特集 日本の難民 翻弄される人びと 弱者に冷たい国、日本 フォトジャーナリスト 佐藤文則
現在、紛争やテロの脅威にさらされ、シリアなどの中東から逃れてくる難民は過去最多となり、大きな国際問題になっています。また、昨年11月のパリ同時テロの影響から、欧州では難民受け入れに難色を示す国が増えてきました。日本は難民を申請した人のうち、わずか0・2%しか受け入れていません。日本に逃れてきた難民はどのような状況に置かれているのか、佐藤文則さん(フォトジャーナリスト)の報告です。
2015年4月、東京は桜の季節だった。待ち合わせた公園のベンチに座ると、広場の向こう側にひときわ大きな桜の木が見えた。近所の会社員だろうか。木の下では、背広姿の男たちがビニールシートを広げて花見の準備をしていた。
「綺麗ですね。日本に来てから25回目の桜です」─。ミャンマー難民のミヤティンさん(57)は、呆れたように笑った。
長すぎた26年
ミヤティンさんは、1988年のミャンマー(当時はビルマ)の民主化運動に参加。軍事政権の弾圧で身の危険を感じて89年、日本に逃れた。脱出できるならば、どの国でもよかった。
国に残した家族に迷惑を掛けたくない。来日後しばらくは民主化運動を控えていたが、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スーチー氏が率いる「国民民主連盟」(NLD)の日本支部に参加。今は、その副議長だ。
日本政府に難民認定を2回申請したが、法務省は「帰国しても迫害の恐れはない」との理由から、いずれも不認定。その後、人道的配慮による特別在留許可を得た。
「どうして、入国管理局は私を正式に難民として認めないのでしょうか。悔しいですが、これ以上争うことに疲れました」。ミヤティンさんの、諦観と怒りが入り混じった複雑な表情を覚えている。
来日からはや26年が過ぎた。自ら望んで難民になる人はいない。民主化運動を続けてきたことには悔いはないが、難民であるがゆえに、普通の人とは異なる限定された人生を歩んでしまったと考えることがある。
ミヤティンさんはより高度な勉強がしたいと、いつも思い続けてきた。独学で日本語を学び、日本語能力試験2級の資格をとった。数年前に、難民対象の大学推薦入学制度を受験したが、結果は不合格。「50過ぎの人が受かるわけありません。若くて将来性のある人が受かりますよね」とこぼした。
望郷の思いも次第に強くなる。2013年4月、スーチー氏が来日したおり、ミヤティンさんは「私はもうミャンマーに帰りたい」と正直に告げた。それに対し、スーチー氏は「今の私の力では何も保障できません。もう少し日本でがんばってください」と答えた。期待した答えではなかった。だが、氏と国の状況を考えれば、当然な意見だった。
見えてきた希望
ミャンマーは2011年に軍政から民政に移管した。昨年11月には総選挙がおこなわれ、スーチー氏が率いる野党の国民民主連盟は上下院議席の過半数を獲得。今年4月には、スーチー氏主導の政権が誕生する予定だ。
民主化を願い続けてきたミヤティンさんたちにとって、大きな扉が開かれた。しかし、まだ始まりに過ぎない。長年にわたり政治を支配した国軍との和解、少数民族との和平、そして不法移民として市民権を認められていないロヒンギャ(注)など、多くの問題を抱えるなか、民主化を押し進めることは容易なことではない。
「落ち着いたら一時帰国して、それから将来のことを考えたい」と語るミヤティンさん。晴れて故国の地で桜を見る日は近いかもしれない。
【注】ミャンマー・ラカイン州に住むイスラム系の人びと
押し込められる難民
茨城県牛久市の常磐線牛久駅を出ると、目的地に向かうバス停はすぐに分かった。差し入れだろうか、大きなビニール袋を手にしたインド人らしき女性がバス停前に立っていた。「牛久浄苑行き」のバスで約20分、「農芸学園前」で下車。県道を外れ、人家もない道を5分ほど歩くと、「法務省入国者収容所東日本入国管理センター」(通称・牛久入管)の看板が見えてきた。
初めて“不法滞在”の外国人を収容する牛久入管を訪れたのは、今から十数年前だった。ミャンマー人に誘われ、そこに収容されている難民申請中の2人と面会した。ガラス越しの面会だったが、彼らはとても嬉しそうだった。最後に「また来てください!」と言った彼ら。約束は果たせなかったが、今でもその言葉を覚えている。
