• メールロゴ
  • Xロゴ
  • フェイスブックロゴ
  • 動画ロゴ
  • TikTokロゴ

いつでも元気

いつでも元気

元気スペシャル “被爆70年を転換点に” 核兵器のない世界めざして 2015年3・1ビキニデー 全日本民医連事務局次長・山本淑子

NPT再検討会議中のニューヨーク行動に参加する代表団を中心に、全国で署名活動をおこなってきた参加者たちが壇上に上がる

NPT再検討会議中のニューヨーク行動に参加する代表団を中心に、全国で署名活動をおこなってきた参加者たちが壇上に上がる

 

 二月二七日~三月一日、静岡県焼津市をメーン会場に、三・一ビキニデー集会が開催されました。今年は、広島・長崎の被爆七〇年、そして五年に一度、核兵器全面禁止・廃絶の実現にむけたNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が国連本部(ニューヨーク)で開かれる特別な節目の年で、本集会も「核兵器のない世界」をめざす転換点と位置づけられました。

3度の被爆

 一九五四年三月一日、米国が太平洋のビキニ環礁でおこなった水爆実験によって、周辺海域には「死の灰」が降り注ぎました。静岡・焼津漁港を母港とする日本のマグロ漁船、第五福竜丸も被災。無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して、半年後に亡くなります。
 広島・長崎に続く三度目の被爆となったこの事件をきっかけに、日本全国で「水爆実験の即時中止」「原水爆禁止」の声がわき起こりました。第五福竜丸の被ばくから一年後の一九五五年八月には、第一回原水爆禁止世界大会が開催されます。この運動の中で原水爆禁止日本協議会(日本原水協)と日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成され、三・一ビキニデー集会も毎年おこなわれてきました。

世界中に広がる運動

 二月二七日に開かれた日本原水協・国際交流会議では、NPT再検討会議に際して核廃絶を求める市民運動「ニューヨーク国際共同行動」責任者のジョセフ・ガーソン氏、韓国参与連帯平和軍縮センターのイ・ミヒョン氏、ビキニ水爆実験で被ばくしたマーシャル諸島ロンゲラップ環礁島民代表のピーター・アンジャイン氏、日本原水協の土田弥生氏が、核兵器廃絶のための国際的な運動の必要性を訴えました。

「戦後を戦前にさせない」

 翌日の日本原水協全国集会には約一一〇〇人が参加。沖縄民医連の渡慶次景さんと新崎あゆみさんは、辺野古の新基地建設反対のたたかいを写真も交えて報告しました。
 前回(二〇一〇年)のNPT再検討会議以降、人類の安全や非人道性の視点から核兵器廃絶をすすめる「人道的アプローチ」のとりくみが世界的にひろがり、ノルウェー・メキシコ・オーストリアで「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が開催され、「核兵器廃絶に向けた法的枠組み」の議論も始まっています。背景には、長年被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴え続けてきた日本の被爆者らの運動があります。
 来賓あいさつをされた日本被団協の田中熙巳事務局長は、一九四五年に長崎で被爆。田中さんは「被爆七〇年の節目に、核兵器廃絶と国の償いという悲願に、たしかな道筋をつけたい」と訴えるとともに、安倍政権の戦争する国づくりにもふれ、「戦後が戦前にならないように」と話されたのが胸に響きました。
 その後は分科会。私が参加した第五分科会では、「福島第一原発事故から四年?被災地のたたかいを全国に」をテーマに交流しました。特別報告をおこなった渡部チイ子さんは、南相馬市に暮らしていました。原発事故後、息子たちが孫を連れて避難したことなどにふれ、「もう息子らと農業を営むことはない」「元のくらしに戻りたい。これが私たちの願いです」と言葉をつまらせながら訴えました。参加者は福島の被災者との連帯を誓いあいました。

