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いつでも元気

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特集2 リビング・ウィル 死難民にならずに生きぬくために

 九年前、一人娘を看取りました。物言わぬ娘でしたから、本人の希望は知る由もないことですが、家族三人暮らした家で、やわらかな日差しの朝に迎えた、父と母の腕の中での最期を、娘は幸せなことと感じてくれたでしょうか。

リビング・ウィルとは

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保坂 幸男
東京・北多摩クリニック
(内科)

 「リビング・ウィル」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 脳血管障害や認知症、事故などで、判断力や意識状態が低下して、意思表示ができなくなる場面を想定し、そうなる前に終末期の治療方針についての希望を、 事前指示として表明したり書き記したりしたものを、リビング・ウィル(生前の意思)といいます。
 内容は、口から食べたり飲んだりできなくなったときに点滴・高カロリー輸液・胃ろう(胃に管で直接栄養を送る)などの人工栄養を希望するか、自発的な呼 吸ができなくなったときに人工呼吸器などを希望するか、などということだけではなく、最近は臓器移植や治療の中止にまで踏み込んで意思表明することもあり ます。
 2011年、日本で亡くなった方は125万人(1000人のうち年に約10人死亡。その3分の2は75歳以上)。超高齢化した日本で、亡くなる方は今後も増え続けます。
 一方で、対応する医療者・介護者の人数は、必ずしも十分にはならないようです。いのちの最期を迎える時に、不安なままさまよう「死難民」にならないよう に、リビング・ウィルについて考え、実践するためのヒントをいくつかお話しします。

適切なウィル(意思)を
表明できているか

 ある程度の年齢になると、診察室で、患者さんがご自分から、終末期に関する意思表示をすることがあります。かかりつけの医師や看護師に話しておくことは とても大切です。医療者の側も、「薬を処方するだけの関係から、やっとなじみの関係になれたのか」と嬉しく思います。
 ただ、「そのとき」の状況や、医療でできること・できないことを知った上で、どんな最期を希望するのか考えることは、なかなか難しいことでもあるでしょ う。そのため、結局は「ポクッと逝きたい」「何もしない」程度の話にしかなっていないため、医療者側からすると「本当に終末期を理解して考えた上でのもの か」「都合良く安易な方法を選択しているだけではないか」と疑問に感じることが多くあります。
 マスコミやくちコミなどのさまざまな情報に流され、言葉の響きにも左右されて「延命治療をしない」という選択が「尊厳死」であるかのように思いこんでいる方もおられます。
 さらに、家族や医療者との固定化した関係が、選択の幅を狭くする理由にもなっているようです。たとえば、「家族に迷惑をかけたくない」「ひとり暮らしで 介護者がいない」「外来だけの診療所に通っているから、入院するしかない」「入院しても長引くと申し訳ないので、管を付けるのは嫌と言うしかない」などの 例です。
 国が、制度や法律で、国民の希望より、医療費を削減しての安上がりの終末期へと誘導していることもあり、安易な治療拒否や、医療の縮小につながらないかと心配になります。
 でも、あなたの本心はどうなのでしょうか。本当は「最期まで家にいたい」「生きていける可能性があるのなら、胃ろうも人工呼吸器もつけてほしい」という気持ちはないでしょうか。

   

WHO(世界保健機関)健康の定義

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。)

 

しっかり生きる

 みなさんは、「延命治療」という言葉に、良い印象を持っていないのではないでしょうか。「人工呼吸器イコール延命」「胃ろうイコール延命」と考えがち で、人工呼吸器や胃ろうに好感を持っていない方が多いのではないでしょうか。もちろん、医学的な適応を欠いた使い方はすべきではないでしょう。しかし、こ れらは症状を緩和するため、より良く生きるためにも使える道具なのです。

