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いつでも元気

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北海道胆振東部地震 
職員が友の会員を訪問

崩れた壁をビニールで補修した堀合さん宅

崩れた壁をビニールで補修した堀合さん宅

文・新井健治(編集部) 写真・酒井猛

 9月6日に最大震度7を記録した北海道胆振東部地震。
 北海道民医連は13日から震源に近い厚真町、安平町、むかわ町を中心に職員が友の会員宅を訪問している。
 21日の安平町の訪問に同行した。

 「もう、この家には住めないな。これから寒くなるのにどうすればいいんだろう」─。苫小牧健康友の会の堀合秀明さん(69)は、外壁が崩れ落ちた自宅を前に途方に暮れた。
 堀合さんは元畜産農家。自宅裏のサイロ(飼料の倉庫)や牛舎は崩れ、家の土台もずれている。公民館の避難所に寝泊まりし日中は家の片づけ。「体が浮いたような感じがした。こんな地震は初めて」と言う。
 友の会の会員数は厚真町が71人、安平町184人、むかわ町176人。訪問は3~4人が1組になり健康状態を確認、話をじっくり聞いたり、困りごとを把握して行政に届けている。
 この日、安平町を訪問したのは佐藤秀明さん(勤医協札幌病院事務長)、石橋亜子さん(苫小牧病院介護福祉士)、石崎龍之介さん(きたく歯科診療所事務)。道央を中心に全道の職員が参加している。
 背中に「北海道民医連」と書いた緑のビブスを着用。「勤医協です」「苫小牧病院から来ました」と言うと、誰もが笑顔で迎えてくれる。震災当時の恐怖や今後の不安から話が止まらなくなることも。
 石崎さんは「自宅のある札幌市は日常を取り戻したかに見えるが、1週間経ってもふだんの生活に戻れない人がたくさんいることを実感した」と語る。

堀合さん(右端)の話を聞く北海道民医連の職員、右は崩れたサイロ

堀合さん(右端)の話を聞く北海道民医連の職員、右は崩れたサイロ

「避難所では寝付けない」

 「激しい揺れで、テレビが倒れないように必死に押さえていた。あとは夢中で何も覚えていない」と話すのは安平町の川瀬昌子さん(70)。タンスは倒れ棚の中のものは全て飛び出した。部屋の中は今でも足の踏み場がないほど。
 川瀬さん宅は山の斜面を切り開いた土地に建ち、自宅裏手の木が倒れかかっている。夫の昭成さん(73)は「家の土台が浮き上がり地割れも酷く、ここには住めないかもしれない」と言う。 
 北海道胆振東部地震では、土砂崩れで幾重にも山肌がむき出しになった厚真町の光景が衝撃的だった。隣町の安平町でも地盤の弱い地域や古い建物に甚大な被害が出ている。
 「避難所ではなかなか寝付けない」と話す被災者が多いが、町の仮設住宅の準備はなかなか進まず、本格的な冬を前に被災者の不安は募る一方だ。訪問チームは10月3日までに、職員109人が287軒を訪問した。

全道停電の異常事態

 震度7は北海道で初。全道で停電が発生する異常事態も初めてで、震源に近い地域だけでなく北海道全域が被災地になった。札幌市の12の災害拠点病院も半数が診療停止になるなか、懸命に患者を受け入れる勤医協中央病院(民医連)の様子がNHKのテロップに流れ、全国から大きな反響があった。
 道内の各病院は非常用電源が動いたが、在宅酸素療法の患者は停電が命にかかわるため、酸素ボンベを担いで患者宅を訪問した職員もいた。エレベーターが使えず、入院患者や介護施設の食事は階段をリレーして運んだ。
 苫小牧病院は民医連の病院の中で震源に最も近い。電子カルテは停電で使えず紙カルテで対応。病院の増築部分に亀裂が入り手術室の壁がはがれた。
 この日、訪問行動に参加した石橋さんは実家が安平町で、両親は一時公民館に避難していた。地震の時は夜勤で入院患者の安否確認に追われた。「院内の電気は消え、真っ暗で怖かった」と振り返る。
 北海道民医連は3町以外も液状化が起きた札幌市清田区などの会員宅を訪問。9、10月が共同組織拡大強化月間のため、会員訪問を全戸訪問に切り替えた友の会もある。

友の会の友廣薫さんに話を聞く職員。左から石橋さん、佐藤さん、石崎さん

友の会の友廣薫さんに話を聞く職員。左から石橋さん、佐藤さん、石崎さん

いつでも元気 2018.11 No.325