医療と介護の倫理 「認知症の倫理(2)」
堀口信(全日本民医連 医療介護倫理委員会 委員長)
前回は認知症が原因で治療の意味を十分に理解できず、治療の継続が困難で看護師が悩む事例を紹介しました。こうした事例の場合、「認知症だから理解できない」と決めつけず、その人が本当は何を望んでいるか、複数で考えることが大切です。
肺炎のような急性疾患では、その時に限って本人に治療への協力を求めます。しかし、手術や気管切開のように、大きく身体を傷つける治療(侵襲的治療)の必要性を、認知症の方が理解することは容易ではありません。
侵襲的治療の場合は治療後にも身体に管がついたり、継続して傷口を保護するなど生活上の不自由を我慢しなければなりません。重度の認知症の方に、こうした侵襲的治療を行うかどうか、医療現場で判断に迷うことがよくあります。
人工肛門の事例
今回は『高齢者医療の倫理』(橋本肇著、中央法規出版)から、91歳の女性のケースを紹介します。
この女性は重度の認知症があり、自宅で介護を受けていました。発熱して往診で風邪と診断されましたが、後日、腹痛も起こしました。高齢で認知症もあり、医師と家族は特に積極的な治療を行わない方針を決めました。
しかし、その後に血圧が低下して昏睡状態になったため急きょ入院、腹膜炎と診断されました。入院中の主治医と家族が相談のうえ、緊急手術をしたところ、大腸に穴が空いて腹膜炎を起こしており、穴をふさいで人工肛門を造って退院しました。
退院後しばらくして、家族から「人工肛門をふさいでほしい」との申し出がありました。「重度の認知症のうえ、人工肛門だとケアの大変さは倍になる。本人もいつ死んでもいいと言っている」と家族は言います。
主治医は「大腸の穴もまだ十分に治っておらず、人工肛門をふさぐのは無理。人工肛門になって、本人はむしろ排便が楽になったはず」と説明しました。結局、人工肛門はふさがずに経過をみましたが、この女性は間もなく肺炎で死亡しました。
当初、家族は治療しないつもりでしたが、急を要する事態になって方針を変更、手術を受け入れました。しかし手術後、ケアの困難さが大きくなって方針を変更したことを後悔した事例です。
ケアを続けるための医療
軽度から中等度の認知症で、本人が治療の必要性をある程度理解できる場合は、本人の意思を尊重し、かつケアにあたる人たちの意見も聞いて、手術のような侵襲的治療を行うかどうかを決めることになります。
一方、重度の認知症では生活の全てにわたってケアが必要であり、本人と家族の気持ちに寄り添った環境や人間関係が大切になります。生きる基盤となるケアを続けられることが何より重要なのです。
医療はこうしたケアを妨げず、サポートする役割を求められます。重度の認知症に一番必要なのは、医療ではなくケアであると考えて、認知症の人たちに最善の選択をしなければなりません。
手術をしないことで、医療から見放されると心配される方もいます。積極的な治療がないから何もしないということではなく、痛みを取り除くなど、今まで通りの快適なケアを続けるための医療もあります。
認知症では介護者も交えながら、本人にとって最善の選択、倫理的判断をする場面が増えます。可能な限り本人の意思を聞き取り、時には希望を推定し、家族や関係者が話し合いながら医療やケアの方針を決めることで、より良い選択ができます。
いつでも元気 2017.12 No.314