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いつでも元気

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レッドパージ 踏みにじられた「私らしく生きる自由」

レッドパージ反対全国連絡センターの事務局次長を務める権田さん

文・奥平亜希子(編集部)

埼玉民医連の創設に携わった権田圭助さん(88歳)は、戦後最大の人権侵害「レッドパージ」(被害者の1人です。
関東配電株式会社(現・東京電力)に勤めていたある日突然、強制的に解雇されました。

 1929年に埼玉県の三尻村(現・熊谷市)に生まれた権田圭助さんは16歳で終戦を迎え、18歳で関東配電に入社しました。
 権田さんが初めて出勤したその日、労働組合の職場大会が開かれていました。関東配電の労働組合は、当時〝闘う労組〟として有名だった日本電気産業労働組合に加盟。権田さんは「労働組合が強くなってこそ、会社も良くなり労働者も守れる」と感じ、組合運動に加わりました。そして「戦争に反対し、弱い立場の人も守るのが日本共産党」と考え、すぐに入党しました。
 勤めて3年が過ぎた1950年8月26日。突如、会社の前に大きな看板が立ちました。「右の者は首を切る。立ち入り禁止」と一言書かれ、権田さんを含む6人が、何の説明も無いままに解雇されました。
 当時、アジア・太平洋地域の共産化を恐れたアメリカ占領軍の指示を受け、日本政府は共産党員やその賛同者の職を奪い、弾圧しました。
 権田さんは「政党の支持や、働き方を良くしたいという思いは『私らしく生きる自由』で、解雇の理由にはなりません。しかし、財界やマスコミも弾圧に加担し、世の中に『反共』の流れを生み出しました。一度レッドパージされた者は、別のところに就職しようとしても差別を受け、仕事に就くことが難しくなりました」と振り返ります。
 パージを受けた人の中には、家族を養えず悩む人や、将来を悲観し自ら命を絶った人もいました。

逮捕を逃れるため「伊藤明」に

 「ショックでしたが、独り身だったこともあり意外と気楽に考えていた」と権田さん。生活のために仲間と本屋をやりながら、首切り反対運動などをしていました。しかしそこに目をつけられ、占領政策違反という名目で逮捕状が出ました。
 警察に追われ、支援者の助けを借りながら住居を転々とする日々。居場所が分かれば逮捕されてしまうため、本名ではなく「伊藤明」と名乗り、埼玉県大井村(現・ふじみ野市)の「大井医院」(後の医療生協さいたま・大井協同診療所)で働き始めました。
 「大井医院には、医院を立ち上げた大島慶一郎医師がいましたが、この人がすごかった。いつでもどこへでも往診に飛んで行くんです。常に患者に寄り添う〝村の当直医〟でした」。
 当時は貧しい人が多く、お金が無くても診察を受けに来る人は大勢いました。権田さんは、後日患者さんの家に行き医療費を徴収する係でした。
 「一軒一軒訪ねてお金を受け取るのですが、家に行くとその人の置かれた状況が見えるわけです。収入が少ないとか、食事が取れていないとか、小さな子が大勢いるとか。医院の窓口では見えなかった患者さんの生活背景が見えるんです。大井医院の歴史の中には、権力による閉鎖や経営の危機もありましたが、病気だけでなくその人が抱える困難に寄り添う民医連だからこその信頼関係ができ、地域の人たちも職員と力を合わせて危機に立ち向かってくれました。大井の経験は民医連の原点を地で行く活動でしたね」。
 レッドパージにより職を奪われ、民医連の活動に加わったのは権田さんだけではありません。国立病院などから解雇された医師や看護師たちが弾圧を受けながらも結集し、いのちや生活、人権を守れと診療所を作ったことが今日の民医連につながっています。

権力者の暴走を止める大きな力に

 権田さんは「レッドパージは過去の出来事ではありません」と訴えます。
 「当時は団体等規正令や占領目的阻害行為処罰令という、人の思想に踏み込む法令により『共産党を支持している』『労働運動をやっている』という理由で解雇や逮捕が横行しました。一昨年と昨年に成立した秘密保護法や共謀罪も、国の政策に声をあげる人たちを『危ない思想の持ち主』と取り締まることができるもの。昔と同じことが起こる可能性は十分あります」と現状を危惧します。
 レッドパージから65年以上経ち、被害者の大半は90歳を超えました。日本弁護士連合会は、全ての被害者の名誉回復と国家賠償を政府に求める人権救済の勧告を行いましたが、政府は現在もレッドパージが不法、不当な人権侵害行為だったと認めていません。
 「人権は『人間が人間らしく生きる権利』ですが、戦争では国の利益が優先され、思想の自由も人権も踏みにじられます。共謀罪で思想を取り締まり、憲法を変えて戦争できる国づくりを進めたい政府は、過去に政府主導の人権侵害があったことを絶対に認めるわけにはいかない」と権田さん。
 「レッドパージは政府にとって、『アキレス腱』なんです。私たちは国に対し裁判を起こして国会請願を粘り強く続けていますが、この問題を解決することは生きる権利を守り、権力者の暴走を止める大きな力になります」。


レッドパージ:1949年から51年にかけ「公務を阻害する」「企業の破壊分子になる」と口実を付け、共産党員や共産党に同調する人、労働組合で活動する人を民間企業や官公庁等から追放した戦後最大の思想弾圧・人権侵害。全国で推定4万人もの人が職を奪われた。


署名とカンパのお願い

 「レッドパージ反対全国連絡センター」では、被害者の名誉回復と国家賠償を求める署名を集め、活動のためのカンパを募っています。署名やカンパにご協力いただける方は、下記の連絡先にご連絡ください。(事務所に人がいない場合もあります。メールやFAXもご利用ください)
レッドパージ反対全国連絡センター
〒114-0023 東京都北区滝野川3-3-1
ユニオンコーポ402労働図書資料室気付
電話・FAX:03-3576-3755
メール:repa.zenkoku@gmail.com
カンパ振込先
郵便振替 00130-4-263391
        「レッドパージ反対全国連絡センター」

いつでも元気 2017.12 No.314