ルポ 介護保険
生活援助は“命綱”
文・藤後野里子(毎日新聞出版記者)
写真・酒井 猛
ヘルパーが介護保険利用者の自宅に出向き、調理や掃除を行う訪問介護の「生活援助」 。
一人暮らしや認知症の高齢者が在宅生活を続けるうえでなくてはならないサービスだが、厚生労働省は「利用回数が多すぎる」として制限する仕組み※を10月から導入した。
ヘルパーとともに生活援助の利用者を訪ねた。
※生活援助の回数制限
ケアマネジャーが利用回数基準(表)を超えて生活援助を提供する場合、市町村へケアプランの提出を義務づける仕組みが10月1日から導入された。医師やケアマネなどでつくる地域ケア会議で検証し、不適切な場合は是正を促す。ケアマネの自主規制や生活援助の利用抑制につながる
東京都足立区の古びた公団住宅の5階。訪問介護事業所「ファミリーケア柳原」のヘルパー市川那津子さんがドアを開け、「こんにちわぁ、栄子さん(仮名)」と呼び掛ける。奥の和室の布団の上にちょこんと座っていた栄子さん(81歳)が振り返り、人懐こい笑顔を見せた。
同行したケアマネジャーの石田美恵さんが、栄子さんの前に置かれた配食弁当を見て話しかける。
「夕食のお弁当、もう届いたんだ」。
「うん、ちょうど今きたとこなの」。
お弁当の横には、飲みやすいように工夫したペットボトルが2つ。壁には日めくり式のカレンダーが。カレンダーは石田さん、ペットボトルはヘルパーの手作り品。
カレンダーはヘルパーが「今日は何日ですか?」と声をかけ、栄子さんが日付と曜日を確認しながら紙を挟む。きめ細かな配慮で、栄子さんの生活をしっかりと支えていることが分かる。
日中、座ったり横になったりして過ごす和室には夫の隆さん(仮名)の遺影が。栄子さんは寝たきりだった隆さんをこの家で5~6年介護し、看取ったという。「大きな人だったから、おむつ交換が辛かったねえ。あれで腰を痛めちゃった」と栄子さん。
「今が一番気楽だ」
栄子さんは葛飾区の生協で働きながら長男長女を育て、隆さんだけでなく姉や妹、姑の介護も担った。夫を看取ってからは一人暮らし。「これまでの人生で今が一番気楽だ」と笑う。
3年ほど前に腰椎圧迫骨折で入院し、退院後に要介護3の認定を受けた。たまたま部屋を訪れた石田さんが、けいれんを起こして倒れている栄子さんを発見し救急車で搬送。大事には至らなかったが、その頃から1日3回の生活援助を利用するようになった。
朝、昼、夕方の1日3回、ヘルパーが交代で来て水分補給や服薬の確認、食事の準備や買い物、掃除、洗濯など家事全般を担う。
この日の配食弁当は鯖の味噌煮とおひたし。届いてすぐに食べると、朝までにお腹が空いてしまうため、まずはコーヒーゼリーなど軽食をお腹に入れて薬を飲む。栄子さんは認知症のため、ヘルパーが促さないと食事や薬を忘れてしまう。てんかんの持病もあり、1日3回の薬を飲むことが欠かせない。
「あれ? きょうは冷蔵庫にゼリー、胡麻豆腐が入ってないね。でもリンゴとトマトがある。栄子さんどっちがいい?」とヘルパーの市川さん。
「トマトにしようかな」。
「1個食べられます? 櫛形に切ってくるね」。
「ありがとう。こんなに長生きしてみんなに迷惑かけちゃって…。悪いと思うんだけど、しょうがないね」。
市川さんは声をかけながら、栄子さんの動作や表情の変化を見逃さないよう細かく観察する。
会話が生活の張りに
ケアマネの石田さんによると、最初の頃は様子が違ったという。「『私はもう死ぬんだから放っといてくれ』と怒りっぽかったんです。部屋も散らかっていて。ヘルパーたちが通って生活環境を整えていくうちに、徐々に笑顔が見られるようになりました」。
離れて暮らす長男と長女が、週に1回は訪ねて来てゴミ出しやお金の管理をしてくれるが、それ以外の日はヘルパーが暮らしを支える。最近はテレビもラジオもめったにつけないため、ヘルパーとの会話が生活の張りにもなっている。
「時間はかかるけど、自分でできることはやるようにしている」と栄子さん。例えば洗濯物。干したり取り込んだりはヘルパーが行うが、取り入れた衣類は「私がやるよ~」と率先してたたむ。
買い物はヘルパーが行き、栄養を考えながら好物を調理する。「『何が食べたい?』と声をかけながら、想像を巡らせます。栄子さんは魚が好きだよね」と市川さん。
「そうね。焼いたのも煮たのも好き。あとコーヒーが大好きだから欠かさない」と栄子さん。
ケアマネの自主規制も
栄子さんが1人で薬を忘れずに飲むことは難しい。震える手でお茶をくむのも困難だ。1日に複数回の生活援助があるからこそ在宅生活を続けられる。
だが厚労省は10月から、要介護度ごとに生活援助の「基準回数」を定め、基準を超えた場合はケアプランの事前届け出が必要とした。
現在、栄子さんは1カ月「66回」の生活援助を利用しているが、新たな基準回数は要介護3の場合「43回」に定められた。基準に合わせれば1日1回はサービスを削る可能性が出てくる。
ケアマネの石田さんは言う。「66回は栄子さんが在宅で生活を続けるために最低限必要な回数。生活援助を通じて日常生活を支え、重度化を防いでいる。お昼に1回入らなければ、間違いなく生活は困難になるでしょう」。
石田さんは居宅介護支援事業所「ケアサポートセンター千住」(東京都足立区)の所長。同事業所は約150人のケアプランを作成するが、1日1回以上の利用者が10人を超える。大半が栄子さんのように独居で認知症の80代だ。
基準回数を超えたケアプランは市町村が点検、「地域ケア会議」で検証され是正も求められる。「これではケアマネの専門性を疑っていることになる。ケアマネが萎縮し、届け出る前にサービスを減らしてしまうなど自主規制も考えられる」と石田さん。
人生の“伴走者”
寝たきりの夫を介護していた時代から栄子さんを知る石田さん。栄子さんが声を出さずに涙を流していた姿をよく覚えている。
「よく泣いてたよね、栄子さん」。
「うん、ほんとによく泣いたわ。頑張ったよね私(笑)。働きながらみんなの介護をして。私がやるしかなかったもんね」。
黙ってうなずく石田さんと市川さん。利用者の辛さや悲しみを共有し人生を丸ごと支える姿は、まるで“伴走者”のようだ。
5階の窓からは、青空に伸びる東京スカイツリーがよく見える。「いい景色でしょ。私、ずっとここで暮らしたいのよ」。
たとえギリギリの状態でも、住み慣れた自宅での暮らしを望む高齢者。その“命綱”である生活援助の回数を制限することは、国が進める在宅介護の推進や認知症対策にも逆行する。
いつでも元気 2018.12 No.326