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いつでも元気

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特集 震災の現場から 守り抜いた医療と介護 共同の力で生活再建へ

 4月14、16日に起きた熊本地震は死者49人、震災関連死20人、住宅被害約12万棟と甚大な被害を起こし、今なお7000人以上が避難生活を続けています。全日本民医連は発災直後から全国支援を始め(のべ44県連から803人)、熊本県民医連とともに地域の医療と介護を守ってきました。熊本県には7つの健康友の会があり、全体で1万世帯の会員がいます。5月下旬から改めて、職員と友の会が共同で全会員宅を訪問し生活再建へ動き出しました。震災から1カ月の被災地を訪ねました。
文・新井健治(編集部)、写真・野田雅也 (被害状況など6月1日現在)

熊本市北区の福森一清さん宅で、妻の朝子さん(右)に支援物資を渡す北部健康友の会の戸田さん(中央)と、くすのきクリニックの井上事務長

熊本市北区の福森一清さん宅で、妻の朝子さん(右)に支援物資を渡す北部健康友の会の戸田さん(中央)と、くすのきクリニックの井上事務長

 

倒れた電柱と瓦礫の山

益城町宮園地区(5月19日)

益城町宮園地区(5月19日)

 震度7の激震が2度襲った益城町。同町宮園地区は震災から1カ月経っても倒れた電柱から電線がぶら下がり、倒壊した家屋の瓦礫が山積みのままです。
 くまもと健康友の会益城班の蒲生悦子さんと禿剛子さん、同会事務局次長の高崎清治さんが5月19日、『いつでも元気』6月号を手に会員宅を訪問しました。
 吉村八枝さんは、自宅隣の兄の家が全壊。「ここが玄関で、ここが寝室で」と、崩れた屋根の下を指します。「地震の後は飼い犬が怖がって、私から離れない」と言います。
 益城町は、全世帯の半数に近い4753軒が全半壊です。訪問する先々で「うちは6センチも傾いている」「今のままでは危ないと大工に言われた」など、会員が不安を口にします。
 古閑森博さん宅は大きな損傷はありませんが、夜は自宅裏のビニールハウスで寝ます。「1カ月過ぎても余震が多く、家の中では怖くて眠れない」と妻のよし江さん。
 友の会は全国支援を受け、町内107世帯の会員宅すべてを回りました。既に県外に転居したり高齢者施設に入居している会員もいます。

改めて感じた“民医連”

益城町宮園地区(5月19日)

益城町宮園地区(5月19日)

 熊本県民医連のセンター病院くわみず病院は熊本市中央区にあります。近隣の熊本市民病院が被災して救急と入院機能を失っており、くわみず病院の救急搬入や外来受診数は発災直後で通常の4~5倍、現在も2~3倍です。
 同院の池上あずさ院長は「支援がなければ、とても診療を続けられなかった。感謝しています」と話します。震災直後、テレビのテロップにいち早く、診療可能な病院として「くわみず病院」の名前が流れました。「『それだけで安心した』と患者さんから言われました」と振り返ります。
 「非常時は弱者が最も被害を受ける。肺炎や脱水で入院する患者さんが増えていますが、帰る自宅がない人もいます」と池上院長。熊本市民病院は2年後に再建の予定です。「それまで診療機能を維持するために、近隣の開業医と連携したい」と話します。
 同院は厳しい体制の中でも、全国支援を受けながら友の会員宅や病院周辺の全戸を訪問。また、熊本市と益城町の避難所で「健康相談活動」や「足浴ボランティア」を続けています。
 「行政とともに避難所を運営することで、まちづくりの生の現場を職員が体験している。また、全国支援を受けて改めて“民医連”を感じています」と井上悟事務長。
 総看護師長の川上和美さんは「職員はみな、懸命に患者と向き合っている。張り詰めた気持ちが1カ月続き、疲れがどっと出るころ。しっかりサポートしていきたい」と話しました。

