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いつでも元気

いつでも元気

元気スペシャル なくせ原発 守られない子どもたち

フォトジャーナリスト・野田雅也

 奇岩を連ね、山岳信仰の一大拠点として栄えた福島県伊達市の霊山。飯舘村の北側に位置する修験道の聖山一帯も、原発事故により放射能で汚染された。
 周辺地域には局地的に線量の高いホットスポットが点在する。この霊山の北側に沿って県境があり、豊かな森に包まれた宮城県丸森町筆甫がある。

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太田さん一家。あま音ちゃん(11)、蕗(ふき)ちゃん(5)、和馬くん(13)、玄周くん(9)

壊された理想の暮らし

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霧に包まれた筆甫の朝

 東京都出身の太田茂樹さん(44)は、桃源郷のように美しい山里と、「筆のはじめ」を意味する筆甫という地名に魅かれて、二〇年前に移住した。
 環境社会学を研究し、微生物に興味を抱いた茂樹さんは、米と大豆を無農薬で栽培して味噌づくりを始めた。手間と愛情をかけた「みそ工房SOYA」の評判 は全国に広がり、妻の未弧さん(46)と子ども四人で、理想の田舎暮らしを実現していた。筆甫を移住先に選んだもうひとつの理由は、女川原発と福島原発か ら一定の距離があることだった。両原発から五〇キロメートル以上離れているので、安全だと考えていたのだ。
 しかし福島第一原発事故によって北西に流れた放射能は、太田一家の第二のふるさとにも降り注いだ。事故後の一週間は屋内へ退避していたが、妻と子どもを 東京へ、さらに京都へと避難させた。茂樹さんは避難できない地域の高齢者を支えるため、筆甫に留まった。
 避難から一カ月後、空間線量が毎時一マイクロシーベルトを下回ったことで、家族を呼び戻した。「このまま住んでいいのかと不安で眠れなかった」と未弧さ んは振り返る。放射線の影響について学び、夫婦で話し合った結果、地域の人とともに筆甫で生きる道を選んだ。
 線量は福島県郡山市や南相馬市と同程度であるため、子どもの外出を一年間制限した。現在はセシウムが土壌に沈着したと判断し、不安はあるものの以前と同じように遊ばせている。

県境で線引き

 米と味噌づくりを再開した茂樹さんだが、「事故前と同じ手間と愛情をかけても、安全安心だと胸を張って言えない」と嘆いた。そして賠償や謝罪要求に対し、誠意を見せない東京電力の対応にも「憤りを覚えます」と続けた。
 筆甫の農作物は測定しても一キロあたり五ベクレルで“未検出”の区分だが、山菜やきのこ、川魚などからは高濃度のセシウムが検出される。
 「子どもたちには原発や汚染のことを包み隠さず伝えています。事故前のように自然の物を手に取って食べることはしなくなりました」と茂樹さんはさみしそうに言う。
 茂樹さんは、「子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク」の代表として、子どもの健康調査の実施を国に求めてきた。「原発事故は国やおとなの責任 であり、健康調査は当然の権利」と主張しても、福島県外という理由で国は未だ実施せず、丸森町が独自に子どもの甲状腺検査をおこなっている。
 同じ理由で賠償も不十分だ。「被害は県境を越えているんだ」と筆甫の住民九割以上が、今年五月に原子力損害賠償紛争解決センターへ、福島県と同等の精神 的損害賠償を求めた。福島県以外での集団申し立ては初めてのことだった。筆甫から福島県までは、車でわずか一〇分の距離。しかしこの県境が、子どもたちの 支援法をめぐっても壁とされている。

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父ちゃんを手伝う玄周くん

骨抜きの支援法

 「原発事故子ども・被災者支援法」は、 昨年六月に超党派の議員立法として国会で成立した。しかしその後は放置されたままで、復興庁は基本方針さえ明らかにしない。
 そのうえ復興庁で基本方針をとりまとめていた水野靖久参事官は、推進状況を聞かれた被災者支援団体主催の集会に出席した際、インターネット上(ツイッ ター)で「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」と暴言を吐いた。支援対象についても「白黒つけずに曖昧なままにしておく」など と、被災者に背を向けた。
 今年八月、「支援法は一定の線量を基準にすることを定めている。県境で線引きするのは、同法に反する」として被災者が国を提訴した直後に、同庁は突然、基本方針を発表した。
 成立から一年二カ月間、待たされた挙げ句に出された基本方針は“骨抜き”だった。健康調査や住宅確保の「支援対象地域」は、福島県東部の中通りと浜通りに限定された。
 それ以外の近隣自治体は「準支援対象地域」とされたが、近隣とはどの範囲なのか示さない。福島県外の健康調査の実施についても実施するかどうかさえ、明確にしなかった。
 茂樹さんら被災者は復興庁に出向き、「支援対象地域は年間放射線量一ミリシーベルト以上で設定すべき」と基本方針の見直しを求めたが、その声は反映されないまま一〇月に閣議決定された。
 「また裏切られた。復興庁は被災者の意見を十分に反映することなく、基本方針を一方的に決めた。このままでは、子どもの将来が県境で線引きされてしまう」と、茂樹さんは失望した。
 それでも「おとなの愚行をしっかりと胸に刻んで成長し、よりよい社会を築いてほしい」と子どもたちに伝えながら、これからも愛する筆甫で暮らすのだと言う。
 実りの秋、私は黄金色に輝く太田家の稲刈りを手伝いながら、守られない子どもたちの未来にどのように償えばよいのだろうと考え続けた。

再稼働許さない

 現在、日本にある原発はすべて停止しています。しかし東京電力らは「脱原発」を求める多くの国民の声を無視し、国に柏崎刈羽原発(新潟)などの再稼働を求める申請書を提出しています。
 こうした再稼働への動きに対し、「このまま再稼働をさせない」と、一〇月一三日、のべ四万人が全国から霞ヶ関に集まりました。首都圏反原発連合や原発を なくす全国連絡会、さようなら原発1000万人アクションによる「10.13 No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動」です。
 昼の日比谷公会堂集会では開場の二時間以上前から整理券を求める列ができました。会場定員の二〇〇〇人はすぐに埋まり、会場の外は入場できなかった人であふれました。
 集会では主催者のミサオ・レッドウルフさんや大江健三郎さんらがあいさつし、広島で被爆した肥田舜太郎医師(全日本民医連顧問)も「原発をつくったのは 皆さんです。死ぬまでに日本中の原発の火を消す。これが今生きている日本人の責任です」と、力強く訴えました。その後はデモ隊が日比谷公園からスタート し、東電前などで「再稼働反対!」のシュプレヒコールを上げました。
 夜の官邸前抗議行動では、小熊英二さん(慶應義塾大学教授)が「ドイツは脱原発を宣言していますが、まだ原発は稼働している。実質的に脱原発を成し遂げ たのはどこですか? 日本です。そしてそれは国民の力です」と発言。周囲からは大きな歓声が上がりました。
 統一行動が終わる午後七時まで、国会周辺では「脱原発」を訴える大きな声が響き渡りました。

文・安井圭太記者

いつでも元気 2013.12 No.266