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いつでも元気

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「日の丸原発」輸入するな/台湾 稼働を凍結した市民の力/写真家・森住卓

 台湾の北部海岸線には第一・第二・第四と、三つの原発がある。小さな半農半漁の貧しい村が点在し、「原発銀座」敦賀半島(福井県)や玄海原発(佐賀県)周辺とよく似た、風光明媚な海岸線が続く。原発は日本と同じように台湾でも、貧しく過疎にあえぐ地域に建てられていた。
 北部海岸線は、台北などの都市から観光客が押し寄せるリゾート地だ。第四原発は完成間近で、まだ稼働していないが、九州とほぼ同じ面積の台湾では、現在六機の原発が稼働している。
 火山島の台湾は、日本と同じ地震大国。太平洋プレートの端に位置し、二〇〇〇年には日本の潜水調査船「しんかい6500」が第四原発から東南東に五〇キロ地点と八〇キロ地点に海底火山を確認している。
 活断層も多い。台湾に原発があることは、日本より危険かもしれない。

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10万人規模のデモ繰り返し

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第4原発近くの海水浴場でおこなわれた「海洋音楽祭」の会場で、原発閉鎖を訴える緑色公民行動連盟の若者たち。応じた人たちが横断幕にメッセージを書き込む(7月12日)

 一九八〇年代以降、台湾ではしばしば原発の是非をめぐって国民的議論がおこなわれてきた。とくに東日本大震災・福島第一原発事故が起きた三・一一後は、大規模な反原発運動が展開されている。
 運動の中心的な役割を担ってきたのは台湾最大の環境団体・緑色公民行動連盟だ。同連盟事務局長の崔愫欣さんは「福島第一原発の爆発する映像は台湾の国民 に大きなショックをあたえ、『安全神話』を一気に崩壊させた。私たちは稼働前の第四原発(新北市貢寮区)廃止を求めて国民的な運動を呼びかけた」と話す。
 昨年三月、「国民的美人」の林志玲さん(女優・モデル)ら有名人の呼びかけがあり、一〇万人規模のデモが繰り返しおこなわれた。原発反対の世論の盛り上 がりの中で今年五月、政府は同原発の一号機の稼働凍結と二号機の工事停止の声明を発表した。

日本の輸出第1号・第4原発

 第四原発の建設開始は一九九九年で、日本の原発輸出第一号だ。一号機の原子炉は日立製作所、二号機の原子炉が東芝。発電機はいずれも三菱重工製。計画当初から反対の声や度重なる工事のトラブルにみまわれ、計画から三四年、着工から一五年経っても稼働していない。
 第四原発から三キロ離れた福隆駅近くで衣料品店を営む楊貴英さん(69)は地元で第四原発に反対する塩寮反核自救会のメンバーだ。町で公然と反対を主張する人は少ない。彼女は静かにこう言った。
 「台湾電力や政府からのお金がこの町に注ぎ込まれ、反対の声をあげられなくなってしまった。しかしここは観光地で、一年の稼ぎは海水浴客で賑わう夏だけ だ。この海が汚染されたら、商売を続けることができない。小さな動物でも子どもの命を守るために親はたたかう。なぜ人間は、子どもの未来を守ることをしな いのか」
 楊さんが原発の危険性に気づいたのは、チェルノブイリ原発事故(一九八六年)だった。それまでは独裁政権の戒厳令下で「危険性を誰も知らなかった。知っ ていても反対できなかった」と言う。「人間は放射能をコントロールできない。国のリーダーに道徳心があるならば、原発はすぐやめるべき」。
 同じ貢寮区で家電販売業を営む呉文通さん(前塩寮反核自救会会長)は「ひとたび事故が起これば、避難路は海沿いの道路しかない。海に飛び込めと言っているようなものだ」。
 塩寮反核自救会総幹事・楊木火さん(53)も「一号機と二号機の間に活断層がある。こんな危険な原発は廃止しかない」と話してくれた。

戒厳令下で進んだ原発建設

 第四原発から北西三二キロ地点に第二原発、さらに北西一二キロ地点に第一原発がある。両原発の建設は一九七〇年代初頭に始まった。
 「当時、一般労働者の月給が五千元でした。原発建設労働者には日給で三千元が支払われた」と元北海岸反核自救会会長の許爐さん(78)が証言する。「一 九六六年、政府が土地を売れと言ってきた。戒厳令の時代で拒否できなかった。危険性については一切知らされなかった。『すごい、ふるさとに工場ができる』 と誇りに思っている人もいた」。
 許さんは基隆市の船会社でいっしょに働いていた日本人船員から「原発は危険だ」と知らされた。三・一一以後、反原発の意志はさらに強くなった。「ここに 住んでいる限り、被ばくは避けられないから」と反対の理由を説明してくれた。
 彼の娘・許淑貞さん(52)は一九歳で右の甲状腺摘出手術を受け、今は左の甲状腺が腫れている。「原発の影響かどうかはわからないが、近くに住んでいるせいだと考えるのは当然」と淑貞さん。
 許爐さんが反対運動に初めて参加したのは一九八八年、立法院に向けたデモだった。「使用済み核燃料を第一・第二原発に置くなと抗議したが、台湾の南東に ある蘭嶼島の低レベル放射性廃棄物保管所が島民の反対でそれ以上使えなくなったため、全国の核施設から出る低レベル放射性廃棄物を第二原発の構内に置くこ とになった。しかも焼却炉で燃やすと言う。(台湾電力も政府も)『排気ガスは放射能を含んでいるのではないか』という疑問に答えず、検査もされているのか わからない」。
 びっくりして聞いている私の隣で、北海岸反核行動連盟執行長の郭慶霖さん(53)が「これが台湾方式」と冗談半分で言った。

買収工作をはねのけて

夜、新北市金山区で漁民の大漁祭りがあった。地元レストランは大勢の人たちで賑わっていた。「台湾電力はこうした住民の催し物をよく調べている。そして必 ず『協賛金』だと言ってお金を持ってくる」。今回、郭慶霖さんの所にも持ってきたが、受け取りを拒否した。食事や金銭で住民を買収する日本の電力会社と同 じような地元工作をしている。
金山区では漁民・住民の多くが原発に反対している。「原発から出る排水が海を汚染し、魚が売れなくなる。地元の経済的利益は何もない」と郭さんは言い切 る。西の第一原発、東の第二原発に挟まれた金山区は前に海、背後に急峻な山が迫り、事故が起これば逃げ場がない。
金山区周辺にも多くの温泉がある。火山の噴火や地震の危険と隣り合わせということでもある。「活断層も多い。政府や台湾電力は『安全には十分注意してい る』の一点張りで我々の警告を何一つ聞こうとしない」と郭さんは怒りをあらわにした。

国境越えた連帯を

 第四原発の海側に塩寮海浜公園がある。その一角に抗日記念碑が建っている。一八九五年、ここに日本軍が上陸し、侵略の一歩を踏み出したのだ。同じ地に日本が輸出した原発があるのは、歴史の偶然だろうか? 楊木火さんは「第二の侵略の地」だと言った。
 第四原発はまだ正式に廃炉と決まったわけではない。政治状況次第では、再び稼働へと進む可能性もある。台湾の原発反対のたたかいは続いている。
 この「日の丸原発」を止められれば、今後の日本の原発輸出にブレーキをかけられるかもしれない。フクシマを経験した我々は、海外に同じ苦しみを味あわせ てはならない。台湾と日本の原発ゼロを目指す人々が、連帯してたたかうことが求められている。

いつでも元気 2014.11 No.277