住む場所がない

 熊本市北区のくすのきクリニック。あまり報じられませんが、周辺はビニールシートで覆われた家がたくさんあります。クリニック事務長の井上晋さんと、北部健康友の会副会長の宮川麗子さん、運営委員の戸田敏子さん、吉尾邦子さんの計4人で会員宅に支援物資を配りました。
 横田剛志さん宅は、外見はひび割れがある程度。しかし、屋内に入ると壁がはがれて天井は垂れ下がり、とても住める状況ではありません。
 「もはや取り壊すしかない。罹災証明書を発行してもらおうと、北区役所に電話したら『被災状況は外見で判断する』と言われた」と妻の芙美子さん。罹災証明書で全壊や大規模半壊と判定されれば、被災者生活再建支援金が支給されます。ところが、半壊や一部損壊では自治体によって違うものの、大きな支援はありません。
 横田さん宅のように、外見は一部損壊程度にしか見えなくても、大きな被害を受けた家は他にも多数あります。芙美子さんは「夫が心臓病を抱えており、クリニック近くに住みたいが建て直すお金はない。これからどうすればいいのか」と途方に暮れます。
 同じく会員の福森一清さん宅も、外見は大きな損傷がありませんが、中に入ると家全体が傾いており気分が悪くなります。福森さんは市営住宅の抽選に当たりましたが、市内の仮設住宅の建設は遅れています。友の会の村上一則会長は「住む所がないのが一番の課題。このままでは先の見通しが立たない」と語ります。
 クリニックの板井八重子院長は、阪神大震災以降、数年おきに繰り返す震災に備え災害時の教訓をまとめるべきと提言します。「エコノミークラス症候群の対処法や医療費・介護費の免除制度など、災害時に知っておくべき常識を一覧にできたら」と話しました。

メンタル面の支援が重要に

 菊陽病院(菊陽町)は精神科病院で、被災した病院から患者14人を受け入れ、職員のメンタルチェックもおこなっています。和田冬樹院長は「震災から1カ月で一段落し、現実に直面してうつ状態になる患者さんもいる。被災地ではこれからメンタル面の支援が重要になります」と話します。
 今回の地震は震度1以上の余震が1600回以上にものぼり、被災者は長く緊張を強いられています。「子どもに泣きつかれて大変な職員も多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)も心配です」と指摘。子どもの面接や、家に閉じこもって受診ができない患者の訪問も始める予定です。
 同院職員は友の会や全国の支援者とともに、菊陽町をはじめ近隣の大津町、合志市、西原村を訪問。車中泊の被災者を回ったり、片付けボランティアを続けてきました。

県連で行政に要望も

 大石史弘医師は熊本県民医連の3病院5診療所が所属する法人(芳和会)の理事長を務めます。「もともと県連全体で医師不足が深刻化していたところに今回の震災がおきました。医師が持ちこたえられるかと心配しましたが、民医連の支援は素早く、現場での混乱は最小限に食い止めることができました」と振り返ります。
 「しばらくは全国支援がいただけることになり、大変ありがたく思っています。今後は自前の医師確保が大きな課題」と大石理事長。また友の会と協力し、住民の生活再建に向け県連として行政に要望する予定です。「政府が復興予算を被災者本位に使うよう交渉していきたい」と話しました。


「被災地の実情 に合わせた支援を」

参院選熊本予定候補 阿部広美さんインタビュー

 七月一〇日投開票の参議院選挙で、全国三二の一人区すべてで野党共闘が実現しました。最初に野党統一候補に動いたのが熊本選挙区で、弁護士の阿部広美さんが立候補を予定しています。戦争法廃止や子育て支援、福祉の充実を訴えてきた阿部さん。熊本市西区在住で、自身も熊本地震で被災しながら避難所に出向いて法律相談をしてきた阿部さんに、被災者の声から見えてきた今後の課題について伺いました。

聞き手・寺田希望(編集部)

 一六日の地震は衝撃と同時に大きく揺れ始めて、一回目の地震では倒れなかった大きな棚がいくつも倒れてきました。夫と娘といっしょに家から出て、車で逃げようと思いましたが、道路が陥没していて、暗い中で運転するのは無理だとあきらめました。その夜はとにかく建物に入るのが怖くて、公園で過ごしました。朝になって指定避難場所の小学校に行くと、すでに人がいっぱい。近くにある支援学校が避難所として開放してくれていたので、私たちはそちらに行きました。
 最初の二日間は食べ物がなくて、六〇歳以上の方におにぎりが一個配られるだけ。若くて車のある人は、福岡との県境まで行けば食べ物は手に入れることもできましたが、小さい子どもがいるお母さん、とくに母子家庭の方は大変だったと思います。また、支援物資で飲み水は届けられていたのですが、トイレを流したりする生活用水は全然ありませんでした。ライフラインがなかなか復旧しなくて、
一週間ほど避難所で生活していました。
 避難してきた当初は、皆さん生きているだけでよかったと安心していましたが、気持ちが落ち着いてくると、「これから先の生活はどうなっていくんだろう」という不安が生まれていました。

