“震災を風化させてはいけない” 宮城で民医連全国青年ジャンボリー
三月二五~二六日、宮城県仙台市で第三四回民医連全国青年ジャンボリーがおこなわれました。当初は昨年九月におこなわれる予定で したが、三月一一日、東日本大震災・福島第一原発事故が東北を襲いました。民医連の事業所や職員、家族、患者、利用者なども被災するなか、延期を決定。
実行委員会では「本当にこの状況で開催していいのか」という意見も出されましたが、「宮城の現状を知り、自分たちに何ができるのかを考えるためにも開催しよう」と決めました。
寒さに震えながら
仮設住宅での縁日。屋台コーナーには長蛇の列が |
ジャンボリー前日の二四日、会場のある秋保温泉へ約四〇〇人の参加者が続々と到着。実行委員が拍手で迎え、「前夜祭」をおこないました。
初日の「入学式」では、被災地の職員や被災地支援にかけつけた職員たちがリレートーク。
「床が抜け落ちるかと思った」こう発言したのは、宮城・坂総合病院の相澤佑可子さん(看護師)。坂総合病院は災害拠点病院に指定されているため、揺れが おさまったわずか六分後には災害対策本部を設置し、さらにその七分後には玄関先にトリアージポスト(治療の優先順位をつける場所)を設置して、救急患者の 受け入れ態勢を整えました。
当日、手術室で勤務していた相澤さんもトリアージポストを担当。雪の降る中、寒さに震えながら次々と運ばれてくる患者対応をおこないました。不眠不休で 救護活動にあたり、「いったいいつまでこの状況が続くのか」と、こころが沈みそうになったそのとき、山形民医連の支援者たちが乗った車が到着。
その後も続々と全国から民医連の支援者たちがかけつけました。相澤さんは当時を振り返り、涙を浮かべながら「民医連のすごさを感じた。民医連の病院で働 いていて本当によかった。みなさんも今回のジャンボリーを通して、医療従事者として被災地に何ができるのか考えてみてください」と語りました。
被災者に寄りそう
岡山・みずしま診療所の河原京さん(事務)は、坂総合病院へ支援に行った経験を報告。震災後、 被災地に住むジャンボリーの仲間たちから「無事に生きています」「あと少し避難が遅かったら危なかった」というメールが届き「一日でも早く被災地へ」と河 原さんを駆り立てました。
被災地では主に避難所での足浴を担当。足浴は「悲しい気持ちやつらい気持ちを聞き、被災者に寄りそう時間をつくることだと感じた」と河原さん。「震災直 後ではよく目にしていた街頭募金も、今では『設置型』で、報道なども少なくなってきました。しかし忘れてはならない、風化させてはいけない」と訴えまし た。
仮設住宅で縁日
健康チェックコーナーでおこなわれた簡易血糖検査 |
午後は、被災地を巡るフィールドワーク。記者が同行したのは、仙台市内にあるあすと長町の仮設住宅。屋台や健康チェック、絵手紙、コマなどを使った昔ながらの遊びのコーナーを設け、仮設住宅に住む被災者たちとふれあいました。
健康チェックに訪れた男性(72)は住んでいたアパートが津波に流され、避難所を五カ所も移動させられました。避難所ではまったく知らない人たちとの生 活。ちょっとした物音が気になり、ストレスがたまって睡眠も十分にとれず、血圧も上がっていきました。
医療機関を受診し、薬を飲むようになってからは血圧は下がりましたが、仮設住宅での生活も「周囲へ気をつかう」と言います。男性は「このように人とふれあえる支援はありがたい」と笑顔を見せてくれました。
健康チェックのコーナーで血糖チェックを担当した、群馬・前橋協立病院の高野優さん(看護師)は「全国の民医連の仲間と交流できるし、被災地を自分の目 で見ることもできるので参加しました。どこの事業所も厳しい体制のなかで、被災地支援を続けてきた民医連に誇りを持っています」と話しました。
「この経験を職場で広めよう」
最終日の「卒業式」では写真や動画を上映し、前夜祭からの三日間を振り返りました。実行委員として参加した青年たちは「みんなの笑顔を見ると、宮城で開催できてよかったと実感する。今回学んだことや被災地を巡った経験を、事業所に持ち帰って広めてほしい」と語りました。
次回の民医連全国青年ジャンボリーは二〇一四年、長野県でおこなわれます。
文・安井圭太記者
写真・酒井猛
いつでも元気 2012.6 No.248