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いつでも元気

いつでも元気

元気スペシャル いのち輝く新しい福祉の国づくりを 被災地復興・まちづくりの決意かためあう 第11回全日本民医連 共同組織活動交流集会in岩手

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三上満さんの記念講演に聞きいる参加者。ときおり織り込まれるユーモアに、一同大笑い

 第一一回全日本民医連共同組織活動交流集会が九月二~三日、岩手県・花巻市でおこなわれまし た。「いま、いのち輝く新しい福祉の国づくり 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、震災ニマケナイ、原発ノナイ、誰もが安心して住み続けられるまちづくりを」が スローガン。東日本大震災で一年延期された本集会には全県連から医療生協組合員や友の会員、民医連職員など一八〇〇人が参加しました。

感動呼んだ記念講演

 初日の全体会では、著書『明日への銀河鉄道──わが心の宮沢賢治』(新日本出版社)で岩手日報 文学賞・賢治賞を受賞した三上満さんが、「震災に生きる宮沢賢治の世界観」と題して記念講演。貧しい農民たちの幸福を願った賢治の苦悶や思想を作品から読 み解き、「あの詩に、そんな背景があったとは」「何度も涙があふれた」と感動を呼びました。

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次回の開催県としての決意を語った漁島国弘さん(東神戸医療互助組合理事長) あいさつに立った中村優子現地実行委員長(岩手・盛岡医療生協常務理事)

 続くシンポジウム「東日本大震災といのち輝くまちづくり~住民本位の復旧・復興を!」では、大震災で甚大な被害を受けた岩手・宮城・福島の共同組織・民医連職員が発言。被災地での活動や復興が進んでいない現状などを語りました。
 全体会の最後には次回(二〇一四年)の開催地・兵庫を代表して、東神戸医療互助組合理事長の漁島国弘さんが決意表明。「この七月、近畿ブロックの共同組 織活動交流連絡会で討論し、二五〇〇~三〇〇〇人の規模でやろうと決めた。これまでで最高の参加者数で成功させたい」と話し、さかんな拍手を受けました。

多彩な活動が256演題も

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沢内村の村政の歴史と精神を語った、作家・及川和男さん

 二日目は分科会。健康チェック、共同浴場開設、国保料値上げ反対運動、自治体病院の民営化を阻止したとりくみ、お食事会、サークル活動を通じて友の会の活性化にもつながっている経験など、二五六演題が発表されました。

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1日目の夜は「ナイトセッション」。そのひとつ「みちのく郷土芸能」で披露された相去鬼剣舞(あいさりおにけんばい)

 分科会「沢内村から学ぶ」では『村長ありき─沢内村 深沢晟雄の生涯』の著者・及川和男さんが講演。「憲法を守り、共同組織と歩むことを明記した民医連綱領を読んだ。民医連は深沢村政の精神を引き継ぐものだ」と語りました。
 被災地復興より構造改革を推進する政治が横行し、地域の支えあいやつながりの大切さが見直される今日、人権や健康権を守ろうと、まちづくりの要として奮闘する決意をかためあう集会となりました。
文・多田重正記者/写真・酒井 猛


シンポジウムから

genki253_01_06 シンポジウム「東日本大震災といのち輝くまちづくり~住民本位の復旧・復興を!」では4人が発言。被災地の現状と共同組織・民医連の活動、復興に向けた課題などを語りました。

沿岸部の組合員を訪問して

岩手・盛岡医療生協理事
山本章子さん

genki253_01_07  東日本大震災が起きたとき、旅先にいた山本さんは、陸前高田市出身。故郷が津波に襲われる様子をテレビで見て「信じられなかった」と。電話もつながりにく い状態が続きましたが、携帯電話に兄や親戚、知人が「行方不明になった」「亡くなった」などの連絡が。「私は、兄が行方不明になっていると、いつ誰から連 絡を受けたのか、いまだに思い出せない」と山本さん。お兄さんは四月六日、遺体で見つかりました。
 山本さんは、親戚の安否確認をするために避難所をまわりましたが、そこで見たのは震災の恐怖や悲しみ、そして不自由さに耐えている避難者たちでした。 「自分のことで精一杯だった」と言う山本さんですが、避難所で苦しんでいる人たちを見て「見て見ないふりをするのは卑怯だ」と自らを奮い立たせます。
 盛岡医療生協は昨年四月九日から一一〇〇人の組合員が住む沿岸部で、安否確認の訪問行動を実施。名簿を頼りに全国から届けられた支援物資を持って、がれ きの山を歩きました。訪問行動は三九回、約四五〇人の無事を確認。「一人では何もできないこと、相手が共同組織の仲間だからこそ支援される側も安心できる ことを感じた」と語った山本さん。「いつでもアンテナを高くして情報の発信とキャッチを心がけ、困った人がいれば助けたり助けられたりして生きていきた い」。