地域によって異なる相談

 気持ちの整理ができた頃から、私も避難所を回って法律相談をしながら被災者の方の声を聞くようになりました。そこで気づいたのは、地域によって被災状況や住民の悩みは違うということです。
 震源地の益城町は全壊、半壊の家が非常に多く、「早く解体したいけれど、費用は後から出るんですか」という相談が多く寄せられます。解体の費用は国が負担しますが、それは自治体が指定した業者が工事をした場合に限ります。自分で業者に頼んで解体工事をしてもらい、後から費用を請求することはできません。
 南阿蘇村の立野地区では、家そのものはなんとか建っていても、敷地が崩落していたり、家の裏が山で土砂崩れの心配があったりします。そのような状況で自分の家が全壊と判断されるのか、大規模半壊なのか半壊なのかを気にしている方が大勢います。仮設住宅の入居条件は、家の損壊状況で決められてしまいますから。
 熊本市内でもこれから罹災証明書の問題は大きくなると思います。ようやく発行が始まりましたが、半壊の判定すら出ないところが多いと聞いています。応急危険度では立ち入るのが危険と判断されても、罹災証明では一部損壊になることもあります。そうなれば義捐金も出ません。一度「危険」と判断されたところに住むって、怖いですよ。だからもう帰れませんよね。それで義捐金すら出ないとなったら…。
 罹災証明書の発行は自治体がおこなっていますが、普段から自治体の職員は人手が足りていません。さらに今回の地震があって、職員は寝ずに仕事をしているような状態です。もう自治体に任せるのは無理な話なんです。被災者の不安を一日も早く少しでも軽減するためには、国として動いていかなければなりません。

生活再建への道筋を

 今、熊本では生活再建のめどが立たない人が何万人もいます。益城町や南阿蘇村では農業や酪農を営んでいる人が多いのですが、そういった方への支援制度がほとんどないのが現状です。ビルや工場が壊れて事業所の移転をしなければいけなかったり、倒壊した建物のローンが残っている人もいます。ローンの利子の優遇や税金の減免はこれからあるとは思いますが、それでは全然足りません。
 職を失ってしまっては生活の立て直しはできませんから、そういった困難を抱えた人たちにこそ支援が必要だと、強く感じています。

被災者が求めているもの

 阪神淡路大震災でも東日本大震災でも問題になったのは、仮設住宅に入居することでもともとあった地域のコミュニティーが分断させられることでした。熊本でも仮設住宅への入居が始まれば同様のことが起こりえます。
 激震地だった益城町の平田地区は小さな集落で、住民同士が肩を寄せ合って生活しています。震災が起こった時も、自分たちで米や野菜、湧き水を持って集会所に集まり、炊き出しをしていました。「初日からおみそ汁を飲んだよ」と聞き、市内では食べるものがなくて困っていたことを考えると、コミュニティーの強さを感じました。仮設住宅入居の際も日頃から支え合ってきた人たちのコミュニティーを壊さないようにすべきです。
 さらに、熊本地震の特徴は余震が続いていることです。前震や本震では持ちこたえた家も、これだけ余震が続いて本当に大丈夫なのか、ダメージを受けていないかと不安を抱えながら生活をしていかなければなりません。被災地域の実情を考慮して現行の制度を運用しつつ、それでも足りなければ新たな制度を作って支援することが必要です。
 被災者が何に困っているのかは直接聞かなければ分からないし、聞いたからには解決のために行動していきたいですね。震災前からの「生活を下から支えるのが政治」というスタンスは変わっていません。社会保障や福祉を充実させる政策を訴えていましたが、今回の震災でその思いがより強くなりました。被災者の声を国政に届けるためにも、市民の皆さんとともにたたかっていきます。

