まちのチカラ 第3回 鹿児島県与論町 海と言葉と伝統を次世代へ
天然石のように輝く海と、ザワワと揺れるサトウキビ畑。かつて日本最南端の地ともてはやされた与論島では、今、その唯一無二の観光資源と、島ならではの伝統文化を未来に受け継ぐさまざまなとりくみが始まっています。
とことん透明な海を満喫
そっと海に潜ると、目を見張るほどカラフルな熱帯魚が悠々と泳いでいました。干潮の時だけ現れることで有名な百合ケ浜だけでなく、与論島には60ものビーチと、あらゆるマリンレジャーが揃っています。中でも数年前から人気急上昇なのは「スタンド・アップ・パドル(SUP)」。少し大きめのサーフボードを船のように漕ぎ、立って進むも良し、座って波に揺られるも良しという注目のスポーツです。ボード上での釣りやヨガなど、遊び方もいろいろ。思い切って寝転がれば、まるでソーダ水のように青い海と一体化できること間違いなしです。
魅力は“ゆったり感”
1970年代の離島ブームの時は、人口7000人の小さな島に20万人以上が押し寄せたといいます。しかし沖縄返還後の30年間で、観光客は5万人台まで減少。肩がぶつかるほど賑わった通称“銀座通り”も、今ではじんわりと哀愁がただよっています。
町は、ギリシャのミコノス島と姉妹盟約を結んで異国情緒あふれる街並みづくりを試みたり、海底宮殿や沈船あまみで話題をつくったりと、あの手この手で打開策を探ってきました。しかしどれも起爆剤にはならず、「観光客が減少するスピードを緩和できただけでした」と与論町商工観光課の大馬福徳さんは言います。「島の魅力が何かを考えないまま、旅行会社に言われる通りに動いてきたのだと思います」。
そこで同課は島のイメージ戦略に乗り出しました。与論ならではのゆったり感を武器にテレビ番組を誘致したり、台風のたびにすすんで映像を提供し、知名度アップを図りました。その結果、2年前から観光客数が上向きになり、静かなブームを呼んでいます。
ビーチの清掃は当たり前
毎朝6時半、まだやんわりと月の影が残る砂浜に、島の人や旅人など十数人が集まります。手にはトングとゴミ袋。波とともに打ち上げられるゴミを拾おうと、2年前に始まった自主清掃活動です。
発起人の池田龍介さんは、長野県でNPO職員として働いた後、島に戻って「誇れるふるさとネットワーク」を設立しました。「故郷のためにできること」としてゴミ拾いを始めたところ、4日後には同級生が集まって清掃チームに。その後も雪だるま式に輪が広がり、2年目には上半期だけで延べ2000人が参加するまでになりました。そのうち8割は地元の人だといいます。
「海のゴミは、いくら拾ってもなくなりません。でも、気づいたら拾うという習慣が島に根付けば、清掃活動自体がなくなるかもしれない。ひと任せにしないで、自分から動く意識が広がっていけばいいなと思います」と池田さん。慈善活動としてではなく、あくまで日課としての環境保全をめざします。
新しい風を島の風に
海の環境を守るためには、生活排水を減らすことも大切です。与論町は風呂場や台所の排水も浄化する合併処理浄化槽の普及率が47・2%と低く、多くはトイレの汚水しか処理されていません。そこで池田さんは、汚れを分解する自然に優しい洗剤を島内で普及させようと、福岡の製造元と交渉して販売を始めました。
その心意気に共感し、一緒に洗剤を販売している「くじらカフェ」オーナーの村上由季さんは、東京から2年前に引っ越してきたIターンママです。島に来て変化したことは? と尋ねると、「焦らなくなった」「待つことを覚えた」「イライラしなくなった」と枚挙にいとまがないほど。
与論島の魅力は「何もないこと」。だからこそクリエイティブになれると村上さんは言います。「ここでなら実現できそうなことがたくさんあります。けれどアイデアだけでは島の人に理解してもらえません。池田さんのような“つなぎ役”がいるからこそ、新しい提案もできます」。島外から吹き込む風も、心地よい島の風に変わって緩やかに流れています。
「ユンヌフトゥバ」を宝物に
与論島民の誇りは海だけではありません。悠久の歴史を内包する「言葉」もそのひとつ。与論の方言を意味する「ユンヌフトゥバ」(島言葉)は、琉球語に位置付けられる貴重な文化です。
与論小学校の岩下朝恵教諭は4年前に島に戻り、「単語は知っていても話せない実態に驚いた」と言います。小学校では十数年前から方言を教えていましたが、もはや若い先生たちが話せないなか、教材だけで言葉を教えるのは限界でした。
「そもそも私の世代は『方言は喋るな』と言われて育ちました。部落差別と同様に島差別があった時代です。だから逆に、今の子どもたちには『大切な宝物』としてユンヌフトゥバを捉えさせてあげたい。自尊感情を育てるためにも、祖先からの言葉を受け継ぐことは大切です」。
岩下さんは方言を話せる地元の人たちに「バイリンガル認定証」を配布し、子どもたちが親と一緒に地元の年配者を訪ねるような仕掛けをつくりました。「ユンヌフトゥバには英語と似た発音があるので、共通語しか話せない子より、英語力も伸びやすいそうです。これからは多言語の時代。まさに最南端は最先端です」と目を輝かせました。
学べる観光地をめざして
これまで島の文化継承を担ってきたのは、与論民俗村の菊秀史さんです。母親の千代さんは、民俗村の創始者でかつ芭蕉布織りの職人。さらに与論方言辞典の著者でもあります。
この日は、与論中学校の生徒が郷土学習のために訪れました。知っている島言葉を尋ねると、「トートゥガナシ(ありがとう)」「アンマー(お母さん)」「サービタン(ごめんください)」と次々に手を挙げます。「単語はよく知っているね。方言には、共通語には訳せない表現があることも覚えて帰ってください」と菊さん。たとえば「久しぶり」という挨拶は、感情の度合い別に3種類あるのだとか。その土地ならではの心の機微を伝え合うツールが、言葉という文化なのです。
「観光に来た人たちには、与論の文化を伝えるだけでなく、その人の地元を省みてもらうよう促しています。学びの場としても楽しめる観光地をめざしたいですね」。自分たちの文化を正しく知ることが、これからの観光の出発点といえそうです。
受け継がれる宝
450年余りの伝統がある「十五夜踊り」は、大和の狂言風芝居と琉球風の踊りが共演する国指定重要無形民俗文化財です。
舞台となる琴平神社は琉球三山時代に建てられた城跡にあり、遠くに沖縄本島も望めます。もともとはウガンと呼ばれる土着信仰の拝所でしたが、明治以降の廃仏毀釈で神社として祀られるようになったそうです。
権禰宜(神職の一つ)の沖道成さんと事務員の田近朱里さんは、参拝客に島の歴史と信仰について話してくれる語り部的存在。琉球戦国列伝から与論の英雄伝説まで、南国のダイナミックな物語は迫力満点です。「だけど本当は、島の子どもたちに伝えたいんですよね」と道成さん。島外に出て初めて「地元のことを知らない」ことや「島の人に育てられた」ことに気づいたと言います。
「まるで天国のような島」と注目される与論島。しかしそこに在る宝は、今も昔も人の手によって守られ、受け継がれています。
文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)
☆次回は岩手県葛巻町です。
いつでも元気 2016.1 No.291