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いつでも元気

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新連載 医療と介護の倫理 第1回 点滴を抜いてしまう患者さん

  点滴を患者さんが無意識に抜かないよう、家族の同意を得て手を縛ることがあります。これを「身体抑制」といいます。患者さんの命を救う点滴のために、やむを得ず身体抑制をする時、「病気を治す」医療の目的と「抑制されたくない」患者さんの希望が真っ向から対立します。
 患者さんの希望を尊重しつつどんな医療をすべきか、倫理的な判断が医療者に求められます。倫理とは人として守る道を意味し、善悪の判断において基準となるもの。道徳やモラルとほぼ同じ意味です。その時々の医療や介護が人の道、倫理に照らして、これで本当に良いのかを考えるのが「医療と介護の倫理」です。
 死は誰にでも訪れるもの、避けられないものです。一方で医療は本来、生き続けること、死を避けることを目的にしています。死を間際にした終末期に、医療と介護はどうかかわるべきか。ここでも、患者さんやご家族の希望を尊重した倫理的な判断が必要になります。
 医療と介護の倫理を考えるために、全日本民医連は全国の事業所に倫理委員会の設置を進めてきました。
 私が勤める病院も2003年、「医療倫理委員会」を設置しました。医師、看護師、技師、ソーシャルワーカーなど病院職員が5人、弁護士、大学教員、市民団体、主婦ら病院外の委員が5人の計10人で構成されています。
 委員会で取り上げた事例や全日本民医連の事例を交えながら、「医療と介護の倫理」をシリーズで紹介します。

◆◆◆

 訪問診療を受けながら、ご家族が自宅で看取った2人の患者さんを紹介します。
 1人目は高齢の男性です。脳卒中で倒れたあと、長期間自宅で介護を受けました。最後は肺炎にかかり自宅で亡くなりました。
 男性は脳卒中で入院した時、点滴を自分で抜いてしまうために手を縛られました。本人の強い希望で間もなく自宅に退院。ご家族は「もう2度と入院させまい」と考え、それ以来、1度も入院しませんでした。
 2人目は高齢の女性です。認知症になってから長年、ご家族が介護にあたってきました。亡くなる2カ月前から発熱と肺炎を繰り返し、自宅で最期を迎えました。
 この方はもともと入院が嫌いでした。肺炎で入院すると点滴を抜いてしまい、「帰る、帰る」と言い続けます。そんな姿を見ていた家族は10年近く、1度も入院させませんでした。
 自宅で亡くなることがこの方たちにとって最善の選択だったのか、倫理的にこれで良かったのかを病院の倫理委員会で話し合いました。そこで出された意見を紹介します。
 ひとつは過去の入院で辛い体験をしたため、入院医療に不信感をもってしまったという意見です。もし医療者と患者・家族の間にもう少し信頼関係があれば、病院で最期を迎える選択をしたかもしれません。
 もうひとつは、在宅死と病院死の違いにふれた意見です。大きな違いは最期の瞬間まで家族がそばにいて、「死に水」をとるかどうかです。家族が患者に寄り添える入院環境であれば、病院でも安心して最期を迎えることができたかもしれません。病院での看取りに対して、患者さんやご家族がもつ疎外感を取り上げた意見です。
 2013年の厚労省調査によれば、「認知症が進行し、身の回りの手助けが必要で、かなり衰弱が進んできた」場合、国民が希望する療養場所は介護施設59%、医療機関27%、居宅12%となっています。本来は居宅を希望していても、介護する家族がいなかったり、サポートする医療介護サービスの不足がある中で、多くの国民は病院や施設での療養を希望しています。
 自宅でも病院や施設でも、患者さんが希望する場所で安心して最期を迎えるためには、倫理面や制度面の課題がたくさんあります。


著者プロフィル

堀口信
(ほりぐち・まこと)
医師。全日本民医連医療介護倫理委員会委員長。函館稜北病院(北海道・道南勤労者医療協会)リハビリテーション科科長。同協会理事長

いつでも元気 2016.10 No.300