(インタビュー五月一〇日)


熊本地震の特徴と原発への影響

新潟大学名誉教授 立石雅昭さんに聞く

 震度7の激震を2度も記録した熊本地震。九州地方で震度7は観測史上初、さらに2度の激震は日本で初めてです。今回の地震の特徴と川内原発への影響について、立石雅昭さん(新潟大学名誉教授)に聞きました。聞き手・宮武真希(編集部)

地図

 今回の熊本地震には、2つの大きな特徴があります。第一に、震源がつぎつぎに移動したこと。第二に、規模の大きな地震が何度も起きたということです。震度1以上の余震は1500回を超え、M3・5以上の地震は5月11日現在で234回と、中越地震を超えて最多です(図1)。

図1

震源が浅い内陸直下型地震

 熊本県がある九州の中部地域は、九州北部と南部の大地がそれぞれ北と南に移動したために、大地が落ち込んでいる地域です。落ち込んだ部分は別府-島原地溝帯と呼ばれ、今回の地震はその南縁で起こっています。
 今回の地震によって布田川・日奈久断層帯は横に動き、さらに縦にもずれ動きました。このような、陸域の浅いところで発生する地震を、「内陸直下型地震」と呼びます。
 2011年の東日本大震災は、震源が深い「プレート境界型地震」でした。これは規模が大きく広い範囲が揺れますが、震源から離れているために地表の揺れは大きくありません。それに比べて、今回の「内陸直下型地震」は震源が浅く、被害を受けるのは狭い範囲です。しかし地表の揺れは大きいため、大きな被害を受けることが特徴です。

川内原発は止めるべき

 熊本地震は震源が移動する特徴があるにも関わらず、原子力規制委員会は「いまのところ安全上の問題があるとは判断していない」と言っています(4月18日会見)。
 しかし私は、今回の地震の特徴から見れば、川内原発付近に大きな地震が起こる可能性は高いだろうと考えています。M7・3の地震の震源から80キロしか離れてない場所に稼働中の原発があることは、ものすごく恐いことです。鉄道や道路も壊滅的な被害を受けており、計画どおりの避難ができないことは明らかです。川内原発はすぐに止めるべきです。

防災・減災の観点から

 現在、日本列島には約2000の活断層があり、それ以外にもたくさんの断層があることがわかっています。断層とは、過去に起きた内陸直下型地震によって発生した地層や岩石のズレのことです。そのなかでも最近動いた痕跡があり、今後も活動して地震を引き起こすと考えられるものを「活断層」と言います。
 政府の地震調査委員会は2011年以降、主要な活断層だけでなく、規模が小さい活断層も含めて、今後30年以内にM6・8以上の地震が起こりうる確率や地震規模の評価を地方ごとに実施しています。
 九州地方の評価は、2013年に報告されました。九州中部18~27%、九州全体で30~42%との評価でした。つまり、研究者のあいだでは九州中部で地震が起きる確率が高いことは、よく知られていたのです。しかし、「まさか熊本で起こるなんて」という声が報道されたように、住民にはその事実がじゅうぶん伝わっていなかったと言えます。 
 地震が起こる確率は、必ずしも研究や調査・評価の結果どおりとは限りません。ただし、防災・減災の観点に立ち、耐震対策や避難計画の策定に活かすことは必要でしょう。自治体の基幹となる市役所や緊急時に避難所となる公共施設などで耐震対応をきっちり備えることは、住民にとって大事なことです。

研究を住民生活に活かすには

 今回の地震が阿蘇山へどのような影響を与えるのかは、住民の大きな不安の1つだと思います。地震と火山活動のメカニズムはまだ解明されていませんが、「火山活動に影響を与える可能性がある」ということは考えられると思います。
 日本は、いつどこで地震が起こるかわからない「地震活動期に入った」と言われます。地震調査研究推進本部が昨年発表した関東地域の長期評価によると、関東全域でM6・8以上の地震が発生する確率は50~60%です(図2)。調査や研究の成果を住民生活にどのように活かしていくか、これはわれわれ研究者にとってもメディアにとっても、大きな課題であり、教訓でしょう。

図2

いつでも元気 2016.7 No.297