元気スペシャル/地域に根ざした支えあい
「困っている人に手をさしのべる」「地域で生きることを支える」をあいことばに、民医連・共同組織の仲間は今日も奮闘しています。
子どもたちを遊ばせながら、自分たちも話に花を咲かせるお母さんたち |
香川
世代を越えた居場所づくり
香川医療生協・南ブロック
大通りから少し路地を入ると香川医療生協南組合員センター「はーもにー」が見えてきます。七年前、組合員たちが出資金を集めて建てたセンターは一階がデイサービスの事業所、二階は組合員たちが集う場で、奥には子どもたちが自由に遊べるキッズスペースもあります。
「ママカフェ」で子育て支援
南ブロックの九つの支部が毎月交代で月二回「カフェはーもにー」を運営しています。この日は小さい子どもを持つお母さんのためのママカフェの日。オープ ンすると、ぞくぞくとお母さんたちが集まります。お母さんたちは子どもが遊んでいるのを見ながらモーニングを食べ、交流しています。
この日のメニューはパン・サラダ・ゆで卵・ヨーグルト・みかん。サラダに使われている野菜の多くは組合員の畑で採れたものです。手づくりのパンを出すこ とも。生産者の顔が見えるので、お母さんは安心して子どもにも食べさせることができます。
田植えや稲刈り、芋掘りなども組合員の協力でおこなっています。香川医療生協・組合活動部の橋本宏美さんは「いろんな体験が子どもの宝になる」と話します。
ひとりぼっちのママをつくらない
「はーもにー」周辺は“転勤族”が多く、知らない土地で孤独になってしまうお母さんもいます。「お母さんたちにひとりで悩まないでほしい。ママ友づくり の場にしてほしい」と橋本さんは南ブロックが子育て支援に力を入れている理由を教えてくれました。キッズスペースに来るママたちで結成した「ショコラ班」 班長の杉本沙希さんは「床に子どもを置いてゆっくりできるところはなかなかない。ここは安心して利用できる場所」と。この日カフェに来たお母さんたちの多 くは子育て支援を通じて医療生協の存在を知り、組合員になったと言います。
「核家族も多く、お年寄りと接する機会の少ない子もいる。お年寄りをもっと身近な存在に感じ、ときには尊敬してもらえたら。お年寄りから赤ちゃんまで、 世代を越えた交流ができるのが医療生協の魅力」と橋本さん。「地域に根づいたセンターとして、もっと地域のみなさんに立ち寄ってもらい、困ったことも相談 できる場所にしたい」と抱負を語りました。
文・寺田希望記者/写真・豆塚 猛
福島
被災者つなぐお茶会
福島医療生協
福島医療生協は、東日本大震災・福島第一原発事故の被災者が暮らす仮設住宅で、「お茶会」を開いています。このとりくみは、被災者の入居が始まった二〇一一年八月以来、四年余り続けられています。
うちわを使ったゲームで盛り上がる |
「うさぎ追いしかの山~ 小鮒釣りしかの川~♪」──一一月四日、「ふるさと」の合唱が「笹谷東部応急仮設住宅」(福島市)の集会所に響きました。
この日は、福島医療生協の職員二人とわたり福祉会の職員二人、大笹生笹谷支部の組合員六人に加え、仮設住宅の住民一三人が参加。同仮設住宅の住民は、原 発事故による放射能汚染で、すべての町民が避難生活を強いられている浪江町からの避難者です。
この日のお茶会では、血圧・体重を測ったあと、邉見恭兵看護師(わたり病院)の「脳卒中について」の話に耳を傾けたり、介護老人保健施設「はなひらの」の職員のリードで、体操やゲームを楽しみました。
同仮設住宅に暮らし、「毎月参加している」という八〇代の女性は、「みんなと話すだけでも気持ちが晴れるし、楽しいね」と笑顔で話します。同じく七〇代 の女性も、「この会をいっしょうけんめい継続してくれて、本当にありがたい。医療生協のみなさんに支えてもらって、健康を維持できています」と、毎月のお 茶会を楽しみにしているようすです。
2年ぶりの「ふるさと」
「あの集会所で『ふるさと』を歌ったのは、実は約二年ぶりなんですよ」
お茶会終了後、場所を変えておこなわれた支部運営委員の会議にうかがうと、丹治芙美子さんがこう教えてくれました。
「以前『ふるさと』を歌ったときには、みなさん涙ぐんでしまって…。それからは別の歌を歌ってきたんです。最近はみなさんだいぶ落ち着いて、明るくなってきました。今日は笑顔で歌ってくれてよかった」
大笹生笹谷支部が同仮設住宅に関わりはじめたのは、二〇一一年七月のこと。肺炎にかかった住民のひとりがわたり病院を受診したのをきっかけに、「住民の身体や生活のようすを聞きに行こう」と戸別訪問を計画しました。
実際に行ってみると、「聞くほうも涙、語るほうも涙の話ばかりだった」と佐藤正子さんは振り返ります。「津波から命からがら逃れて間一髪で助かった話 や、避難先を何カ所も転々としたこと、家族が離ればなれに暮らさなければならなくなった悲しみなど、こちらまで胸が痛くなりました。私たちに何かお手伝い できることはないだろうかと思った」と佐藤さん。