その当時から閉鎖的と言われていた日本の難民認定制度と収容状況は、残念ながら現在もあまり変わっていない。日本は1981年に難民条約を締結した。もちろん締約国によって条約の解釈は異なるが、日本は欧米諸国に比べて審査基準が厳しく、難民受け入れ数は極端に少ない。申請者は迫害の危険を証明する「個別的具体的な事情」の提示が必要だ。
例えば、「同じグループの仲間が政治的弾圧で警察に捕まった。だから自分も危ない」と言っても、それはあくまで可能性にすぎない。集団の一員としての危険性は考慮されることはなく、あくまで個人としての危険性を具体的に立証しなければならない。厳格な審査基準の下では、それは極めて困難だ。また、難民申請中の長期収容や仮放免中の就労禁止・移動制限など、申請者の法的地位はあまり認められていない。弁護士会や人権団体はしばしば改善措置を求めてきたが、一向に変わる気配はない。
毎年、法務省が発表する「我が国における難民庇護の状況等」(2014年度版)によれば、難民申請者は過去最高の5000人。そのうち庇護者(注)は141人だが、難民認定されたのはわずか11人。残り130人は難民としては認めないが人道上の配慮からの特別在留許可だ。さらに、庇護者の数は1999年の531人をピークに、年々減少している。日本が「難民鎖国」と言われる由縁だ。
牛久入管には常時200人以上の“不法滞在者”が収容されており、そのなかには多くの難民申請者が含まれている。彼らの主な国籍はスリランカ、ネパール、トルコ(主にクルド人)、ベトナム、パキスタン、イラン、ナイジェリアなどだ。
【注】難民認定された人と人道上の配慮からの特別在留許可となった人
軽視される人命
1995年から、収容者との面会活動を続けながら、処遇・待遇改善を求めてきた市民団体「牛久入管収容問題を考える会」代表の田中喜美子さんは、「最大の問題は長期収容と医療」と指摘する。申請者の平均収容日数は約6カ月だが、1~2年以上収容されている人はめずらしくない。いつ強制送還されるのか、仮放免の申請はどうなっているのか、家族はどうしているのだろうか、不安な収容生活の毎日。長期になれば、ストレスなどの原因から体調不良を訴える人は当然増えてくる。
ミヤティンさんも牛久入管に収容された一人だった。手足の痺れや胃炎による体調不良で、入管で医師の診察を受け、抗うつ薬などを投与された。だが、足の自由が効かなくなり、車いすでの生活を余儀なくされるほど体調は悪化。仮放免後、病院で診察を受けると、その医師は入管で処方された薬の副作用が原因の薬剤性パーキンソン症候群の疑いを指摘した。現在も治療は続いている。
牛久入管には非常勤医師が週5日の午後に待機しているが、収容者が体調不良を訴えても、すぐに診察は受けられない。申請して受理され、はじめて診察を受けることができるが、数日かかることもある。さらに外部の病院で専門医の治療が必要となれば、それ以上の日数がかかってしまう。
2013年3月末、牛久入管内で難民申請中のイラン人男性(33)とカメルーン人男性(40代)が相次いで死亡した。どちらも以前から病気と体調不良を抱えていた。職員の適切な判断で、外部の病院へ搬送・治療されていれば、救われた可能性は高い。
「その後、すぐに外部の病院に連れて行く改善措置が見られましたが、最近では収容者が申請しても1カ月も連れて行ってくれないとの苦情を聞くようになりました」と、田中さんは話していた。
私は、難民申請者に収容が必要だとは思えない。だが、それでも収容が必要とするならば、入管はその間、彼らの大切な命を預かる責任と義務がある。収容期間の短縮と医療体制の改善が強く望まれる。
取材の帰りに、入管施設の裏側へ回った。狭い農道の左手には入管の高い塀、右手には広大な畑と、その先に高さ120メートルの巨大な牛久大仏の姿が見えた。収容者は、施設の中からその大仏の姿を見ることができるのだろうか。ちょうど、1日40分の運動の時間だった。塀の内側から時々、歓声が聞こえていた。
難民を認めない国