津波の直撃を受けた地域で再生へ

宮城・松島医療生協理事長
名雪英三さん

genki253_01_08 デイサービス「なるせの郷」がある野蒜地区も津波が直撃し、利用者一二人、職員三人が犠牲に。「気がついたときには一階が流されていた。逃げることなんてできなかった」と名雪さん。
 なるせの郷に全国から民医連の支援が来たのは、震災から一〇日過ぎたころ。「支援者の力を借りて、毎日地域住民や医療生協組合員の安否を確認し、一人暮 らしの高齢者の家はほとんど訪問できた」。ゆたんぽにメッセージをつけて支援物資を届けたり、全国の仲間と家の片づけを手伝う活動などにもとりくみまし た。「津波に襲われた家は泥がベトッとついて、かんたんに洗い流せなかった」と名雪さんは振り返ります。
 今年二月にも野蒜地区を地域訪問。家があっても人が住んでいなかったり、「住んでいても一階は津波で流されたため、二階だけ使って暮らしている」などの 現状が報告されました。四月には新東名地区、六月には宮戸地区を訪問。宮戸地区では「跡形もないところを一軒一軒歩いてまわった」ことなどを報告しまし た。
 名雪さんは「今後はボランティアの方たちと、さまざまな行事をできたら。全国の仲間から復興への知恵を借り、いっしょに盛り上げられたらすばらしい」と。
 今、松島医療生協は、津波で流されたなるせの郷の意志を継いで、介護施設「松島の郷」として再建中でこの秋、工事に入る予定です。

「被災者の決断を尊重して支援してほしい」

福島・浜通り医療生協組織部
工藤史雄さん

genki253_01_09 工藤さんは原発事故に見舞われた福島県で、多くの県民が避難するかどうかの判断を迫られ、苦しんでいることを報告。「放射線量だけではない。仕事、住居、子どもの学校、引っ越すお金。これらをすべて解決しなければ引っ越せない」。
 家族がばらばらになる影響も指摘。工藤さんも「生後五カ月の娘を五〇〇キロ離れたところに避難」させましたが、「家族がばらばらになって暮らすリスクの ほうが大きいと判断して、二カ月後に子どもを呼び戻した」と語りました。

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各地から寄せられる「リフレッシュ企画」で県外に出て遊ぶ子どもたち。福島民医連の職員や家族の心の支えにも(写真は静岡で。わたり病院放射線問題対策委員会Newsから)

 一方で「福島に住んでいるのは、子どもの虐待に等しい」、あるいは被災者に「賠償金が入るんでしょう」などと言う人もいると工藤さん。「こういうことを 言わないでほしい。被災者の決断を支援する点に全力を注いでほしい。浜通り医療生協にも新潟・山形・静岡など、全国から週末避難のプログラムが届く。本当 にありがたい。私たちが見捨てられていないんだという精神的な支えにもなる」。
 そして工藤さんは、福島がまだ復興のスタートラインにすら立てていないことを強調し、涙ながらに訴えました。「住むべき家、帰るべき土地を奪われ、家族 と離れ離れになり、職場を失った人たちは、事故の賠償が済んで初めてスタートラインに立てる。いわき市、郡山市、福島市、南相馬市に『完全賠償させる会』 ができた。この会を全県に広げるために、支援をお願いしたい」。

「地域とつながる班会の力を共同組織だけにとどめずに」

大震災復旧・復興宮城県民支援センター事務局次長
村口 至さん

genki253_01_11  宮城・坂総合病院の医師でもある村口さんは、被災した地域の情報を集めるため、塩竃市・多賀城市など二市三町の災害対策本部や保健所長、医師会、主な病院 の院長と話し合い、震災四日目に地域連絡会議を結成したことや、石巻市での支援活動などを報告しました。石巻市では一階が津波に遭い、二階で生活している 人たちがいましたが、情報が入らず孤立。そこへ拡声器で「具合の悪い方は出てきてください」と呼びかけながら歩き、二時間で二〇人以上を診察。このときの 診察で慢性疾患の薬がなくなって困っている人が多いことがわかり、「移動薬局をつくってほしい」と県薬剤師会に提案し、モバイルファーマシー(災害対応医 薬品供給車両)が二台つくられました。

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津波の直撃を受けた石巻市(2011年5月3日、写真・編集部)

