まちのチカラ・神奈川県山北町 富士山のぞむ鉄道のまち
文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)
明治から昭和初期にかけて「鉄道のまち」として栄えた神奈川県山北町。
保管展示している蒸気機関車D52が48年ぶりに動いたのは昨年10月。
その勇壮な姿を一目見ようと、多くの観光客が詰めかけました。
都心から電車で約1時間半という近さにありながら、日本の古き良き原風景が残る町の魅力をお伝えします。
一番人気は登山
山北町で一番の人気は、なんといっても登山。町のほとんどを丹沢山地が占め、年間を通して登山客が絶えません。富士山が正面に見える標高723mの大野山のすそ野には、今年3月「県立山北つぶらの公園」もオープン。車で気軽に行ける富士山ビュースポットです。
町の中央には「ダム湖百選」の1つ、丹沢湖が佇んでいます。3月と10月初旬の日没には、湖畔の「千代の沢園地展望台」からダイヤモンド富士が見られることも。紅色に染まった湖越しに見る富士山は、さぞかし感動的なことでしょう。
さらに数年前からインターネット上で話題になっている場所があります。丹沢湖に面した玄倉地区から徒歩約2時間のユーシン渓谷にある玄倉ダム。光が差し込むとエメラルドグリーンやコバルトブルーに輝くことから「ユーシンブルー」と呼ばれ、昨年から秘境スポットとして観光客が急増しました。ただ、今年いっぱいは発電所の工事のため玄倉ダムに水がなく、ユーシンブルーは滅多に見られないのでご注意を。
鉄道に夢を乗せ
昨年10月、鉄道ファンの間でビッグニュースが流れました。国内の蒸気機関車の中で最高出力を誇るD52が、48年の時を経て再び動いたのです。全国に保管されている7両のD52のうち、自走可能なのは山北町の1両のみ。町が地方創生交付金を活用し、3700万円をかけて整備しました。
かつて東海道本線が御殿場駅を経由していた頃、山北駅は最大650人の職員が働く、箱根の山越えの拠点駅でした。蒸気機関車が多く待機していたため、「山北の雀は色が黒い」と言われるほどだったとか。しかし1934年に丹那トンネルが開通し、東海道本線が熱海経由に変更されると町は急速に静かに。当時90軒あった商店も、今や40軒にまで減りました。
D52の復活とともに町に元気を取り戻そうと、山北町酒販店会「ひだり会」が陶器製のSL機関車ボトル「俺たちのD52」を開発。地元出身の画家、野地悌子さんが描いた限定ラベルの地酒「丹沢山」とセットで買えば、SL談義がさらに盛り上がること間違いなしです。
足柄茶でほっこり
山北町が位置する神奈川県西部は、足柄茶の産地です。静岡の川根茶の産地と風土が似ていることから、1925年の関東大震災後に産業復興策として栽培をスタート。山間部で日照時間が短いため、成長に時間がかかるぶん、土壌の養分をたくさん吸収して葉が柔らかくなるそう。山に囲まれた山北町が足柄茶生産の約7割を担っています。
大野山にほど近い共和地区で、山林保全活動などを行っているNPO法人「共和のもり」理事長の井上正文さんに茶畑を案内してもらいました。この辺りはほとんどの人がお茶の兼業農家。地区ごとに共同組合をつくり、茶業センターと連携して製造販売しています。
「斜面でお茶を育てると、お茶の木の根元にだんだん土がたまってきます。これを除かないと、幹から根が生えてきて葉の生育が悪くなる。木の寿命は約40年と言われますが、丹念に育てればもっと長生きするんですよ」と井上さん。今後は有機栽培のお茶づくりにも挑戦したいそうです。
茶摘み作業は5月上旬から。今まさに、山肌を覆う茶畑が一斉に騒立っています。
個性的な移住者が活躍
ゆったりと山北時間を過ごしたい人には、町なかのカフェがおすすめです。昨年オープンした「さくらカフェ」は、線路沿いにひっそりと佇む民家。長く横浜市に住んでいた山田悦子さんが、実家のある山北町に夫婦でUターンして開きました。
「90代のおじいちゃんが仲良し3人組で定期的に来てくれたり、70代の人たちが同窓会を開いてくれたり、都会には無かったつながりが得られて面白いですよ」と夫の肇さん。山北町の魅力を尋ねると「個性的で元気な人たちがいること。やはり人が財産じゃないでしょうか」。
個性的といえば、週に4日リヤカーを引いてパンを売り歩いている花坂拓人さんもその1人。岩手県出身ですが、大学の授業で山北町に関わり「もっと深く知りたい」と卒業後に移住しました。小田原市にある天然酵母パン店の山北支店として、昨年から移動販売をしています。
「地域になじめるように商工会や消防団にも入っていますが、そうでなくても山北の人たちはすごく優しいです」。リヤカーの周りには子どもからお年寄りまで次々と人が集まってきて、すっかり人気のパン屋さん。
「でも町の人口は確実に減っています。特に奥地の集落には伝統行事や慣習など面白い文化がたくさんあるのに、放っておけば無くなるかもしれない。だからこそこの町で働いて、独自の文化を残す挑戦を地元の人たちと一緒にやってみたいと思ったんです」。
同じ志をもつ若い移住者仲間とともに稲作も始めたという花坂さん。地元の人たちに支えられながら、町に新しい風を運んでいます。
玄関に へのへのもへ
地域の独自の文化の1つ、「門入道」の保存活動をしているのは「へろくり倶楽部」の佐藤直美さんです。門入道とは、ウルシ科のヌルデの木片に〝へのへのもへ〟と顔を描いた2体1組の置物で、正月の門松を片付けた跡に置いて魔除けや疫除けとしていたもの。甲州、伊豆、信州などにも同様の文化が見られるそうです。
顔の描き方や呼び名はさまざまで、「各戸でなんとなく言い伝えられてきたのかも」と佐藤さん。ただ「20日の風にあてるな」といういわれは共通しており、恵比寿様が来るとされる1月20日までに、囲炉裏やどんど焼きで燃やして道祖神に納めたそうです。
ほかにも、樹齢2000年とされる箒杉や、「武田信玄の隠し湯」と言われる中川温泉、名水百選などに指定されている洒水の滝など、山北町の見所はあちこちに。登山の行き帰りにゆっくり観光してみてください。
■次回は福井県池田町です
いつでも元気 2017.6 No.308