年頭インタビュー
沖縄 大城郁夫さん 保守も革新も無党派も 心ひとつに
聞き手・新井健治(編集部)
写真・酒井 猛
昨年9月の沖縄知事選は、民医連も支援する玉城デニー氏が大差で当選、改めて辺野古新基地反対の民意を示しました。
日本の民主主義の分水嶺とも言われた選挙について、沖縄医療生協副理事長の大城郁男さんに話を聞きました。
辺野古に新基地は造らせない、その一点で正しい選択をした県民を誇りに思います。安倍政権丸抱えの候補を相手に、数字的には大変厳しい選挙でした。ターニングポイントは9月22日の県民大集会。亡くなった翁長前知事の妻、樹子さんの涙ながらの訴えを聞き、県民が「翁長さんの遺志を引き継ごう」と一丸になりました。
選挙の現場で、これまでにない変化を感じました。若者が自主的に選挙事務所に手伝いに来たり、街頭に立って訴える姿を目にしたのです。出口調査でも無党派層の7割が玉城候補に投票しました。
これまでの医療生協は、どちらかといえば高齢者が中心でした。今後は無党派の人たちや若者と「子育て世代のネットワーク」を作る必要があります。新しいつながりを作るためにも、暮らしや子育てと政治がどのようにつながるのか、医療生協としても分かりやすく提示しなければ。これは後継者づくりにもつながる重要な課題です。そのことが今回の選挙で分かりました。
“第2の沖縄戦”を体験
組合員には沖縄戦を体験した人が大勢います。1947年生まれの私は、直接の体験こそしていませんが、戦後の大変な貧困の中で育ちました。子どもの頃は芋しか食べられず、男は山に行って木材や薪を取り、女は竹を切って売るのが唯一の現金収入でした。
沖縄戦は生活基盤を根こそぎ破壊しました。その負の遺産の中で、“第2の沖縄戦”ともいうべき体験をした私たちの世代が、祖国復帰闘争の隊列に加わり平和運動を担ったのです。
私は高校教師になり、34歳から沖縄県教職員組合の専従になりました。就職すれば労働組合に入り、平和運動をするのが当たり前の世代でした。
退職後にかかわった医療生協の活動でも、組合運動の中で培ったことが活きています。それは「すじの通らないことは許せない」という気持ちです。
沖縄への差別は今に始まったことではありません。1879年の琉球処分から沖縄戦、戦後の米軍支配、本土復帰後も基地の70%が沖縄に集中している。沖縄には憲法で保障された自由や平等、自己決定権がないのか。翁長前知事の言う「魂の飢餓感」は県民の実感です。
選挙で民意が何度示されても、相変わらず日本政府は辺野古の基地建設を止めない。沖縄には民主主義がないのか。悲しいというより、これは怒りですよ。でも、あきらめたら権力に押しつぶされる。あきらめない気持ちはますます強くなっています。
選挙は「民主主義の争奪戦」
本土には「市民と野党の共闘」というきれいな言葉がありますが、沖縄では使いません。格好の良い言葉は心に響かないからです。
代わりに私たちは「保守も革新も無党派の人も、心をひとつにして」と街頭で訴えました。「無党派」は今回の知事選で初めて使った言葉です。沖縄でも戦争の記憶が薄れ、投票に行かない若者や無党派層が増えてきたからです。
知事選後の本土の世論調査で、ようやく「普天間基地の辺野古移設を見直すべき」との意見が半数を超えました。1972年の復帰から40年以上の時を経て、沖縄で起きていることが本土にも伝わるようになってきた。時間はかかったけれど、ようやく気づいてくれた。そのことを確信しています。
選挙は「民主主義の争奪戦」です。本土もオール沖縄に学び、保守と革新、無党派が心をひとつにして日本の政治を変えてほしい。政治を変えない限りは憲法を守れないし、権力の私物化も変えられない。2月には辺野古新基地の是非を問う県民投票、夏には参院選もあります。私たちはあきらめません。どうか本土の人たちもあきらめずに、心をひとつに頑張りましょう。
※琉球処分 明治政府は武力をもって琉球王国を廃し、1879年に沖縄県を設置した
いつでも元気 2019.1 No.327