元気スペシャル 反貧困 誰にも人間らしい生活を
路上生活者支援で救われた命 ──東京
安倍政権がアベノミクスによる「経済成長」を強調する今も、貧困は国民のなかに広がっています。「日比谷派遣村」(二〇〇八年)以降もねばりづよく続く、「反貧困」のとりくみを取材しました。(安井圭太記者)
この日用意したのは職員の手作りパン |
昨年一二月一九日、午後九時。東京・健生会の職員や立川市議会議員など、あわせて五人が集ま り、立川駅周辺の夜回りをおこないました。二〇一〇年から「路上生活者を支えよう」と始まったもので、月一~二回実施。路上生活者と思われる一人ひとりに 声をかけ、食料や衣類の提供、生活保護申請の援助などをおこなっています。
この日は激しい雨が降り、気温は三度。身にしみるような寒さの中、駅のデッキ上に最近よく見かけるようになったと言う男性の姿がありました。
気になった三井亨さん(地域福祉サービス協会・専務理事)が声をかけたものの、男性は「いいよ」と会話を拒みます。しかし一時間ほど駅周辺を見回り、 戻ってきたところでもう一度声をかけると、誠意が伝わったのか、身の上を打ち明けてくれました。
「大学卒業後、建設業を営んでいましたが、経営が傾いて倒産してしまった」と言う男性。その後、娘さんの家で暮らしていましたが、「ケンカをして飛び出してきた」と話します。
所持金はほとんどなく、建設現場で日銭を稼ぎ、路上生活者を支援するNPO法人の炊き出し(月二回)などに通って、空腹をしのいでいるとのことでした。
三井さんが「あさって、医者や弁護士が無料で相談に乗ってくれる『なんでも相談村』を開きます。よかったら、相談に来てください。炊き出しもありますか ら」と言うと「行ってみようかな」と男性はうなずきました。その表情は、心なしか打ち解けたように見えました。
この日の見回りは約二時間。四人に声をかけ、二人にパンやカイロなどを渡すことができました。「今日は新しい人とつながることができたね」と、参加者一同で喜び合いました。
夜回りがきっかけで
路上生活者に話しかける三井さん(左)と上条さん |
夜回りがきっかけで路上生活から抜け出した人もいます。
小野誠さん(仮名・51)もその一人。バイク事故がきっかけで新聞販売店を解雇され、建設現場で働いて生活の糧を得ていましたが、持病の高血圧症が悪化して働けなくなってしまいました。
その後、ネットカフェに寝泊まりする生活を送りますが、蓄えもなくなり、自転車置き場で横になっていたところを三井さんに声をかけられ、生活保護を受給 することになりました。現在はNPO法人などが運営する無料低額宿泊所が住まい。介護職員初任者研修(旧・ホームヘルパー2級)の資格を取得し、民医連の 事業所で働いています。
「出会ってなければ死んでいた」
「三井さんや上条彰一さん(立川市議会議員)に出会ってなければ、死んでいた」
こう話すのは、福島元さん(仮名・64)です。福島さんは自営業を営んでいましたが、二〇〇八年のリーマンショック後から経営が傾き、多額の借金を返済するためにすべてを失いました。
経営悪化とともに家族の仲も険悪になり、離婚。人生に絶望し、死に場所を求めて北海道・東京間を転々とします。二度自殺を図りましたが、「首をつろうと ロープをかけた木の枝が折れるなどして、死ねなかった」と福島さんは話します。
三度目の自殺を図ったのは、立川市でのこと。橋の下で薬品を充満させた袋を頭からかぶり、意識を失っているところをほかの路上生活者に助けられました。
それからは「空き缶拾い」などで生活をつないでいましたが、やがて体調が悪化。目が覚めても起き上がれなくなりました。福島さんも高血圧症を抱えていま したが、死のうと考えていたため、医療機関にかからずにいたのです。