2015年9月の国連総会では、欧州に流出するシリアとイラク難民問題が主要議題となった。シリア内戦が始まって5年。同国の人口2200万人のうち400万人以上が国外に避難。多くは、トルコやヨルダンなどの周辺諸国で難民生活を送っている。15年には急激に増え、60万人以上にも達した。
これに対し、ドイツやスウェーデンなどの欧州諸国、そして他の地域の国々も次々に難民受け入れ拡大を表明した。一方、日本では、11年からこれまでに難民認定を申請したシリア人は63人。そのうち、認定されたのはわずか3人。この3人は家族、つまり1世帯にしか過ぎない。
15年10月、シリア北部出身の20代男性に話を聞いた。シリアで民主化デモに参加していた彼は、先に逃れた兄弟を追って3年前に出国。だが、ビザを手配したブローカーに騙され予定外の国に到着し、経由地だった日本に送還された。難民認定の申請をしたが、法務省は「帰国しても、迫害を受ける恐れはない」と判断、不認定とした。現在は人道上の配慮から在留許可を得ているが、毎年更新が必要で不安定な生活が続いている。
彼はシリアで農業を学んでいた。日本の大学でも農業を学びたいと、独学で日本語を勉強している。難民として認定されれば、語学や就労などの支援が保障され生活が安定し、母国に残してきた家族を呼び寄せやすくなる。現在、法務省の決定を不服とし、同じく不認定とされたシリア人らと認定を求めて係争中だ。
今こそ積極的なとりくみを
日本政府は中東・北アフリカからの難民問題に対して、8億1000万ドル(約972億円)の経済支援を表明したが、難民受け入れについては及び腰だ。法務省が昨年9月に発表した難民認定制度の運用見直しでは、紛争から逃れた人々の在留を「紛争退避機会」という形で、認める方向を示した。だが、「難民条約の迫害理由にない」と、これまでの審査基準を改めることなく、難民認定を増やす方針を示していない。
パリ同時テロ事件以降、欧米諸国はシリア難民の受け入れに慎重な姿勢を取り始めた。その一方、有志国連合によるシリアへの「報復空爆」は激しさを増している。このままでは、より多くの難民が生じるのは明らかだ。
日本政府は国際社会の一員として、シリア難民の受け入れと保護に積極的にとりくむ責任と、難民制度のさらなる見直しが必要だと言える。
受け入れは日本のため 全国難民弁護団連絡会議 渡邉彰悟弁護士に聞く
日本が難民に対して閉鎖的な政策をとっている背景には何があるのか、海外とどう状況が違うのか。「全国難民弁護団連絡会議」代表世話人の渡邉彰悟弁護士に聞きました。
聞き手・井口誠二(編集部)
──世界と日本の難民受け入れ状況を教えてください。
ヨーロッパで最も多くの難民を受け入れているのはドイツで、昨年1?3月の3カ月間で約4万8000人です。次いでフランス約1万7000人、イギリス約1万2000人です。一方、日本は2014年の1年間で5000人の難民認定申請がありましたが、わずか11人しか受け入れていません。
ドイツは第二次大戦を踏まえた歴史的な反省から「難民に対して手を差し伸べることは義務である」という立場で、憲法でも「政治的な被迫害者は庇護権(注)を有する」と保障しています。
【注】本国政府から政治的迫害を受け、またはその危険性のある者が、外国または在外公館などに庇護を求めた場合に、外国または在外公館などがその者を保護する権利
──ヨーロッパでも、難民受け入れに難色を示している国もあります。
話の前提として誤解を解いておきます。たとえば「東欧の国は全体的に難民に厳しい」という印象を抱く人は多いと思います。しかし、そうした国と日本では、問題の次元がまるで違います。
受け入れに難色を示していると言われる国が、先ほどと同じ3カ月間でどれほど受け入れているでしょう。ポーランド920人、ルーマニア265人、ルクセンブルク250人です。4万人以上受け入れたドイツと比べると少ないでしょうが、日本とは比べるべくもありません。
しかし、日本はかつてベトナム戦争の影響で国外に逃れたインドシナ難民を、1万人近く受け入れています。日本は難民を受け入れる経験も余力も持っているのに、現在は受け入れていないのです。
──なぜ日本政府は難民をここまで拒むのでしょう?
