ビキニ水爆実験 60周年/故郷に帰れぬ島民たち/被害続くマーシャル諸島/写真と文 竹内啓哉 神奈川・協同ふじさきクリニック(全日本民医連理事・内科医)
日本から持ってきた「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ写真展示」を食い入るように見る子どもたち |
一九五四年三月一日、アメリカが中部太平洋のビキニ環礁で実施した核実験(ブラボー水爆実験)で日本の第五福竜丸が被ばくし、これが全世界に核兵器廃絶運動が広がるきっかけとなりました。
ビキニ水爆実験から六〇周年の今年、原水爆禁止協議会(原水協)主催の支援団に同行し、そのビキニ環礁に足を運ぶ貴重な体験をしましたので報告します。
環礁を目にしてびっくり
ビキニ環礁は、マーシャル諸島共和国の環礁の一つです。国全体の人口は約六万二〇〇〇人。二九の環礁、大小一二〇〇の島から成り立っています。
飛行機から見たマーシャルの環礁 |
ところでみなさん、「環礁」ってご存知ですか? 文字通り「輪」のような島で、中央に陸地がありません。飛行機から見たときはびっくり。中央の「ラグー ン」と呼ばれる穏やかな海と、外側の「オーシャン」と呼ばれる海に挟まれた幅約二キロの細長い陸地に、陽気で素朴な人々が暮らす国。それがマーシャルで す。
首都マジュロまでは、成田から直線距離で三〇〇〇キロ。成田―バンコク間と同じですが、直行便がないため、グアムに前泊。翌日「アイランド・ホッパー」 と呼ばれる飛行機でグアム→チューク(トラック)→ポナペ→クワジェリンと島伝いに飛び、二時間の飛行・一時間の空港待機を繰り返し、ようやく首都のある マジュロ環礁に到着です。
がん患者多く
マーシャルでは二月二四日から三月一日の核犠牲者追悼記念日(ビキニ・デー)まで、各地でさまざまなとりくみがおこなわれます。代表団も訪問一日目の二 月二七日午前、学校で開かれていた追悼の催しに「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ写真展示」で参加。生徒代表の反核・平和アピールを聞き、彼らがつくった展示 物を見学しました。
午後はロンゲラップ環礁自治体役所の一階で、マジュロに避難しているロンゲラップ島民の健康相談。九人が受診し、七人は直接被ばく者で、六人が甲状腺摘出手術を受けていました。
アメリカは一九四六年からマーシャルで核実験を実施。一九五四年三月一日の実験は過去最大で、死の灰がロンゲラップ・ビキニ・ウトリック・エニアエトッ クの四環礁に降り積もり、島民は吐き気・脱毛・火傷などの急性放射線障害に苦しみました。実験後、アメリカは島民をクワジェリン環礁に退去させましたが、 事前に実験は知らされていませんでした。遠く離れた環礁でも光・振動・突風が観察されましたが、アメリカが被ばくを認めているのは四環礁のみです。
ミーナさんとマリアンさんは、それぞれ一歳と二歳で被ばく。一二~一三歳のときにアメリカのボストンで手術を受けました。一〇代の少女が知らない外国で首にメスを入れられるのです。さぞ怖かったでしょう。
二日目(二月二八日)もロンゲラップ島民の健康相談をおこない、一九人が受診。肺がん術後、卵巣がん術後、胃がん術後など、がんの人の比率が高いようでした。
高血圧、糖尿病も多く見られました。被ばく認定を受けた島民は、アメリカのエネルギー省の医師が定期的に検査・診察しますが、「説明も治療もない」そう です。アメリカは避難させた島民一人ひとりに番号を付け、避難直後から現在までデータだけ取り続けているのです。
謝罪せぬ米高官
三日目の三月一日には、政府主催の追悼式典が国会議事堂前で開催されました。会場までは大石又七さん(第五福竜丸の生存者)が車いすで先頭になり、四環礁の島民、マジュロの小学生たちといっしょにデモ行進をおこないました。
式典では大統領、四環礁自治体代表、大石さんのスピーチと、米国代表のゴッテモラー氏のスピーチがありました。
ゴッテモラー氏は米国内務省、軍備管理担当の高官で、米ソ核軍縮交渉の担当者でもありましたが、「六七回の核実験をマーシャルが受け入れ、米国の安全保 障、世界の平和秩序に多大な貢献をした。感謝している」とスピーチ。核被害に対する謝罪は一切ありませんでした。
音のない楽園
三月四日、マジュロから一五人乗りのプロペラ機でロンゲラップ環礁に移動。三日間をそこで過ごしました。
島には除染と管理のため労働者三〇人が住むのみで、一般の住民は住んでいません。帰島用に用意された住宅二戸を借りて宿泊しましたが、新築・家具なし・ 一戸建て。固い石の床にじかに寝袋で寝るのは正直たいへんで、暑さと床の固さで夜中に何度も目を覚ましました。
翌日は朝から島内各地の線量率測定です。除染された居住区域でも、少し深く土を掘ると線量率が上がりました。
ジャングルの中にはさらに高線量率の場所も。測定しながら一日かけて島全体を回ります。島の美しさとともに、放射能汚染を実感させられます。
遠くなるにつれて濃く碧くなっていく海のグラデーション。白く光る砂浜。生い茂るジャングルと風にゆれるヤシ。でもこの美しい楽園には音がありません。 居住区で唸る発電機以外に生活音がなく、とても悲しく思われました。
不十分な帰島対策
アメリカ政府はロンゲラップ島民の帰島を計画し、除染と住宅建設をおこないましたが、島のほんの一部分にすぎず、不十分です。実際、同島に勤める作業員 は海で魚を釣ったり、除染していない別の島でヤシガニをとって食べていますが、それらも汚染されていると言われています。
土地に対する考え方も私たちと異なります。マーシャルには国有地がなく、土地はすべてどこかの酋長の持ち物です。つまりマジュロに避難している人々は他人の土地を借りて住んでいるのです。
マーシャル人は死後、自分の土地に埋葬される習わしです。親は土に帰って土地を豊かにし、ココナツやパンダナスなどの植物をはぐくみ、子孫を食べさせて 養う。子孫たちも木の実を食べることで先祖たちとのつながりを保つ。ですから彼らは死者の埋葬も、植物を植えることもプラント(Plant)と言います。
死んでも自分の土地に埋葬してもらえないことは「貧乏で土地を持つことができない者」で「恥ずかしいこと」とされています。自分の土地ではない居住区に 新築の家をあてがわれ、除染されていない区域の木の実やヤシガニをとれない状態は、「生まれ故郷への帰島」ではないのです。
核被害を地球上からなくそう
今回はマーシャルの多くの国会議員・要人とも懇談できました。「マーシャルの核実験は、島民を使った被ばく人体実験」だと教えてくれた外務大臣のト ニー・デプルム氏が、先日ニューヨークで開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議第三回準備会議でおこなった演説を最後にご紹介します。
「一九四六年から五八年におこなわれた六七回の米国の核実験は、大部分が国連信託統治下のマーシャルで、国連が許可した核実験でした。その爆発規模は、一二年間、毎日、一日当たり広島原爆一・六個に相当しました。
本日は米国や当時の国連指導部を非難するためにここに来たのではありません。核兵器の危険性とその結末を、国連、とりわけその参加国にもう一度想起させ る必要があるとすれば、それはマーシャル諸島ではないか、と問うためです」
核の被害を地球上からなくすために、ともに手を携えて頑張りましょう。
いつでも元気 2014.7 No.273