葉」という女性がおり、いつしか人々は紅葉を鬼女と呼ぶように。紅葉は朝廷によって征伐され、以降この地は、鬼のいない「鬼無里」と呼ばれるようになったという説があります。
いつでも元気 2018.2 No.328