ファインダーから覗いた「ろうあ運動」
写真家 豆塚猛
30年前から、ろう者(聴覚障害者)の権利と生活を守る「ろうあ運動」を撮り続けてきた豆塚猛さん。このほど、長年取材してきたろうあ運動家たちの物語をまとめた「道 ろうあ運動を支えた人びと」を出版しました。戦後のろうあ運動に尽力した方々を紹介します
現代ではろう者の権利も認められ、理解も広がっていますが、かつてろう者は長い間、差別に苦しんできました。家族の中ですら会話ができず、教育においても彼らの「言葉」である手話で授業を受けることは保障されませんでした。社会に出れば仕事も十分に与えられず、低賃金で働いていました。
ろうあ運動の前進は、「基本的人権の尊重」を定めた日本国憲法の下で育った“新しい活動家の活躍”が大きかったと思います。
1965年、口語での授業を行っていた京都府立ろう学校高等部で「学校は学生の意見を聞いてほしい。分かる授業をしてほしい」と生徒がストライキを起こしました。これをきっかけに翌年の耳の日(3月3日)に、京都ろうあ協会と京都府立ろう学校同窓会は共同でろう者の人権宣言となる「3・3声明」を発表しました。その時の生徒会長だった大矢暹さんは今、兵庫県にある特別養護老人ホーム「ふくろうの郷」の施設長として、ろう高齢者たちの声に耳を傾けています。
3・3声明と同じ年、全国ろうあ青年研究討論集会で「健聴者に可愛がられるろうあ者になれ」と訓示した全日本ろうあ連盟※の理事長に、若者たちは大いに反発。彼らはその後、連盟の中枢となり、権利を前面に押し出した運動を進めていきます。この頃がろうあ運動の大きな転換点だと、私は考えています。
※全国各地のろう者団体が加盟する全国組織。1947年に設立し、唯一の当事者団体としてろう者の暮らしと権利を守る運動を進めている
手話が禁止されていた時代
ろうあ運動では女性も活躍しています。滋賀の杉本はつさんは1922年生まれ。26歳で運動に参加し、滋賀にろうあ連盟の婦人部を作ることに奔走しました。
杉本さんが32歳になった1954年、念願の婦人部を設立。さっそく各地の運動の経験を学ぼうとしましたが、会員から「(全国の人が手話で)何を話しているのか分からない」と声が上がりました。
これには滋賀の少し特殊な事情があります。ろう学校で手話は完全禁止、子ども同士で手話で話していると体罰が加えられるなど、厳しい手話禁止令が敷かれていました。そのため、滋賀の多くのろう者は手話が苦手で、主として口話でコミュニケーションを取っていました。
杉本さんたちはまず手話を学ぼうとしましたが、場所がありません。ろう学校に掛け合いますが、「子どもたちが手話を見て、まねをしたら困る」との理由で貸してもらえません。ようやく理解のあった盲学校の部屋を借りることができ、活動を始めました。その後、滋賀でも手話による会話が広がっていきました。
「黙ったままでは何も生まれない」
1942年生まれの及川リウ子さんは中学1年生の時に骨髄炎を発症。闘病生活は10年にも及び、ベッドから動けない青春でした。14歳の時、薬による副作用で耳が不自由に。その後、国立玉浦診療所(宮城)に転院しました。
玉浦診療所では入院中の子どもたちに、同じく入院中の患者が先生となって授業を行う、通称「玉浦ベッドスクール」がありました。転院した及川さんもベッドの上で学びました。
「書見台に教科書を載せた初めての授業、ストレッチャーで講堂に運ばれて見た映画会、寝たままのバスから見せてもらった仙台の七夕祭りなど、本当に忘れられない思い出で一杯です」と及川さん。スクールには6カ月の在籍でしたが、学ぶ喜びと楽しい思い出が刻まれました。
21歳で病気は奇跡的に回復し東京へ。1966年、国立聴力言語障害センターで和文タイプを習得してタイピストとして働きながら、東京のろうあ運動に飛び込み、婦人部の活動を始めました。
1970年には全日本ろうあ連盟の書記局に入り、その後21年間、ろうあ運動の中心を担います。「ろうあ運動は私の学校だった。黙ったままでは何も生まれない。必要と思ったら運動することが大切だと学びました」。
常に希望を持ち、与えられた環境の中で学んできた及川さん。彼女の人生はろうあ運動の中で学び、運動の実践で社会に返し、その中でまた学ぶという繰り返しでした。
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取材の中で出会ったろうあ運動家たちに心引かれて、30年間シャッターを切り続けてきました。しかし、大切な運動家が一人、また一人と亡くなっていくのを見た時、「彼らの顔、人生、生き方を若い人に伝えなくては」という思いが募り、本にしました。杉本さんや及川さんをはじめ、35人のろうあ運動家が登場します。読者の皆さんにも、ぜひ彼らの人生を知っていただけたらと思います。
『道 ろうあ運動を支えた人びと』
【定価】1500円(税別)
【問い合わせ先】
全日本ろうあ連盟京都事務所
FAX:075-441-6147
Eメール:jdn@jfd.or.jp
いつでも元気 2017.5 No.307