ちょうどその頃、浪江町の社会福祉協議会から「仮設住宅で住民を支援するとりくみを何かしてもらえないか」と同医療生協に対して要請がありました。同医 療生協では「健康チェックや茶話会ならすぐにできるかも」と引き受け、今日まで六カ所の仮設住宅で月一回のお茶会を続けてきました。医療講話や折り紙のほ か、フラダンスを披露したり、お正月にはお餅を振る舞ったりなど、参加者が心身ともに元気になれるように、メニューを工夫してとりくんでいます。
最後のひとりまで
思いがつづられた寄せ書き |
「私たちとのつながりだけでなく、仮設住宅の住民同士のつながりも強まっていると感じます」と話すのは、同医療生協組織部の斉藤麻美さんです。「今日は健診からバスで帰ってきた方々を、お茶会に参加していた方々が誘って、呼び込んでくださいました」。
だんだんに落ち着きや明るさを取り戻してきた住民の姿に、お茶会に関わってきた職員・組合員たちは喜びを感じています。
一方で、「入居直後は『帰りたい、帰りたい』とおっしゃっていた方々が、最近は『公営住宅に入れればいいかな』とおっしゃる。『帰りたい』から『帰れな い』に気持ちが変化したのでしょうが、なんだか切ないですね」と佐藤さん。
斉藤さんは「被災したみなさんの心の傷が消えることはないかもしれません。少しでもストレスを和らげて、寄り添いあえる場としてお茶会を続けていきたい」と語ります。
支部長の高田トミ子さんは、「仮設住宅での暮らしが長引くのは、本当は好ましいことではありません。でも、住民のみなさんが暮らしている間は、最後のひとりまで支援を続けていきたい」と前を向きました。
文・武田力記者/写真・野田雅也
山形
友の会バス が命綱に
本間病院友の会
山形・本間病院友の会では、路線バスが廃止されるなか、通院が困難となった患者さんを友の会のバスで送迎し、「医療を受ける権利」を守り続けています。
「バスのおかげで通院できる」
火曜日の朝八時五〇分。友の会の通院バスが、酒田市中心部にある本間病院前に到着しました。バスは土日・祝日以外の毎日運行し、火曜と木曜は隣の遊佐町からの患者さんを運んでいます。
朝、バスでやってきた患者さんは本間病院向かいにあるのぞみ診療所を受診後、帰りのバスが出発する一二時三〇分まで周辺の商店街で買い物をしたり、本間病院の待合室でお弁当を食べたりして過ごします。
以前は自分の車で運転して通院していた土井忠四さん(80)も、運転がたいへんになってきた今は通院バスを利用、「バスは助かるよ」と話します。「『バ スのおかげで通院できる』と、利用者はみんなそう言っている。本当に助かっている」と話すのは佐藤テル子さん(75)。四〇年以上、毎週外科に通院してい ます。受診後は商店街に。この日も病院隣にある「酒田で一番おいしい」と有名なパン屋で、お気に入りの食パンを購入しました。
患者さんの実態を調査
2013年9月~10月上旬に実施したアンケート。78人の声をきいた |
遊佐町は、酒田市から鳥海山に向かう中山間地。過疎化で路線バスが廃止になり、JRの駅まで行く公共交通機関もありません。そのため、以前から本間病院が所属する法人・健友会が、通院バスの運行をバス会社に委託していました。
ところが二〇一三年、バス会社からの要請で委託料が値上げに。そこで同年九月、本間病院友の会は通院バス利用者に対面でのアンケート調査を実施。調査の 結果、ほとんどの方から「バスが廃止になると通院手段がなくなる」という強い訴えが寄せられ、遊佐町内の巡回バスが廃止になってしまうこともわかったので す。
「友の会バス」として運行継続
「バス代は値上がりしてもよいから、今までどおり運行してもらいたい」──その声をうけて、委 託を廃止し、法人での運行を開始することに。利用者の多い火・木曜は法人内にある介護老人保健施設ひだまりが所有するバスを利用、その他の曜日は新規に購 入したワゴン車を「友の会バス」として運行しています。料金は徴収せず、三〇〇円を目安としたカンパをお願いし、診療所に設置した募金箱に入れてもらって います。
通院以外の運行も検討
「調査するなかで、通院バスの廃止は、医療・介護を受ける上で重大な問題だと感じた」と話すの は、同友の会会長の渡部英男さんです。さらに、通院だけでなく、買い物のための交通手段としても、要望があることがわかりました。同友の会事務局長の小倉 慶久さんも「『自宅にいれば町に出られない。通院でせっかく酒田に出てくるのだから、買い物をしたい、町を歩きたい』という声が聞かれた。今後、通院以外 の利用についても検討したい」と言います。
現在、友の会は年会費六〇〇円で運営しています。「友の会は何ができるのか」「友の会員の要求に応えた運営とは何か」を模索しながら、「困ったときは友 の会へ」と認知される存在になろうと、地域住民の一割以上が加入する組織への前進をめざします。
文・宮武真希記者/写真・酒井 猛
いつでも元気 2015.01 No.279