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いつでも元気

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右傾化するフランス パリ同時テロの影響 プラド夏樹

 2015年11月13日、フランスでISによる同時テロが起き、130人以上の市民が亡くなりました。テロ後のフランスの動きをパリ在住のプラド夏樹さん(ジャーナリスト)に伝えてもらいました。

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エッフェル塔の前で警備にあたるフランス軍兵士。その手には銃が

 テロの標的となったサン・マルタン河岸付近は、老いも若きも、有名人も貧乏学生も、イスラム教徒もユダヤ教徒も無神論者も隣り合わせで暮らしている地域だ。異文化の共存がクリエイティブな力につながっているという点では、第二次世界大戦前後のサンジェルマン・デプレとも比較できるかもしれない。
 アメリカのツインタワーのような「経済的繁栄」のシンボルではなかったが、このような庶民の生活の場を狙うことで、パリ同時テロはフランス文化の核となる部分を確実に突いたと思う。今、カフェのテラスは人が少なくなり、地方から来た友人は「パリ、静かになっちゃったね。笑い声が聞こえない」と言った。
 そのショックもさることながら、私はテロ翌日のメディアと政界が、こぞって「このままにさせてはおけない」「正当防衛を」という論調で、もはや、右派も左派も中道もなくなっていることに戦慄をおぼえた。何かが間違っている、急ぎ過ぎているのではないかと感じた人は多かっただろうが、国全体が憑かれたように「報復」に向かって突進した。

非常事態下ですすむ人権侵害

 1週間後、警察権限を強化する「非常事態」を3カ月延長することが、国会で可決された。ほとんど全員一致(551対6)で、討論すらなかったという。政治論議が日常茶飯事で、食卓で意見が食い違い口論になることも珍しくないお国柄であるだけに、ここまで簡単に全員の意見が一致することに、なにか異様なものを感じずにはいられない。
 フランスのお家芸ともいえる、ストライキやデモをする集会の権利もなくなった。昨年11月末からパリで開かれた地球温暖化対策の国連会議COP21に先立って、平和的意図でレピュブリック広場に集まったエコロジストたちが機動隊に包囲され、こん棒で殴られる事件も起きた。
 裁判所の令状無しで家宅捜査が可能になったため、テロ後わずか10日間で1027軒の家宅捜査がおこなわれた。対象となった多くはアラブ系の人々であり、閉鎖されたモスクや、自宅軟禁になったイマーム(指導者)もいた。
 このような事態が続けば、穏健なイスラム教徒の人びとの疎外感が深まり、国を「イスラム系」と「それ以外の人びと」に二分することにならないだろうか。そうなればISの思惑にはまる日は遠くない。アルカイダの戦略家、アブー・ムサブ・アル・スリは「欧米社会でテロを起こせ。そしてイスラム教徒とそれ以外の人びとを対立させ、市民戦争を」と呼びかけているのだから。

屈辱の歴史のはてに

 ここで、中東と欧米の関係を見直したい。中世期に聖地奪回のために派遣された十字軍の残虐行為、20世紀初頭の列強国による中東分割、そして独立後は傀儡政権による独裁、パレスチナ問題、アフガニスタン戦争とイラク戦争。このような歴史の末、イラク戦争中に米軍のブッカ収容所にいた囚人たちの間でISは構想された。いわば歴史を通じて積み重ねられた屈辱と怨恨の結晶だ。
 テロ後、有志連合によるIS占領地区への空爆は強化されている。2014年9月以来、仏戦闘機ラファールとミラージュ2000は680個の爆弾を落としているが、12月初頭には「爆弾が不足、追加注文」というニュースもあった。
 空爆の巻き添えになったシリアやイラク市民の数は発表すらされていないが、中東の人びとが欧米諸国に対し「あまりにも不当」という意識をさらに深めても不思議はない。たとえISが壊滅しても、それに代わる新たな過激運動が生まれる土壌は、できあがっているのではないだろうか。
 また、フランスは空爆の傍ら、ISに資金援助をしているサウジアラビアと、経済的に密接な関係を維持し続けている。2015年、フランスはサウジアラビアへの武器輸出が世界第2位だった。間接的であれ、ISを援助していると言ってよいだろう。本当にISを駆逐したいのならば、このような欺瞞に満ちた中東との関係を解決することから始めるべきではないだろうか。

欧米目線から外れて

 欧米と中東の歪んだ関係の一方、日本は中東と物理的に距離が遠く、過去に軋轢も接触もなかったからこそ、これから真摯な関係を育むことができるのではないか。もちろん、欧米目線から外れて、米国と一線を画す態度を示してのことだが。
 イスラム系の人々の不満の要因であるパレスチナ問題解決に外交面で尽力すること、ISに資金援助する国からの石油輸入を減らすこと、そして積極的にシリアやイラクの難民を受け入れたらどうだろうか。
 昨年12月半ばのフランス地方議会選挙第1回投票では極右政党が圧勝した(第2回投票は敗退)。未曾有のことだ。ノルウェーで2011年に連続テロ事件があったとき、当時のノルウェー首相は「この恐ろしい事件に対応するために、民主主義をこれまで以上に推しすすめ、より開かれた、より寛大な社会をつくろう」と国民に呼びかけた。今回のテロ後に、オランド大統領がこのように言っていたら、フランスもここまで右傾化しなかったのではと、悔やまれずにはいられない。


プラド夏樹(ぷらど・なつき)
 パリの日本人向けコミュニティー誌の編集を経て、ジャーナリストとして活動

いつでも元気 2016.2 No.292