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いつでも元気

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特集1 福島と茨城 県境の港から 放射能汚染に苦しむ漁師たち

フォトジャーナリスト・野田雅也

県境で隣り合う港

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シラス漁を再開した平潟港の漁師たち

 福島第一原発から南へ七〇キロ、福島県と茨城県の県境にふたつの港が隣接する。いわき市の勿来港と、北茨城市の平潟港だ。切り立った岩壁を持つ鵜ノ子岬の北側に勿来港、南側に平潟港がある。
 両港は直線でわずか一〇〇メートルほどしか離れていない。かつてはコウナゴやシラス、イワシなどの船引き網漁を主力に、それぞれの港で二五隻ほどの漁船 が操業していた。しかし東日本大震災の地震と津波で、両港とも市場や冷凍設備が破壊され、計四隻の漁船が流された。犠牲者はいなかったが、数十件の民家が 倒壊した。
 福島第一原発事故から三週間後、北茨城沖のコウナゴから、一キロ当たり放射性ヨウ素四〇八〇ベクレル、放射性セシウム五二六ベクレル(セシウムの暫定基 準値は五〇〇ベクレル)が検出された。福島県だけでなく茨城県沿岸全域でも、県の出荷自粛要請によりコウナゴ漁などが休止された。漁師たちは、魚介類の放 射能検査や海のがれき撤去などのために船を出したが、汚された海を見つめては、ため息をつくしかなかった。

操業再開したものの

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シラスの浜値は10分の1に

 温泉の湧く平潟は小さな漁師宿が軒をならべ、釣りあげたヒラメやクロダイなどの刺身や、名物のあんこう鍋を味わう客で賑わっていた。しかし原発事故後、港を訪れる行楽客は激減した。
 今年五月七日、平潟港ではシラス漁の時期に合わせ、本格的な操業が再開された。シラスは黒潮の流れに乗って北上して北茨城沖まで運ばれるため、福島沖を通過しない。
 事故から二年二カ月ぶりの船出だが、漁師たちには気がかりなことがあった。
 「風評被害なのよ」──波止場で船の帰りを待つ鈴木ヨリコさん(59)は言う。試験操業によるシラスの分析結果は、セシウム134と137の合算値で一 キロ当たり一一ベクレル未満。現在の基準値一キロ当たり一〇〇ベクレルを下回る。それでも「市場に卸しても、ほとんどが売れ残るの」。北茨城沖で獲れたシ ラスの浜値は一キロ当たり四〇〇~六〇〇円だったが、事故後は一〇分の一の四〇~五〇円にまで値下がりしている。平潟のシラスは隣町にある大津漁協を経 て、東京の築地市場に卸されるが、買い手がつかない。
 「燃料代や氷代にもならないよ」
 風評で下落した差額分は、東電の賠償の対象となるが、いつまで続くかわからない。農業であれば場所を移すことも考えられるが、海域には漁業権の問題があるため、漁師は地元の海で漁をするほかにない。
 「原発事故のせいでひどい時代になった」と、ムラサキウニ漁を再開した丹能公二さん(58)は声を荒げた。獲ったウニの計測結果は合算値一キロ当たり九ベクレル未満で「検出せず」。それでもまったく売れない。
 個人売買でウニを販売する丹能さんの場合、日々の売り上げが生活に直結する。殻剥き加工員二人を雇うため、人件費だけでも赤字になる。それでも「二〇年 以上もともに働いてきた仲間たちだから、苦しいときでもいっしょに乗り越えたい」と、丹能さんはふんばっている。

自粛が続く勿来港

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毎朝、自転車で海の様子を眺めに来る渡辺さん

 鵜ノ子岬のトンネルを抜け、勿来港に着く。船のエンジン音が響く平潟港とは対照的に、停泊する漁船がならび、人影はほとんどない。船底に付いた海藻や貝類から、長期間使われていないと思われる。
 シラスやヒラメ漁をしていた渡辺勝男さん(82)の船は、津波で流された。勿来港ではシラス漁の自粛が続いているため、操業再開の見通しが立たず、新しい船を手に入れることもできない。
 渡辺さんは堤防から磯を覗き込み、「勿来のモノはどこよりも質がいいんだ」と自慢げに海中のウニを指差した。「目の前にあるのに、獲ることも食べることもできねえ。平潟港と潮の流れも魚場も同じなのに」。
 渡辺さんはこうして、ほとんど毎朝、自転車で海の様子を眺めに来る。六〇年以上も海とともに生きた老漁師だが、海面を眺めることだけが習慣になった。 「あと三年で八五歳。それまでに放射能が消えれば、もう一度、漁ができる」と希望を捨てないでいる。

汚染水放出をもくろむ東電

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鵜ガラスがいなくなり、写真愛好家たちも訪れなくなった勿来港。岬の背後に平潟港がある

 北茨城市の大津港では、東北大学と民間企業が共同開発した、新型の放射性物質検出器の実証実験がおこなわれている。魚をすり潰さずに測定しようというもので、実用化されれば出荷する魚介類を箱詰めにしたままで全品検査が可能になる。
 魚価の下落は、原発事故による放射能飛散の影響が、社会に不安をあたえ続けている証だ。根拠のない噂から生じる“風評被害”ではなく、東電や国が原発事 故による周囲の汚染状況など正確な情報を提供しなかったことで生じている“隠ぺい被害”だとも言える。
 だからこそ漁業従事者たちは、自らで検査体制を強化し、測定結果を公表することで信頼を得たいと努力を続けているのだ。

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汚染土を入れた土のう袋が際限なく積み上げられていく(楢葉町)

 しかし平潟港の操業再開から三日後、東電は福島第一原発で増え続ける汚染水を減らすために、原子炉建屋下の地下水を汲み上げて海へ放出する「地下水バイ パス計画」を両県の漁協組合に持ちかけた。「一リットル当たり一ベクレルを下回り、海洋汚染などの悪影響はない」と東電は説明する。
 しかし、漁師たちは「大打撃だ。捕ったものがますます売れなくなる」と憤る。これまで風評被害を払拭しようと積み重ねてきた懸命の努力が、水の泡になりかねない。
 売れなくてもがんばろうと決意していた前出の鈴木さんは、「漁に出る意欲もわかない」と落胆した。漁協も慎重な姿勢を崩していない。

「帰りたくても帰れない」

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人影もなく、庭の草木が伸びていた(富岡町)

 福島第一原発のお膝元で、事故による避難・立ち入り制限が一部緩和された双葉郡(福島県)では、「帰りたくても帰れない」現状が続いている。
 常磐線富岡駅(富岡町)の周辺には、倒壊した家屋や横転した乗用車が震災当時のまま放置されている。本格的な除染作業が始まった楢葉町では、汚染物質を 入れた土のう袋が宅地や農地に積み上げられ、「汚染土畑」になっている。
 浪江町では、商店街の路上に雑草が茂り、立ち入りが緩和されても自宅へ戻る人はまばらだ。
 汚染実態を知るほどに、「帰りたくても帰れない」と考える避難者も増えている。村民に帰郷を呼びかける「帰村宣言」から一年半が過ぎた川内村(人口二八 一四人)では、完全帰村者は三七一人で、昨年から増えていない。戻ったのは高齢者ばかり。このままでは極端な高齢過疎の村になりかねない。
 県境の二つの港から見えたのは、今ももがき苦しむ漁師たちの姿だった。立ち入り制限の緩和区域では、若年層を中心に人口流出が続いていた。原発災害は、 現在進行形で周辺住民を苦しめ、これからも私たちの国をむしばんでいくだろう。

いつでも元気 2013.8 No.262