 さらに村口さんは、住民無視の政治を告発。営利企業の水産業参入を認める「水産特区」や、岩手県南部から福島県にかけて高さ一〇数メートルの巨大堤防を つくる計画などが漁師や地元住民の反対を無視する形で持ち上がっていることを紹介。大学が「沿岸部は三世代で住んでいる人が多い地域だから」と、沿岸部の 住民を遺伝子研究の対象にし、これに国が予算をつけて後押しするなどの問題も指摘しました。
 最後に村口さんは「大震災は日本全国どこでも起こりえます。復旧・復興の過程で大事なのは自治能力。自治能力がどうであったかによって、まちづくりが住 民自身のものになるかどうか変わってきます。みなさんが得意とする、地域とつながる班会の力を共同組織だけにとどめず、発展させてほしい。公務員が被災地 にとって大事だということも明らか。とくに地域の保健師さんと交流してほしい」とエールを送りました。


参加者の感想文から

●皆さんのパワフルな報告、細かい工夫に私も元気になった。(埼玉)
●健康権を守るとりくみは一人ひとりがばらばらではできない。連帯して地域で全国で学び実践、継続することで必ず守っていけると確信。(奈良)
●震災は終わっていない、原発事故は収束していないと思いを強くした。(京都)
●有名な「東ニ病気ノコドモアレバ…」の詩がどういういきさつで書かれたものか、はじめて知りました。(神奈川)
●(分科会について)一つひとつが具体的で、学びの多い中味。すぐ実践できそうな中味もあり、「おみやげ」にしたいと思う。(東京)
●(シンポジウムについて)どの発表もがんばっている様子がよくわかった。特に福島の原発被害は想像をはるかにこえて、心痛を思うと涙があふれる。(高知)
●健康づくりの運動が様々な形で広がり、発展していることを学んだ。(長崎)
●(記念講演について)3・11後、求められている価値観と賢治の思い描いた世界が重なり、自然と涙が出てくる感動を覚えるほど、すばらしい講演。(北海道)

「人間は支えあい、助けあい、愛しあって生きていく存在だ」

三上満さん記念講演「震災に生きる宮澤賢治の世界観」から

 「私は自称東京生まれの岩手県人。岩手大好き、花巻大好き人間で す。新婚旅行も花巻で、カミさんに『なんでこんなところに』と言われました」と切り出し、参加者を笑わせた三上満さん。千葉・東葛健康友の会員でもある三 上さんは、ユーモアを交えながら、詩人・作家で農業の指導にも携わった宮沢賢治の世界を語りこんでいき、次第に話は東日本大震災にまで及びました。大要を 紹介します。

genki253_01_13  二〇一一年三月一一日。あの未曾有の大災害は、社会や人間のあり方を大きく問い直したのではないかと思います。能率や効率だけが優先される社会でいいの か。強き者がのさばり、弱き者が置きざりにされていく世の中でいいのか。人間は地球や環境とどう調和して生きていくべきか。私たちの生活になくてはならな い電気を原発に頼っていて、人類に未来はあるのだろうか。
 今、宮沢賢治という人物の生き様や思想が、これから未来を考える手がかりとして、なくてはならないと感じています。それは賢治が被災地・岩手の人だから というだけではなく、賢治の作品そのものが「いのち」を慈しむ文学だからです。

「行ッテ」の思想

 賢治が病床で書いたのが「雨ニモマケズ」です。この詩が書かれたのは東北大凶作で 「欠食児童」「娘身売り」という言葉が象徴になるような時代でした。賢治は大変な困難に見舞われている農村の実情を聞くにつけ「行きたい、行きたいけれど 自分は病気で行けない」と苦悩します。「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」──この「行ッ テ」には「みんなのところに行きたい。行きたいけれど病気で行けない。行けないけれど、心は行っているんだ」という賢治の気持ちが表れているのです。
 3・11以降、民医連や共同組織は、この「行ッテ」を実践したのではないでしょうか。「行きたいけれど行けない。でも何かできないか」と心を届けようと した人たちもいらっしゃるでしょう。カンパや物資など様々な形で心を通わせることを通じて、一人ひとりが「行ッテ」を実践しようとしたと思うのです。
 このことは、人間が持っている二つの本来的な特性を証明しました。一つは、人間は困難があっても立ち向かい挑む存在であるということ。人間は、競争に勝 つことだけに喜びを感じるような、そんなあさましい生き物ではないのです。
 もう一つは、人間は支えあって、手を差しのべあって、助けあって、愛しあって生きる存在である、ということです。

「心や社会を潤す一滴に」

 私がとりわけ好きな賢治の作品に「十力の金剛石」という童話があります。王子様が探していた宝石はすべてのものを潤す一滴の露だったという話です。人間は大きな事はできないかもしれないけれど、お互いの心や社会を潤す一滴の水になることはできるだろうと思うのです。
 今回の共同組織活動交流集会が、人びとの幸せのために活動する生き様を、お互いに確かめ合う集会になることを期待します。私もその一員として、今後も活動していきたいと思います。

いつでも元気 2012.11 No.253