雨の中おこなわれた献花墓参平和行進

雨の中おこなわれた献花墓参平和行進

ちいさな国の大きな勇気

 三月一日は小雨の中、焼津駅から献花墓参平和行進に約一六〇〇人が参加。弘徳院で久保山さんの墓前祭がおこなわれました。
 続く「被災六一年 二〇一五年三・一ビキニデー集会」には約二〇〇〇人が参加。アンジャイン氏のスピーチには胸がしめつけられました。
 同氏によれば、米政府はビキニ水爆実験の際、すぐにはロンゲラップ島民を避難させませんでした(当時、マーシャル諸島は米国の信託統治領だった)。降り注ぐ死の灰で遊んだ子どもたち。その夜、村中から子どもたちの泣き叫ぶ声が聞こえ、「それがロンゲラップ島民の苦しみの始まりだった」とアンジャイン氏は言います。数年後、避難先からロンゲラップに戻ると、再び多くの女性が流産・死産・早産を繰り返し、クラゲやブドウの房のような奇形の子どもが生まれたそうです。
 アンジャイン氏は、マーシャル諸島政府が昨年、米国をはじめ九つの核兵器保有国を相手取って、国際司法裁判所に提訴したことも報告。ちいさな国の大きな勇気に、会場からは感動と連帯の拍手がわき起こりました。
 ミニ座談会「ビキニ被災事件と焼津市民のたたかい」では、第五福竜丸元乗組員の大石又七氏も登壇して、政府がビキニ事件から学び、福島の問題に真摯にとりくむことを訴えました。太平洋核被災支援センターの山下正寿氏は、厚生労働省が漁船乗組員の被ばく状況などの評価にむけ設置した研究班の問題点を指摘。「被災者切り捨てを許さないとりくみを」と訴えました。

 被爆七〇年の今年。原水爆禁止運動を引き継ぎ、世界中の核廃絶を願う大きな運動と連帯して、さらに奮闘しようと確信を深めた三・一ビキニデー集会となりました。

写真・豆塚 猛

ビキニ水爆実験“被災は、のべ992隻” 高知県が全国初の健康相談会開く

 一九五四年三~五月にアメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験で被災した元乗組員を対象とした健康相談会が三月一六日、高知県室戸市で開かれました。相談会は県の主催で、全国初。マグロ漁船の元乗組員やその家族ら八人と、地元市民や市民団体、医療関係者など四〇人が参加しました。

第五福竜丸だけではなかった

 水爆実験では、第五福竜丸乗組員の久保山愛吉さんが被ばくにより死亡しています。国は長年、第五福竜丸以外のマグロ船・貨物船乗組員の被ばくによる身体への影響を否定し、「当時の資料は存在しない」と公言。しかし、一昨年にアメリカが公開した文書で、第五福竜丸以外にも放射性降下物を浴びた船の船体・人体・漁獲物の被ばく線量や血液検査・医師の所見などが、外務省を通じてアメリカに報告されていたことが明らかに。国はようやく「被ばくしたのは第五福竜丸だけではない」と認め、被災した船の乗組員の三分の一が高知県関係者であることがわかりました。この事実をうけて昨年九月、吉良富彦県議会議員(日本共産党)が事件の解明と被災者救済を知事に要望し、今回の相談会が実現しました。

被ばくの実相、明らかに

 午前中の学習会では、星正治氏(広島大学名誉教授)、田中公夫氏(環境科学技術研究所顧問)、鎌田七男氏(広島大学名誉教授)が講演。三氏は「元乗組員の歯を計測した結果、一〇〇ミリシーベルト以上の被ばくが証明された。さらなる調査が必要」(星氏)、「元乗組員の染色体を調査し、高線量の放射能を浴びたことが判明。時間は経ったが実相を明らかにしたい」(田中氏)、「元乗組員は広島で言うと爆心地から一~一・五キロに該当する被ばくをしている可能性もある」(鎌田氏)と述べました。午後は、元乗組員らの健康不安について三氏が相談をうけました。
 県の主催する相談会と並行して、元乗組員の被災を長年調査している太平洋核被災支援センターも生活相談会をおこないました。参加者からは「漁を終えてマグロを陸にあげたが、線量が高かったため、マグロを再度船に乗せ、沖まで運んで捨てた」(元乗組員)、「父から『白い光をみた』と聞いた。まさかそんなことが起こっていたとは」「原発事故による身体への影響が心配されているいま、この問題の実相解明が次につながる一歩になれば」(元乗組員家族)などの声が聞かれました。

被災者の救済・補償を

 元乗組員の被災について、厚労省に続いて農水省も調査を開始しました。太平洋核被災支援センターの山下正寿さんは「二月二〇日に農水省が公開した資料によると、汚染マグロを廃棄した被災船は総数九九二隻。体調悪化で高額な医療費を負担した人や、大黒柱を失って生活苦においやられた家族も大勢いる。今後は、第五福竜丸と同様に船員保険の再適用など、被災者の救済・補償を県・国に求めていく」と話します。
 高知県は今後、県西部でも健康相談会を開催するとしています。

文・写真 宮武真希記者

いつでも元気 2015.05 No.283