出入国管理を司る入国管理局が、難民認定の行政手続きをすべてやっていることからくる限界があります。
また、日本は難民保護に外交上の政治的配慮を持ち込んでいます。わかりやすい例が、トルコからのクルド人難民です。日本はクルド人を、ただの一人も難民認定していません。トルコが日本にとって友好国だからです。クルド人を難民認定することは、友好国の民族迫害を認めることになる、だから認定しない。しかし難民認定は政治的配慮によることなく、毅然と判断されるべきです。
政府関係者がよく口にするのが「ちょっと基準を緩めると、ぞろぞろとやって来る」という表現。何がまずいのかと思いますが、アメリカやヨーロッパ以外から来る人たちを「日本の治安を害する人」と考えているのでしょう。とても恥ずかしい認識です。難民を1000人単位で受け入れても、日本に何か悪影響が出るとは考えられません。
外国人が増えれば犯罪が増えることもありえません。人が罪を犯す要因はさまざまですが、たとえば貧困や差別などが絡まって犯罪に至ることもあります。社会が多文化や多様性に対して寛容で弱者に手を差し伸べるものであれば、外国人にとっても暮らしやすい社会になります。いまヘイトスピーチが問題になっていますが、その逆の寛容な社会の姿勢を示していくことが重要です。
特別なことをする必要はありません。日本人と同じように接するだけでいいのです。多くの人は外国人の隣人・友人がいない、だから一方的な報道や発表に惑わされて悪いイメージを作ってしまう。これは2003年頃から、東京都や警視庁・入国管理局が「違法な在留資格のない外国人を追い出そう」というキャンペーンを強めたことが大きく影響しています。
難民放置は社会の不正義
──「在留資格がない」と言われると、「正規の方法で在留資格を取るべき」と考えてしまいます。
非正規な在留をそのままにしておくことは必ずしも人道にかなうことではありません。欧米諸国ではアムネスティ(=恩赦)という考えで正規化が実行されています。たとえば、一定期間以上の滞在を証明できる外国人には、難民いかんにかかわらず在留資格を与えることがあります。人間が社会で生活している以上、通常得られる社会的な利益を守ろうという発想です。また非正規のままでは、低賃金で搾取され続けることになる。それは人間の尊厳を脅かす社会の不正義であり、在留資格を与えることで不正義を是正し尊厳を回復しようという考えでもあります。
難民ではもっと単純です。難民条約では、パスポートや在留資格の正規・非正規は大きな問題にしていません。「命からがら逃げてくる人たちが、正規の手続きで出国してくる」という発想がそもそも合理的ではありません。
このような人間の営みを保護する国際条約(自由権規約・児童の権利条約など)はたくさんあります。日本はこれらの条約を批准しています。ただ残念ながら、国連の自由権規約人権委員会など国際機関から履行を求める勧告を受け続けていますが、実質的な改善はないままです。
多くの日本人はこのような事情を知らず、国際的な場面において日本がどんな役割を果たし、どのように見られているのかわからない状況です。他方、シリア難民危機が浮き彫りになるなかで、日本の難民受け入れ姿勢は海外メディアからも批判的に報じられています。このままでは、日本が条約を守らない身勝手な国という見方が広まってしまいます。
日本は世界から孤立しつつあるということを、私は感じますし、そのことを自覚しなくてはならないと思います。
──この先、日本はどうすればよいと考えますか?
徹底した平和主義を具体的に実行すべきだと思います。難民問題はその大きな要素であり礎となります。とにかく現実に手を差し伸べることが何より重要です。それは大局的に日本の将来や安全保障に大きく寄与します。紛争当事者の一方に資金援助をするような政策のみでは、結果的に安全保障を危うくします。
同時に、紛争地帯からの避難民を放置することは、不安定要素をそのままにし、紛争終息に向けてもマイナスです。この観点からもしっかり救済し、紛争から遠ざけることで安全保障に寄与できます。
現時点で日本はこの問題に向けた具体的な行動を何ら提示できていません。このことは日本の将来に大きなマイナスであることを考えてほしいのです。
いつでも元気 2016.2 No.292