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 虎の扮装をしているのは、定年退職後十数年たった今も、社会に物を言い、民医連職員としての矜持を持ち続けている私たちの先輩です。神経難病で、気管切開(呼吸のために首に穴を開ける)を受け、一日の3分の1以上の時間、人工呼吸器をつけて生活しています。
 奥さん共々「延命」のための検査や治療は望まないことを明確に宣言しておられますが、人工呼吸器という道具を、適切な時期に適切に利用して人生をしっか り生きています。疲れやすいため、ベッドや椅子で休むことも多いのですが、毎週デイケアに参加し、健康麻雀、絵手紙、季節の行事の参加にも積極的です。昨 年は、二人の息子さんの結婚式にも出席しました。次は娘さんの花嫁姿を楽しみにしていると思います。私たち医療者もいっしょに、そのいのちの物語を紡いで います。「何もしないこと」イコール「尊厳を守ること」ではないことが、おわかりでしょうか。
 一方で、「食べられなければ点滴」が私たち医療者の常識でしたが、終末期に水分を点滴で入れ過ぎることで、逆に苦痛が増すこともあるそうです。
 リビング・ウィルを考えるために必要なのは、使う道具自体の問題ではなく、どの時期に、どのような道具を、何のために使うのかということではないでしょ うか。私たち医療者側も、医療における常識を再構築することが必要なようです。

健康心をもつ寝たきり

 「寝たきりは嫌」「寝たきりになったら、生きている意味がない」という声も、よく耳にします。寝たきりは確かに嫌かもしれませんが、それでは寝たきりになっている方に失礼でしょう。
 一般的な「健康」は、動き回れるような身体の状態を指していることが多いようです。でも、WHOの健康の定義(表)にあるように、身体にだけ注目するのではなく、心の持ちように配慮してみることも大切です。
 私の尊敬する大先輩をもう一人紹介します。その方は90歳になったとき「目が見えなくなった。耳も聞こえない。あぁ、このままだと呆けてしまう。何とか しなくちゃ」と一念発起し、お孫さんに習って編み物をはじめたそうです。ベッド上での生活になった後も、103歳まで、可愛い作品を作り続けました。
 私たちは、必ず死にます。生きている間には、さまざまなストレスも抱えます。「健康は是、不健康は非」として健康を志向するだけではなく、死・不健康・ 不便という避けられない諸々も自然なこととして受容し、その上で、どう生きるか考えてみましょう。ベッドの上から天井を見上げながら、楽しいことを思い出 し「うふふ」と笑える健康心を、元気なうちに養っておきましょう。寝たきりの状態にも何かあるはずで、私は「寝たきりになっても楽しみをつくりだせるよう に、今を生きよう」ともがいています。
 仮にあなたが、考えることのできない状態になったとしても、あなたをお世話するひとが、あなたのことをさまざまな思いを持ってみてくれます。お世話する ひとが、生きることについて考えるきっかけにできます。それは、あなたが生きていることの証でもあり、大きな意味とも言えるかもしれません。

生と死を医療から解放しよう

 みなさんは、「風邪を引いたら風邪薬を飲む」こと、「医者がいなければ死ねない」と考えること を、当然のこととして受け入れてはいないでしょうか。「ひと」を、医療のなかでとらえ、医療に依存して生き、死ぬ。そんな、自立していない不自由な状態に なっていないでしょうか。

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 その理由には、戦争による理不尽な多くの死。村社会の崩壊による、生と死の教育の場の喪失。さらに病院で亡くなる方が増えたことも、そのような考えにいたる一因でしょう。
 昔は、風邪を引いたときやお腹をこわしたときには、生活のなかで丁寧に対処できていたはずです。風邪を引いたときにつくってもらった卵酒は、美味しかっ たですよね。そして、台所仕事をした後の母の冷たい手が、熱のある首筋に気持ちよく、風邪なんか吹き飛んでしまうように感じたものでした。
 でも今は、風邪を引けば医者にかかって風邪薬を服用するでしょう。薬がないと夜も日も明けない。医療のなかで風邪を治し、医療のなかでお腹を治す。そして、医療のなかでないと死ねないと考えがちです。
 医療が高度化したこともあって、多くのみなさんにとって死や死にゆく人、不健康やさまざまな症状は、身近にあってはいけないものになり、いろんなことを医療のなかに求めるようになっています。
 医療だけではなく、介護も福祉も、「専門家のもの」になってしまい、がんじがらめに生きづらくなっていないでしょうか。「私作る人、あなた食べる人」に なっていないでしょうか。医療の奴隷になってはいないでしょうか。
 医療を利用するなかで、自分の人生や健康について考え、自分に責任を持ちましょう。医療者も医療を利用する者も、それぞれが医療に依存せず、自立する人 生のプロとして、また対等平等の主体として、最期まで健康に生きぬくことを大切にし、いっしょに考える。「みんなで作ってみんなで食べる」という関係をつ くっていきませんか。

