平和のバトン
語り部の言葉を胸に刻む 香川県民医連
香川県民医連では、職員の二年目研修で「高松空襲跡めぐり」をしています。七年間で二四〇人の職員が参加しました。
一九四五年七月四日、高松市に一一六機のB29重爆撃機が襲来、二時間あまりの猛烈な空襲で、死者は一三五九人と言われています。「この場所で赤ちゃん が泣きながら若い母親の胸にすがっていた。母親はすでに死んでいた。私はその赤ちゃんを助けることもできずその場を立ち去った」「姉と私を避難させた直 後、母と祖母は頭に爆弾の直撃を受けて亡くなった。私が七歳のときだった」「若い母親が二歳の女の子を背負い、頭に夏布団をかけて池に逃げ込んだ。まわり の男たちが女の子の夏布団を我先にと奪い取り、気づいたら女の子は亡くなっていた」。三人の語り部の話は、胸をえぐるような辛い話ばかりです。
最後は、市民によって建てられた慰霊碑の前に立ち、「二度とこのようなことが起こらないように」という語り部の言葉を胸に刻みました。
(藤井幸代)
600キロを走破 北海道・民医連道南ブロック友の会
七月二二~二三日、道南勤医協の第一二回非核平和自転車リレーがおこなわれ、黒松内町から函館市まで六〇〇キロを自転車とマラソンでつなぎました。
当日までに多くの職員が参加して、平和について学習したり、地域で原発反対を訴えたりしてきました。費用をまかなうためにアイデアを出しあい、Tシャツ やタオル、ボールペンの販売など財政活動もがんばりました。
当友の会からも食事作りや応援団として三〇人以上が参加。若者のエネルギーをもらいました。
(舩木幸子通信員)
映画化で悲劇忘れない 沖縄医療生協
この度、「宮森小学校米軍機墜落事故」の証言集をもとに、映画「ひまわり」が製作されることになりました。この事故は一九五九年六月三〇日、米軍機が石川市(現・うるま市)の住宅街に墜落・炎上して宮森小学校を襲い、児童など一七人が犠牲になったものです。
証言集は当時の教職員や事故処理にあたった方々による生々しい証言で構成され、二〇〇九年の発行と同時にものすごい反響を呼びました。
この間、各院所などで映画製作の意義と、この映画を全国に広める重要性などについて学習しています。歴史的な沖縄の苦悩や現実をリアルに伝え、米国追従 の日本の異常な姿をあらためて浮き彫りにすることでしょう。
全国のみなさんにも、この映画の製作協力券の普及にとりくんでいただくよう心からお願いします。
(伊波宏俊通信員)
各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。
いつでも元気10月号No.252より