放射能汚染に苦しむ福島へ “オール民医連”で福島県民医連を支援
福島県では東日本大震災と原発事故により、いまなお一六万人もの県民が、県内・県外での避難生活を余儀なくされています。
福島県民医連もその影響を受け、職員の避難・退職などにより、事業所の体制に困難が生じています。この事態を“オール民医連”の力で乗り越えようと、全国から民医連職員が福島へ支援に駆けつけています。
福島医療生協の医療生協わたり病院(福島市)を取材しました。
仲間の支えが前を向く力に
原発事故後、最大の困難
青森県民医連から支援に入った腰細厚子看護師(右) |
原発事故のあと、わたり病院が直面した最大の困難は、若い医師と研修医が退職し、病院の将来を見通すことが難しくなったことでした。
わたり病院がある渡利地域は、点在する高濃度の放射能汚染地域(ホットスポット)のひとつ。その影響により、三〇代の医師は一人に、二人いた研修医もゼ ロになってしまいました。残った二一人の常勤医のうち、五〇代以上が一四人と、三分の二を占めます。
福島県では、民医連以外の医療機関でも、多くの医師・看護師などの医療スタッフが避難しています。わたり病院は、地域の第二次救急医療機関に指定されて いるほか、研修医を養成する臨床研修病院にも指定されています。医療スタッフの減少でわたり病院が存続できなくなれば、地域にも民医連にも大きな打撃をあ たえます。
病院近くの公園にはモニタリングポストが |
「なんとしても、わたり病院の医師と職員の体制を支えよう」「わたり病院を臨床研修病院として守ろう」と、全日本民医連は支援を決定。医師支援のトップ バッターとして派遣されたのが、ベテランの大山美宏医師(現・東京ほくと医療生協理事長)でした。
大山医師は内科医として働きながら、医師が集団として話しあう体制づくりを提案。それまでなかった「内科医会議」が設けられました。
ほかにも朝会や日報など、全職員が情報を共有するしくみが作られ、病棟ごとの縦割りだった組織が、少しずつ変わっていきました。
支援をきっかけに
「医療が専門分化していることもあり、医師どうしがお互いの仕事や職場に口を出さないという雰 囲気があった」と語るのは、七月に院長に就任したばかりの遠藤剛医師です。「今後は医療の総合性を意識的に追求していきたい。そうすることは地域の患者さ んにとっても、研修医を育てる上でもメリットになると思う」と話します。
また、「それぞれの科や職場を越えて語りあう気風が生まれたことで、病院の将来像についても話しあえるようになった。大山先生の支援をきっかけに、職員が集団として団結し、前を向けるようになった」とも語ります。
大山医師に「支援の中で苦労した点は?」と聞いてみました。すると「ない。むしろやりがいがあった」と笑顔に。
「『研修医を育てるためにも、このようにしたら』という私の提案にみんなが共感してくれて、『その方向性がいいね』と一致した。自らの力で課題を乗り越 えようと団結してくれた。私はその雰囲気をつくる仕事ができてよかった」と。
励ましと“気づき”
わたり病院には医師だけでなく、看護師やリハビリスタッフなど、多くの民医連職員が支援に入っています。全国から駆けつけた民医連職員の姿は、わたり病 院の職員たちを励まし、多くの“気づき”をあたえるものでした。遠藤院長はそれを「民医連のマインドを感じた」と表現します。
山口裕事務長は「初対面でも前から知っている仲間のように打ち解けられる。やっぱり、『民医連綱領』という同じ理念にもとづいて医療をしている仲間だからですよね」と語ります。
「救急室に支援に入った医師が、自分の専門外の患者さんでもすぐ断らずにできるだけ受け入れようとする姿勢が印象的だった」と話すのは、副総看護長の根 本利恵子看護師。根本さんは、「民医連の支援がすごいと思うのは、単に『がんばれ』と言うだけでなく、常にあたたかく寄り添おうという姿勢が感じられると ころ。『最後まで見守って支えます』という誠実さが伝わってきて、安心感がある」と続けました。
不安を抱えながら
昨年の原発事故後、多くの職員が「原発から六〇キロしか離れていないのに、福島市は安全なのか」という不安を抱えながら、目の前の患者さんの対応に追わ れていました。こうした不安に応えるために、わたり病院では、広島で被ばく者医療に長年かかわった斎藤紀医師(二〇〇九年よりわたり病院に勤務)を講師と した学習会を開催。放射能についての科学的な知見を学びながら、冷静に事態を見きわめようと話しあいました。
「斎藤先生は、『家族が心を一つにまとまって生きる大切さ』を説いた。このことが多くの職員が福島に残ることを決意する力になった」と根本さん。「『みん ながいるから、ここに残ってがんばれる』という職員も多い。子どもを連れて避難した職員の決断も尊重しながら、起きている事態に冷静に向きあうことができ た」と振り返ります。
放射能とのたたかい
長野から寄せられた連帯のメッセージ |
一方、「最近おこなったアンケートで、『福島産の農産物を気にせずに食べている』と回答した同 僚は、二五人の看護師のうち、私ともう一人しかいなかった」と根本さん。「『放射線測定したから大丈夫』と言われても、みんな大丈夫とは思っていない。表 向きは冷静に見えていても、日々悩みの連続なのだと思う」と、仲間たちの気持ちを慮ります。
常に放射能を意識して生活しなければならない、ストレスがたまる日々。重苦しい課題を抱えながら、放射能とのたたかいははじまったばかりです。
「歴史的な困難をみんなで乗り越えようとしている姿を、全国から応援しつづけてほしい」と根本さん。
遠藤院長は「会議などに出席したときに、私がわたり病院の院長だと知ると、みんなが激励の声をかけてくれます。ぜひその気持ちに応えていきたい。全国からの支援が、前を向く力になっています」と語ります。
「わたり病院は今後数十年にわたって、放射能とたたかう最前線になるでしょう」と大山医師は指摘します。
「住民の健康管理、除染の問題など課題も多い。こんな重い課題を、わたり病院や福島県民医連だけに押しつけるわけにはいきません。民医連全体の課題とし て、住民の不安や要求に寄り添いながら、長期的な視野でとりくんでいく必要があります」と、大山医師は力を込めました。
文・武田力記者
写真・酒井 猛
励ましながら、いっしょにたたかう
9月12日夕方、わたり病院に支援に来た4人の看護師の歓迎会が開かれました。その中のひと り、関井哲看護師(富山協立病院)は、「震災が起こったときからずっと支援に来たいと思っていました」とあいさつ。「(昨年生まれた)子どもから離れて、 私自身がリフレッシュです」と冗談を言うと、周囲に和やかな笑いが広がりました。
看護師支援は、わたり病院の看護師にまとまった休みを保障し、放射能汚染によるストレスから解放しようととりくまれているもの。ことしは7~9月、2週間交代で全国12県連から17人の看護師が支援に入りました。
いつでも元気 2012.12 No.254