リビング・ウィル・ノートを

 まず、とびきり素敵なノートを用意します。置き場所はいつでも活用しやすいように、目につきやすいところに場所を決めて置きましょう。
 専門家(医師や看護師など)の手を借り、また、共同組織で学習会を開き、さまざまな情報を整理し、書き込んでいきましょう。複数の学会が出している「終 末期医療についてのガイドライン」は参考になります。 その時々に感じたことや考えたこと、身体の様子などを、ノートに書き足していきましょう。読み返す ことで、考えのうつろいも感じられ、自分自身をよく知る機会になります。
 家族や友人とも、とことん話し合ってみましょう。あなたの希望がどのようなものであっても、その希望を大切にできる理解者がいなくては、希望は叶いませ ん。あなたの覚悟はついていても、家族の理解を得ていない場合はどうなるでしょうか。家族は急な状態の変化に動揺し、短時間で方針を決めることを迫られ て、少しでも長く生きていてほしい気持ちとの間で葛藤します。あなたの希望と現実に起こっている状況を受容できず、混乱することもあるでしょう。また、遠 くの親戚の同意が得られないこともあります。
 ですから、家族と何の気兼ねもせずに、希望を言い合える関係をつくっておくことも大切です。あなたの気持ちをしっかりと受けとめ、いざというときに、あ なたの希望を代わりに話してくれる家族や友人、かかりつけの病院・診療所をつくっておきましょう。
 誕生月などを利用して、いつも身近にいてくれるかかりつけの医療機関で、医師や看護師ともいっしょに考えてみましょう。そして、年に一度は「まとめ」を 作りましょう。普段から医療者とのコミュニケーションをとっておくことは、方針の決定に大いに役立ちます。いっしょに生き、物語を紡いだその先に、私たち が「あなたの死亡診断書を書きたい」「この医者に死亡診断書を書いてほしい」という関係をつくっていくのも、「死難民」にならずにすむコツでしょう。

めでたしめでたし

 リビング・ウィルがあっても、いざとなるとその通りに進められず、軌道修正が必要になることもあるでしょう。自分自身でも、家族・友人としても、私たち医療者・介護者としても、悩みはつきぬものです。
 「どう死にゆくか」─その過程を考える一方で、いかに最期まで生き抜くかを大切に考えてみませんか。その意味では、今日のあなたの生き方がリビング・ ウィルと言えそうです。そうしたら、どんな最期であったとしても、「めでたしめでたし」「とっぴんぱらりのぷぅ」でお別れできるのではないでしょうか。
イラスト・井上ひいろ

 

終末期医療についてのガイドライン(例)

 複数の学会が「終末期医療についてのガイドライン」を発表しています。代表的なものを紹介します。

■患者の立場に近いもの
 日本老年医学会「高齢者の終末期の医療およびケア」
 (2001年6月)
 高齢者終末期の定義を「病状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」と定義しています。

■医療者の立場に近いもの
 日本救急医学会「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」
 (2007年3月)
 救急医療に携わる医師のために作られたもので、人工呼吸器をはずすなどの延命措置中止について認めていることや、脳死を人の死として認めていることが特徴です。

■患者・医療者双方の立場をふまえたもの
 日本老年医学会
 「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン 人工的水分・栄養補給 の導入を中心として」(2012年3月)
 患者・医療者双方の立場をふまえたものは、今のところこのガイドラインのみです。同学会の2001年ガイドラインと大きく違い、胃ろうなどの人工的な水 分栄養補給について、治療の差し控えだけでなく中止にまで踏み込んで言及しています。

(全日本民医連医療倫理委員会資料をもとに編集部が作成)

 いつでも元気 2013.4 No.258