まちのチカラ 第2回 群馬県上野村 資源は村人の団結力
群馬県の南端、埼玉と長野に接する上野村は、村の面積の94%が森林。耕作面積が少ない不利な状況にも、加工食品や木工製品などで村おこしを図っています。人口減少に真っ向勝負する不屈の精神は、新しい力を取り入れながら着実に前進していました。
神流川の源流へ
全長3キロの湯の沢トンネルを抜けてしばらく走ると、村を東西に貫く国道299号線に突き当たります。並行するのは、平成の名水百選にも選ばれた神流川。イワナ、ヤマメ、アユなど、釣り好きにはたまらない清流です。
もちろん山好きも魅了してやみません。家族連れから登山上級者、さらにマウンテンバイク愛好家まで楽しめるコースがあちこちに。特に旧十石街道コースは、その昔、隣接する長野県佐久地方から一日10石の米が運ばれてきたという歴史的なルートです。稲作ができないほど厳しい土地にも関わらず、この村には古くから人が住み着き、文化を築いてきたのです。
カリスマ村長が築いた礎
村の歴史に最も深く刻まれているのが、2005年まで40年に渡って村長を務めた黒澤丈夫氏です。1985年に起きた日航機墜落事故の際に迅速な指揮をとったことでも知られます。
戦後、全国の中山間地を襲った急激な過疎化の中で、上野村は1950年代に5000人いた村人が、85年には2000人弱まで減少。黒澤氏は次々と産業振興策を打ち出すとともに、全国町村会会長にも就任し、「自治には連帯意識が大事」と平成の大合併に猛反対しました。当時、上野村には全国各地から行政関係者が続々と視察に訪れたそうです。
村の人に黒澤氏の人柄を尋ねると、「とにかく頭が切れる」「職員を鼓舞するのが上手」などカリスマ的リーダーだったことがうかがい知れます。思えば、群馬県は歴代首相を4人も輩出している地。県民性とも関係しているのでしょうか。
弱みを逆手に加工で勝負
森林に囲まれ農地面積が極端に少ない中、村が打ち出した産業振興策のひとつは食品加工業でした。代表的なのは、米の代わりに麦を麹に使用する「十石みそ」。天然醸造で一年以上寝かせた麦粒をつぶさないよう、一つひとつ手で袋詰めします。
さらに大きく期待されているのは、村内外を問わず少量から材料を受け入れる受託加工です。2011年に村営の農産物加工センターを開設。ジュース、レトルト食品、ケチャップ、ジャム、漬け物などをつくっています。
「この隙間産業に村の未来がかかっていると言っても過言ではありません」と語気を強めるのは、JA職員の太崎琢也さん。近隣の農業者にとっても、6次産業化に挑戦しやすくなったと好評です。村の人口と経済を維持するための試行錯誤は続いています。
肉厚しいたけで雇用促進
総額11億円をかけて建設した「きのこセンター」も、村おこしの目玉です。ズラリ並んだハウスには、ふっくら肉厚のしいたけがビッシリ。菌床づくりから販売までを一貫しておこなう6次産業施設として村が整備しました。「雇用を守るために、行政関係者は必死です」と村役場振興課の土屋雅彦さん。
村が雇用の場を用意しているため、気軽に移住する人が多いのも特徴です。今や村の人口(10月現在で1305人)の18%を村外出身者が占め、職場によっては従業員の6割以上に及ぶことも。
農産物加工センター長の栗野創さんも、奈良県から移住してきた一人。「ただし、癒しを求めて来ると失敗する」と釘をさします。「ここでは一人ひとりの役割が大きいので、仕事も近所付き合いも非常に忙しい。それを“やりがい”として楽しめるかどうかが鍵だと思います」。
ここが自分の故郷
28年前に「東京生活が嫌になって」過疎地を転々と回ったという大野修志さんは、上野村の移住先駆者です。当時は湯の沢トンネルがなく、「日本のチベット」と揶揄されていた時代。村では木工産業を興そうと、職人を養成していました。大野さんは森林組合の銘木工芸センターに職を得ます。
「生活は厳しかったですが、自然の中で生かされているという実感が得られました。分からないことを村の人にどんどん聞いて、近所付き合いが深まるにつれ楽しくてたまらなくなった。今は完全にここが故郷ですよ」。
夜になったら、村のどこかしらに人が集まります。この日は、きたる敬老イベントに向けて踊りの稽古がおこなわれていました。指導するのは村の人、踊り手は赴任してきたばかりの村営診療所の医師。「こんな先生は初めてだ」と村人たちも嬉しそう。「今年は客がわんさか来るぞ!」。
木工を新たな産業に
9月中旬、心地よい風が吹き抜ける木立の中で「創造の森 上野村フェスティバル」が開かれました。小物、器、家具、玩具など日本各地からあらゆる木工製品が一堂に会し、毎年多くの観光客で賑わう人気イベントです。
その大元となったのは、今井正高さん。木工作家で元役場職員です。今井さんが入職した30年前、黒澤元村長は木工産業を一から興すために、神奈川県小田原市に職員を2年間派遣しました。「たまたま僕が行くことになったんだけどね、それはもう大変でしたよ。プロの職人が容易に技術を教えてくれるわけがないですから」と今井さんは振り返ります。
その後は村直営の工房を立ち上げ、下請けとして器をひたすら削る日々。一方で製品に仕上げる技術を独自で開発し、原料調達から販売まで、村内で貫徹できる体制を築きました。今、その技術と環境が、森林組合と個人の木工作家たちに受け継がれています。
村ならではのカフェ
上野村産業情報センターの三枝孝裕さんに「面白いカフェがある」と聞き、連れて行ってもらいました。昔、関所があったという白井地区の休憩所「白井宿」です。登山客用にと村が建て、地区の人たちが管理運営を担っています。
「これはイモ串っていうんですよ」と囲炉裏に郷土料理を用意してくださったのは、藤田源一郎さん・スエさん夫妻。ここで登山客や近所の人とおしゃべりするのが日課だと言います。
昔は山仕事とコンニャク栽培が盛んだったこと、原木でキノコを育てた時代の苦労話、車社会に変わった時の思い出など、話題が尽きることはありません。近年は東京の大学生がフィールド学習に来ることも。田舎体験に魅せられ、その後に両親を連れて来た子もいるそうです。
古民家を改装して週末カフェ「yotacco(よたっこ)」をオープンしたのは、地元生まれの黒澤恒明さんと千葉県出身の美穂さん夫妻です。こだわりの「こじょはん(おやつの意)」メニューは、自家製小麦粉のパンケーキ。食材のほとんどは自家製無農薬で、平日は農作業やイベント企画に大忙しです。
「生まれ育った地を楽しいところにしていきたい」と恒明さん。大学卒業後に世界を旅した経験から、旅人に住み込みの仕事を提供するWWOOFにも登録しています。地元の人はもちろん、世界各地の旅人ともつながりながら、上野村の新しい可能性を手探りする日々です。
文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)
☆次回は鹿児島県与論町です。
いつでも元気 2015.12 No.290