そこに「河川敷訪問」をしていた三井さんと上条さんが声をかけました。後日、三井さんが看護師をつれて再訪問し、福島さんは立川相互病院を受診すること に。医師が血圧を測定したところ、最高血圧は二三〇にもなっていました。
診察後、「死にたい」「生活保護を受けたくない」と思っていた福島さんの心を動かしたのは、三井さんの一言でした。
「もう少し、この社会にいてもいいんじゃない」
現在、生活保護を受給しながら、週六回、清掃の仕事をしている福島さん。「なんでも相談村」のボランティアや職員に自分の体験を語り、生活保護への理解を求める活動などに、積極的にとりくんでいます。
18歳の少年からも相談
一二月二一日の「立川なんでも相談村」には、二四人の相談者が訪れました。
立川駅近くの公園でおにぎりと豚汁を提供し、民医連の医師・看護師らによる医療相談や弁護士による法律相談、労働組合による労働相談などがおこなわれま した。「なんでも相談」というだけに、高校生の恋愛の悩みなど、微笑ましい相談も寄せられました。
上条さんのもとには「父親が亡くなって生活が厳しくなった」という一八歳の少年が。じっくりと話を聞いた上条さんは、「私の自宅と近所だから、いつでも 相談に来ていいよ。お母さんにも困ったことがあったら電話してほしいと伝えてください」と笑顔で応えました。
この日もボランティアに来ていた福島さんは、「私も生活保護を受けて、元気に働けるようになった。それでも生活保護を受けていると、人の目が気になりま す。誰もが権利として、堂々と受けられる制度になってほしい」と願いを語りました。
写真・野田雅也
広げよう、反貧困の輪 ──長野
一二月二三日、長野県松本市の公民館を会場に、「年越しきずな村」が開かれました。二〇一一年から年末に開かれているもので、今年で三回目。
主催の「反貧困セーフティネット・アルプス」には、松本協立病院のほか、法律事務所、民主商工会、新日本婦人の会などが参加しています。
訪れた人は約六〇人。用意された豚汁や弁当を食べ、市民から寄せられたお米二五〇キロと防寒具などを持ち帰りました。
「きずな村」は生きる活力
松本協立病院が担当する医療相談コーナーに来た田中正志さん(仮名・47)は、脳梗塞の後遺症(右片麻痺)がありますが、受診を中断していました。スタッフが血圧を測ってみると、最高血圧は一五八。後日、松本協立病院を受診することを約束しました。
田中さんは生活保護を受給していますが、「食事は一日一回で、五〇〇円以内におさめている」と言います。
「交際費にかけるお金もないので、家に引きこもるしかない。引きこもっていると、生きる活力もなくなってきます。『きずな村』のようなとりくみは、人と 触れ合うことができるので、元気を取り戻せる。本当にありがたい」
「友の会は人材の宝庫」
「アルプス」では、「きずな村」のほかにも、月一回の昼食会や、子どもに勉強を教える「無料塾」などにもとりくんでいます。
世話人の児玉典子さんは「今では支援者と相談者が友達のような関係になり、 “地域で見守りあう輪”が広がっています」と話します。スタッフも回を重ねるほどに増えており、民医連職員だけでなく、友の会員の参加も見られるようにな りました。
「友の会は人材の宝庫だと思います。もう一歩地域に出て、活動を広げる役割を担ってほしい」と児玉さんは期待を込めて話しました。
小澤康士さん(松本協立病院・医事課長)も「入院が必要なお子さんでも、『お金が払えない』と、親御さんに断られたことがある」と話します。
長野県は小児や障がい者の医療費も、一旦窓口で支払わなければならない「償還払い制」のため、低所得者にとって大きな壁となっているのです。
「もっと地域に出て、協立病院がとりくんでいる無料・低額診療事業を宣伝し、受診できない方を助けたい」と、小澤さんは力を込めました。
写真・五味明憲
いつでも元気 2014.3 No.269